97回

 セルバンテスとドン・キホーテ

セルバンテスという作家の知名度はともかく、彼が書いた小説「ドン・キホーテ」の名前はよく知られている。「ラ・マンチャの男」の劇も話題になった。もっとも今の若い人は、安売りのチェーン店を思い浮かべるかもしれない。

2016年3月にスペインに行ったときに、3か所でセルバンテスの像に会った。スペインのみならず、2012年に行ったメキシコのモレーリアというコロニアル都市の文化会館の外庭にもあった。スペインから独立するために戦ったメキシコにも像があることが、何故か不思議だった。

私が撮ってきた4種類のセルバンテス像をごらんいただきたい。スペインツアーに参加すれば必ず行くマドリッドの「スペイン広場」にある有名な像が左端の写真。ドン・キホーテやサンチョ・パンサ像を見下ろす形で座っている。他の3つを目にしている方は少ないと思う。


マドリッドのスペイン広場 
 
マドリッドの国会議事堂前

ラ・マンチャ地方の
博物館内部 


メキシコのモレーリア市の
文化センター 


セルバンテスは1547年に生まれ、1616年に亡くなった。今年が没後400年ということになる。イギリスのシェークスピアも同じ1616年に亡くなった。彼らが直接会った事実はないらしいが、お互いに影響しあっていたと思われる。徳川家康が亡くなったのも1616年。セルバンテスやシェークスピアと家康はなんら関係はないが、同時代の人物ということで、覚えやすいと思う。

銅像は同じ鋳型を使ったものもあるが、この4種類は皆違う。服装をみると貴族のように思えるが、暮らしは楽ではなかったようだ。「ドン・キホーテ」がベストセラーになったのは亡くなる10年前、晩年は裕福になっても良さそうだが、版権を安く売り渡してしまったので最後まで経済的には恵まれなかった。

作家や画家の多くがそうであるように、セルバンテスも没後に非常に有名になった。没後400年後の今でも、スペインといえば「セルバンテス」と言っても過言ではない。その証拠はいくつもある。スペイン発行のユーロ硬貨の10・20・50セントは彼の肖像だ。マドリッドの亡くなった借家があった通りは、セルバンテス通り。

スペイン語の教育と文化の普及を目的にして、世界40ヶ国に置かれた文化センターの名前は「セルバンテス文化センターだ。メキシコのモレーリアにあった文化センターもこれだったのだ。もちろん東京の千代田区にもある。

もう1種類の銅像は、セルバンテスの代表作「ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ」の、ドン・キホーテを取りあげる。日本語にすると「ラ・マンチャ地方の騎士キホーテ卿」となる。

中学校で文学史を習ったときは、「ドンキ・ホーテ」だと思い込んでいた。スペイン語のドンの意味など知らなかったし、ドンキーはロバ。ロバに乗っている挿絵があったのだから無理もない。

私は恥ずかしながら子ども用に書かれた「ドン・キホーテ」しか読んでない。それもだいぶ前のことだ。中学生の頃の私は騎士道の世界にあこがれていたので、単に筋を追っていたに過ぎない。

下級貴族のキホーテは騎士道物語を読むのが好きだった。読み過ぎて妄想におちいり、自分を伝説の騎士だと思い込む。そのあげく従者のサンチョ・パンサと共に、遍歴の旅に出る。

かつて文学青年だった人に「ドン・キホーテを読んだことありますか」と聞いてみた。「学生時代に読みましたよ。あの小説はそれまでの物語とはまったく違うんです。主人公の自意識や成長などを書きこんいて、最初の近代小説と言われています。喜劇だと思っている人もいますが、深いんですよ」と、滔々と話してくれた。

「ドン・キホーテ」は、聖書に次いで出版されベストセラー小説であり、ロングセラー小説だ。驚いたことに、2002年にノーベル研究所と愛書家団体が発表した「史上最高の文学100選」で1位を獲得している。世界54か国の著名な文学者100人の投票で決めた。

1位以外の順位は非公開で、セルバンテスの作品はこの1冊だけ。シェークスピアは3冊ランク入り。いちばん多いのはドストエフスキーの4冊。日本人の作品は紫式部の「源氏物語]と川端康成の「山の音」。



「ドン・キホーテ」で有名なのは、大きな風車が動き出した時に巨人と勘違いしたキホーテが風車に突進していく場面。巨人ブリアレーオの長い腕と風車の羽根を見間違えたのだ。戦いを挑んだキホーテは惨敗するが、この話には裏があるらしい。風車といえばオランダ。キホーテが風車に負けたのは、スペインがオランダに負けたことを意味しているのだとか。

風車がどこにあったのか。小説には書いてないが、ラ・マンチャ地方の「カンポ・デ・クリプターナ」という村だと言われいる。私たちもお定まりのこの村に寄った。

最盛期の16世紀には40基近く並んでいたと言うが、今は10基が残っている(左)。その中の1基は内部が見学できて、粉ひきの様子がわかる。小麦粉を上まで運ぶのは重労働だったらしい。今でも粉ひきの実演をする日があるそうだ。

セルバンテスが泊まったという旅籠は、風車が並んでいる丘の麓のペルト・ラピセという村にある。今はレストランになっているが、概観や中庭にドンキホーテを思わせるグッズや銅像があり、2階には簡単な博物館もある。セルバンテスとドン・キホーテさまさまである。私たちは「ドン・キホーテワイン」を買った。

立派な銅像は、マドリッドにある像だが、他のもご覧いただきたい。正確に言うと、どれもが銅製ではないような気がする。でもマドリッドにあるのは、堂々し過ぎている。もっと痩せ馬や痩せロバに乗っていたのではないか。その意味では下の右端にある像が相応しいような気がする。

 
 
ラ・マンチャ地方の
レストランの中庭
 
レストランに併設されている
博物館内部

博物館にあった
日本の本「風車の冒険」
 
 
メキシコのモレーリア市にある
ドン・キホーテとサンチョ・パンサ

                                                (2016年7月9日 記)

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