フランスの旅6(最終回)

 パリのぶらり旅 3

2012年7月17日(火)-7日目

今日の夜の飛行機で帰国するので、フリータイムは午後3時半までだ。万一集合時刻に遅れたら大変なので、2時半ぐらいに戻るつもりでホテルを早めに出た。


モンマルトルの落書き サクレクール寺院 サクレクール寺院と路地
 
サクレクール駅前
朝が早いので
シャッターが閉まっている
パリの下町風景

 
白っぽい寺院は高台にあるので
パリのあちこちから
よく見える

 
パリの絵描き好みの
路地
ちょうど似顔絵描きの
おじいさんが通った



モンマルトルの白いサクレクール大聖堂は、高台にあることから中心街からでも見える。近くまで行ったことがないので、まずそこを目指した。駅を降りてもまだ商店街のシャッターは閉まっている。シャッターの落書きと薄汚れたビルが、いかにもパリの下町風なので、それだけで嬉しくなってしまった。ユトリロやロートレックの世界だ。

そんな坂道を登っていくにつれ、サクレクール寺院の威容がせまってくる。この聖堂は1870年の普仏戦争と1871年のパリ・コンミューンの犠牲者を悼む目的で作られた。ノートルダム寺院などに比べずっと新しい。教会の内部が撮影禁止になることはめったにないが、なぜかここは禁止だった。毎日いろいろな所を訪ねているので、写真がないとまったく忘れてしまう。

モンマルトルの画家寺院の裏手にあるテルトル広場は、絵描きが集まっていることで有名だ。夫が以前来た時に、ここで日本人から1万円で油絵を買った。サクレクールと路地を描いた絵は額装して今でも飾ってある。彼が有名にでもなれば、1万円で安い買い物をしたことになるが、彼の名前をその後聞くことはない。今日もたくさんの絵描きと似顔絵描きが広場を囲んでいたが、彼はいなかった。

エッフェル塔を描いたモダンな作品があったので、つい買ってしまった。愛想のいいキーさんという女性(左)の絵だ。エッフェル塔はつまらないと思っていたが、パリ3日間でいろいろな角度から見る機会があった。意外な美しさに見惚れたこともあり、今回の旅の思い出にするつもりだ。

エッフェル塔の絵を買った後で、日本人の絵描きに会った。どうせなら日本人から買ってあげてもよかったが、彼の絵は私の好みではなかった。もう30年以上パリに住んでいるという。「ここで描くのはパリ市の許可がいるんです。だからある一定水準以上の力がないとダメなんです」「あっちの方にユトリロが住んだ家など残っているから、歩いてみたらどうですか」など親切に教えてくれた。

サクレクール寺院を入れた路地は、どこでも絵になる。絵になることは写真にもなるということだが、写真の場合は路地にふさわしい人物が欲しい。でもちょっと待っていると、似顔絵のキャンバスを持った老人が現れたりする。


モンマルトルの丘でゆっくり時間を過ごしてもまだ時間はある。遠くから見たことがあるラ・デファンス新凱旋門に行ってみた。「デファンス」で地下鉄を降りると、まったくの別世界が広がっていた。凱旋門はじめモダンなビルがゆったりと並ぶさまは、日本のお台場や豊洲あたりと似ている。

この新凱旋門も革命200年の1989年に建てられた。凱旋門と名前はついているが、ビルの形が似ているということだけで、戦争とはまったく関係ない高層ビルだ。たくさんのオフィスが入っている。夫はここの会議場に来たことがあるらしい。「できてからまだ数年後だったんだなあ」と感慨深げだった。

新凱旋門 凱旋門 カルーゼ凱旋門
 
新凱旋門
戦争とは無関係の
高層オフィスビル


 有名なエトワールの凱旋門
近寄ってみると
彫刻も素晴らしい

 
ルーブル美術館の近くにある
カルーゼ凱旋門
この3つの凱旋門は
一直線になっている

ナポレオンの戴冠凱旋門といえば、よく知られたエトワールの凱旋門のほかに、ルーブル美術館近くにカルーゼル凱旋門がある。ナポレオンがオステルリッツの戦いで勝利した記念に作らせた凱旋門だ。それが小さすぎたので新たに作らせたのが、エトワールにある凱旋門だ。

地図を見るとよくわかるが、この3つの凱旋門は1直線上にある。パリの街が洗練されているのは、こうした緻密な計画に基づいて作られているからだと思う。小さな路地は入り組んでいるが、肝心なところは抑えてある。

新凱旋門の次は、エトワールの凱旋門に向かった。前に来た時は上に登る時間がなかったので、今度は登ろうと思ったが、長蛇の列。

この凱旋門が完成したのは1836年。着工は1806年だが、その間にナポレオンは失脚し1821年にセントヘレナ島で亡くなった。生きて通ることができなかったかわりに、遺体がその門を通ったと、どのガイドブックにも書いてある。

「死後15年も経っているのに、遺体なんておかしいじゃない」とツッコミをいれたくなる。それはともかく、凱旋門に掘られた彫刻をしげしげ見ると美しい。正面左手はナポレオンの戴冠場面(左)。右側は義勇軍の出陣。見上げると細かい彫刻もあった。

