イギリスの旅6
 バースとストーンヘンジとオックスフォード

2014年8月16日(土)-11日目

ブリストルは、エイボン川の河口にあり、かつては北米との貿易港として栄えた。今もイギリスを代表する港で、43万人も住んでいる都会。出発前にエイボン川沿いを散歩した。久しぶりの快晴だったので川も教会も輝いていた。

カッスル・クームの壁今日もまた、コッツウオルズの南端に位置するカッスル・クームを訪れた。「イギリスでもっとも古い家並みが保存されている村コンテスト」で入賞した。川があって、橋があって、はちみつ色の壁があって、ハンギングバスケットが飾ってあって(左)・・と同じような村だが、快晴のおかげできれいだった。

1時間半ほど移動して、バースイギリスの旅1の地図参照)に着いた。バースの綴りはbath。風呂の語源にもなった所で、BC850年頃には温泉が発見された。ローマ人の侵入後に、女神ミネルバ(アテナ)に捧げる神殿と浴場を作った。

ローマ人は各地に公共浴場を作ったので、浴場遺跡はあちこちで見た。でもバースのように温泉がある施設は珍しく、ローマ帝国の各地から保養に訪れたそうだ。ローマ帝国の滅亡後は埋もれてしまったが、19世紀に発掘された。今見る施設は再建。博物館には発掘品が展示してあった。

バースの公共浴場 ローマ帝国の版図 ローマ遺跡
 
バースの公共浴場

ローマ帝国の版図
イギリスは帝国の北の果て
 

博物館のローマ遺跡 

スコットランドの古戦場でと同じような日本語のガイディングレシーバーを、貸してくれた。自分のペースで見物できるし、聞きなおすこともできるので、とても有難い。日本の観光地にも導入されているのだろうか。

ローマン・バースの隣にあるバース寺院は、統一イングランド王になったエドガー王が993年に戴冠式を行った由緒ある寺院。戴冠1000年の1993年にエリザベス女王夫妻が訪れた説明が、石に彫ってあった。今の教会は1499年建立。

昼食後、ソールズベリーのストーンヘンジへ。ここも21年前と様変わり。ストーンヘンジから離れたモダンなセンターで、手続きをせねばならない。「いつできたの」と聞いたら「去年」という答えだった。観光客が増えすぎたためか入場調整をしていて、マイクロバスで運んでいる。ここでも日本語のガイディングレシーバーを貸してくれた。

ストーンヘンジ ストーンヘンジ 

大勢が見物している
 

祭場だったのいう説が有力だ
墓としても使われたらしい

巨石の建造物は、紀元前3000年ころに円形の塚と掘りを作ったことに始まる。その後、紀元前2500年頃には、塚に沿って杭が建てられ巨石も置かれるようになった。巨石は30qぐらい離れた地から、青っぽい小さい石は200q先のウェールズから運ばれたようだ。

博物館には、エジプトのピラミッドと同じころに建造されたという展示があった。こう考えると分かりやすい。

約2時間をかけてブリストルに戻ってきた。夕食のレストランはひどかった。味もよくないし、隣室のパーティーが騒々しい。こういうレストランを選ぶ現地の旅行会社のセンスを疑ってしまう。 <ブリストルのシスルホテル泊>

8月17日(日)-12日目


今日は朝から曇り空。今にも降ってきそうだ。ブリストルから1時間半をかけてオックスフォード市に到着。感じのいいおばさんガイドのノルマさんが待っていてくれた。市内見物といっても、オックスフォード大学のカレッジめぐりだけだ。

それにしても混んでいる。どこに行っても目立つのは中国人の若者、中学生ぐらいの団体もいる。将来この大学に留学したい夢を持っているのかもしれないし、ハリーポッターの舞台を見たいのかもしれない。通りのショーウィンドウには「ハリーポッターグッズ」が飾ってあった。ノルマさんに「いつごろからこんなに混むようになったの」と聞いたら、「ここ数年、どんどん増え続けています。私にもお金がたくさん入ります」と笑いながら答えた。

