日本史ウオーキング

 1.  はじめに

 3年ほど前のことになるが、高校1年の時から仲良くしているKちゃんに「世界史は少しわかるけど、日本史は、まったくわからない。何も知らずに死んでいくのはイヤだから、教えてほしい」と、大げさな物言いで頼まれた。「日本史を知らなくても、日常生活に差し障りがあるわけじゃなし、いいんじゃないの」と答えたものの、15歳からの友の依頼を無碍に断る理由はない。私も、仕事を店じまいしたばかりで、自由になる時間があった。

 彼女と私は高校1年の時に同じクラスだから、同じ日本史の先生の授業を受けている。私はこの先生の影響で歴史が好きになったが、当時は彼女の琴線には、触れなかったらしい。当然のごとく、私は文系、彼女は理系の大学生活を送った

 寺子屋塾で時々歴史も教えていた私には、中学レベルの歴史なら、わけがない。特別の準備をしなくてすむので「ほんとに何もわからないなら、中学の教科書がちょうど良い」と言いくるめて、かなりレベルの低い「お勉強」を始めることにした。

 Kちゃんと2人だけでは寂しいので、いつも旅を一緒にしているNちゃんも誘い、3冊の教科書を買いそろえた。Nちゃんも同じ高校だが、彼女は日本史を選択しなかったという。3年前といえば、「ゆとりある教育」が叫ばれ、内容を極端にそり落とした教科書が出回った時だ。字は少なく、写真が多く、まるで絵本のような教科書(右上)である

 歴史を学ぶには、実際の史料にあたるに越したことはないが、この歳になってややこしい古文書は、ごめんだ。

 せめて史跡に立つことによって、当時の風を感じたい。人々の日常はどんなだったのか、どんな思いで生活していたのか。風土はどんなだったのか。

 史跡は、数えきれないほどある。教科書の裏表紙に、「日本のおもな史跡」という地図が載っている。左は関東地方を中心にコピーしたものだが、薄っぺらになったと悪評高い教科書すら、これほどたくさんの史跡が載っている。

 全部訪ねるのは、簡単なようでいて、主婦である私達には、適わぬことだ。せめて、各時代の代表的な史跡だけは、見て歩くことにした。

 しかし、この史跡がくせもの。観光バスが押し寄せる史跡もあるが、何もない所に、碑がぽつんと立っているだけの場合もある。バスもタクシーもなく、徒歩しか手段がない地もあった。1日に、3万歩も歩いた日もある。

 こんなことから、日本史を訪ねる旅のHP題名は「日本史ウオーキング」と名付けた。「お勉強」のために、教科書は使うが、ここでそんな事を書いてもつまらない。専門的な考察を述べるつもりも毛頭ない。史跡を訪ねたときの感想や旅日記みたいなものだが、時代順に綴っていこうと思う。

 日本史の時代区分は、教科書に従った。中学の教科書で物足りなくなったKちゃんが、高校の教科書も買ったが、中学教科書と同じ時代区分をとっていた。

 時代区分は、原始時代(旧石器時代→縄文時代→弥生時代)→古代(古墳時代→飛鳥時代→奈良時代→平安時代)→中世(鎌倉時代→室町時代<南北朝時代・戦国時代>)→近世(安土・桃山時代→江戸時代)→近代(明治時代→大正時代→昭和時代<太平洋戦争終了まで>)→現代(昭和時代<太平洋戦争後>→平成時代)となっている。

 これまで2年半に訪ねた地は、旧石器時代の岩宿遺跡、縄文時代の三内丸山遺跡、弥生時代の吉野ヶ里遺跡、古墳時代の大仙古墳(以前は仁徳天皇陵と言われた)などの古墳群、明日香村にある飛鳥時代の遺跡、奈良時代の平城宮跡や寺社である。もちろんこれからも、「時代順の日本史ウオーキング」を続けるつもりだ。

 時代順の旅とはいえ、同じ時代の遺跡が同じ場所に固まっているケースは皆無である。吉野ヶ里に行くために九州に行ったときに、ついでに寄った名護屋城は、戦国時代のものだ。こういう場合は、歴史の時代順に記すことにした。(2005年12月23日 記)

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