 

最後に、3日間乗った地下鉄ウオッチングをメモ風に書いてみた。

26年前の5月、夫がパリで会議が開かれる5日間の昼間を、パリとその近郊を1人で巡るつもりで綿密に計画を立てた。結局その会議は延期になり昼間だけの1人旅はやめたが、パリの地図はしっかりと頭に入っているし、必死で覚えた地下鉄切符の買い方のフランス語まで覚えている。

「地下鉄で巡るパリ」は、そのときのリベンジという意味合いもあった。26年前の計画時にも思ったたが、パリの地下鉄は東京のそれに比べ非常にわかりやすく、2日目ともなるとスイスイといきたいところ。でも、夫は老眼私は近眼なので文字が読みにくく、「2人そろって1人前」だった。地図を眺めている人はスリの獲物だから、夫が地図を見ている間、私は見張り。でも3日間で20回ぐらい乗った車内や構内で、怖い思いは一度もなかった。

★地下鉄は乗り換えも含め、一律料金。泊まったホテルは市のはずれにあるので30分ぐらい乗ったこともあるがそれでも同じ。一日チケットをフルに使えば、100円ちょっとしかかからない。もっとも歴史的なユーロ安のおかげもある。

★地下鉄のエスカレーターは東京周辺と反対で、右側に立つ。ラッシュ時でも左を駆け上がる人はほとんどいないので、押しのけられるような恐怖がない。

★改札口では切符が必要だが、出口はスルーパスなので、他人のすぐ後にぴったりくっつけば無賃乗車ができる。私は長い脚で改札口を飛び越えた黒人を見た。たまたま黒人だったという意味なので誤解しないでもらいたい。ホームにも改札口にも駅員がいないから、お咎めもない。ときどき検札に来て何倍もの罰金をとると聞いているが、一度も検札の人には会わなかった。人件費の方が高くつきそうだ。

★黒人と言えば、通勤時間帯ともなると車内にはたくさんの黒人が乗っている。キング牧師のころのアメリカは、バス前方は白人、後方が黒人という棲み分けがあった。でも今のパリでは気にする風もなく白人と黒人が並んで座っている。差別をしていたら、社会が成り立たないような気がする。

★ほとんどのドアは右が開く。ヨーロッパの車内では「お忘れ物ないように」「譲り合ってお詰めください」「ケータイはお客様の迷惑になります」など、一切余計なことを言わず、駅名だけアナウンスすることで有名だが、左が開く場合は放送が入った。私が下りた駅では、左が開いたのはたった1回。なんと!そのときは日本語でのアナウンスだった。英語もスペイン語もないのに、フランス語と日本語のアナウンス。地下鉄を利用している日本人観光客がいかに多いか。

★日本語のアナウンスといえば、コンコルド広場がある「コンコルド」の地下鉄駅で「スリの被害が多くなっています。気をつけてください」と日本語が流れた。この時は日本語だけ。日本人はよほど餌食になりやすいんだろう。夏休みということもあって、日本の若者にたくさん会った。少なくとも私よりは、しっかりしているように見えるけれど、いったい誰がやられるんだろうか。

「フランクリン・ルーズベルト駅」には、日本のカタカナ表記も見かけた。フランス語しか使わないことで有名だったフランスでねえ。20数年前にパリを訪れた時とは様変わり。お高くとまっていては、やっていけないことが分かったのだろう。

★上の駅名は、アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルト。他にもスターリングラード(ソ連)、ジョージ5世−ジョルジュサンク-(イギリス)、アレクサンドル3世(ロシア)、パブロピカソ(スペイン)など、フランス人でない人物を駅名や橋名につけている。もちろん、元フランス大統領・シャルルドゴールもある。

すべての地下鉄名を分析したわけではないが、単なる地名ではない駅名が多い。バスチーユ牢獄襲撃で始まったフランス革命ゆかりの地は、そのものずばり「バスチーユ」。オペラ座に近い駅は「オペラ」。マドレーヌ寺院に近い駅は「マドレーヌ」。

駅名を聞いているだけで、想像力が膨らんでくる。ツアーバスやタクシーに乗ったらこういう面白さはないので、地下鉄がお奨め。それに近所の友達がパリでタクシーに乗って、あちこち連れまわされて怖かったと話していた。タクシーが安全というのは神話だ!

★車内ではケータイで話す人もいるが、だれも顔をしかめない。ギターの弾き語りが乗ってきて、「キサスキサス」や「禁じられた遊び」を歌った時も、「煩い」と声を張り上げる人もいないし、だからといって拍手喝采もなし。数人がチップを渡しているようだった。みんな大人の対応をしていることに心地よさを感じた。

★おとなの対応といえば、日本にもある折り畳みの椅子がドアのそばにある。ちょっとでも混んでくると、その椅子に座っていた人は立ち上がる。私はこういうとき、ぼんやりしているので、2度も夫に注意された。

 

7月17日(火) パリ発20時→7月18日(水)成田着14時40分

涼しいというより寒かったパリから東京に戻ってきたら猛暑だった。 (2013年10月2日 記)

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