オックスフォードの紋章 マートンカレッジ ペイリオルカレッジの食堂
 
オックスフォード市の紋章
オックス(oxen)が渡る事ができる
浅瀬(ford)という意味

39カレッジのひとつ
皇太子殿下が留学なさった
マートンカレッジ
 

いちばん人気があるベイリオルカレッジの食堂
雅子妃殿下の留学先
 

まずはクライストチャーチへ。チャーチと言ってもカレッジも兼ねている。「不思議な国のアリス」の作者ルイスは、ここの数学の教師だったそうだ。日曜の午前中は見学ができないので、外から眺めた。カレッジの食堂は、「ハリーポッター」の魔法の学校のモデルにもなった。裏側の庭に回ると学生寮があったが、中には入れない。すぐそばの牧草地には羊がいた。身近に自然もあってかつ厳かな雰囲気。エリートが育つ環境が整っている。

すぐ近くにあるマートンカレッジは最古の常設カレッジで1264年に設立。カレッジは土地を持たない存在だったが、マートン以降、常設のカレッジが多くなった。皇太子殿下が留学なさったカレッジ。

次は聖メアリー教会へ、1280年に建てられた塔がある。ガイドブックには景色が良いと書いてあるが、塔の上に上る時間はない。「1200年代から、オックスフォード大学の公式の教会」という説明が書いてあった。宗教改革で削られた柱があったが、何を削ったのか聞きそびれてしまった。

最後は雅子妃殿下が留学していたベイリオルカレッジへ。39のカレッジの中でのいちばん人気だという。倍率も高いらしい。天井が高い食堂には教授や首相の写真が飾ってあった。こんな食堂で食べれば、おのずと品も備わってくるのだろうなと想像する。私の学生時代の食堂とつい比べてしまう。

石畳の道を通って格式あるカレッジめぐりをしているが、夏休みの時期だからここの学生らしき人は皆無。なぜこんな時期の旅行を選んでしまったのだろうと後悔するほど、観光客ばかりだった。説明を聞いても、オックスフォード大学39のカレッジの関係が良く分からなかった。たしかにいえる事は、オックスフォード大学という校舎はない。

昼食後1時間ほどでウィンザー城に着いた。ウィリアム征服王が1066年にイングランドを征服してから王室の宮殿として使われている。今のイギリス王室はウィンザー王朝。

オックスフォーでは天気が悪かったが、ウィンザーに着いたころには青空になった。ヨーロッパの城は地味な色が多いので、青空のもとではよく映える。ヒースロー空港が近いので、5分おきぐらいに航空機が飛び立つ。城と飛行機のツーショットもなかなかいい。

ウィンザー城と飛行機 ウィンザー城 ヴィクトリア女王
 
ウィンザー城はヒースロー空港に
近いので頻繁に飛ぶ

ウィンザー城
これでも一部
 
 
ヴィクトリア女王の銅像

ヴィクトリア女王の銅像で待ち合わせ時間を決め、2時間ほど自由時間になった。ここにもオーディオガイドがあるのでありがたい。今も王室の住まいになっているので、見学できる場所は限られている。ステート・アパートメント、クイーンメアリーの人形館、聖ジョージ礼拝堂の3つだけだ。内部の撮影はできないので、細かいことは思い出せないが、メアリーの人形館の細かい細工は見ごたえがあった。お姫様のための高価なオモチャ。

ウィンザー城から1時間足らずでロンドンに入った。旅の最後に大都会に入る場合が多いが、いつも胸が高鳴ってくる。都会では人間ウオッチングもできるし、街のつくりに魅力を感じる。この日の夕食は、ツアー全員がそろう最後。それもあってか、少し格式の高いレストランだった。ウェイターに黒人がたくさんいた。地方をめぐっているときにはほとんど見かけなかった有色人種が、ロンドンにはたくさんいる。

ホテルは、ハイドパークの一画にあるマーブルアーチの近くだった。場所もいいが、部屋もよかった。旧館に通された人はあまりよくなかったらしいが、エジンバラなどの酷さを思えば、この程度の恩恵はあってもいい。

                    <ロンドンのシスル・マーブルアーチホテル泊>   (2016年2月2日 記)

感想・要望をどうぞ→
次(ロンドンその1)へ
イギリスの旅1へ
ホームへ