カンボジアの旅2 
 

2003年12月30日(火)-3日目

3日目にして、いよいよカンボジアの旅が始まる。左地図はフリー画像から。

添乗員は初々しいOさん。入社2年目とのことだが、メモ書きもよくできているし、大事な説明もぬかりない。明るくて良い添乗員だった。

O嬢を入れても15名の小所帯。1人参加の女性が4人、1人参加の男性が1人。夫婦での参加は、われわれを含め2組。残りの3人は、夫婦と息子。後でわかったのだが、息子は私と同じ大学の同じ学部出身。まだ26歳だが、かろうじて共通の教授の名前2人が一致した。

これから3日間、シェムリアップ付近をまわるが、今日がいちばんのハイライトだ。アンコール・ワットとアンコール・トムという2大遺跡がコースに入っている。

現地ガイドは、ロタ君。カンボジア人には見えない。祖父の代に、中国の南部から移住してきた。中国系だが彼は「僕はカンボジア人です」と、きっぱり語った。迫力に欠けるガイドだが、日本語もまずまず。遺跡の知識もある。でもなにか物足りないのは、25歳の若さゆえに、内乱のことや現在のカンボジア人の生活を語る能力に欠けているからだ。丸3日間も一緒だから、優秀なガイドなら、もっとカンボジアについて深く理解できたような気がする。

シェムリアップ一帯の遺跡群は、どこにもチェックポイントがあり、入場券をチェックする。今日は初日なので、「アンコール遺跡入場証明書」(左)を作成した。前もって旅行会社に写真を送っておいたので、写真入りだ。40ドルもする。カンボジアの物価を考えれば、異常に高いが、国の復興資金にはこの遺跡群がなくてはならないものだろう。

ホテルからアンコール・ワットは近いが、それを右手に見過ごしてバスは進む。午前中は逆光になるので、アンコール・ワット見物は午後にするという。

アンコール・トムの南大門に到着。トムは大きな町の意味だが、なるほど大きい。高さ8b、周囲12キロの城壁で囲まれている。造営したジャヤヴァルマン7世は、大乗仏教に帰依していたので、アンコール・トムは仏教寺院である。

ジャヤヴァルマン7世は、今後も何度も登場するだろう。アンコール朝(クメール朝)最盛期の王である。東はベトナムのチャンパ王国、西はタイのほとんど、南はマレー半島の北部まで版図に入っていた。アンコール・トムも、チャンパ国との戦いに勝利した記念に造営された。

カンボジアのアンコール朝とベトナムのチャンパ王国は、インドシナの2大王国。アンコール・ワットを築いたクメール人と海のシルクロードで活躍した海洋民族チャンパは、インドシナの覇権をめぐって、何度も争ったという。
 
南大門は、写真で見慣れている4面塔(4つの菩薩面が彫られている)が門の頂上を飾る門だ。「あーアンコール・トムに来たのだ」と、この門を見ただけで、感慨がこみあげる。参道の右は悪魔像、左は菩薩像。中型バスがようやく通れるほどの門だ。アンコールトムを造営しはじめたのは1190年。もちろん自動車などない時代だが、中型とはいえ、バスが通れるほどの門は広い。

アンコール・トムの中心にあるのが、バイヨン寺院。南大門から1.5キロもある。夏のような青空。裸同然の子供たち。線香を売りながら仏を守っているおばあさん、占いをしている怪しげな男、高くそびえる木々。そんな中に、菩薩面の4面塔が54基。

 
アンコール・トムの門と菩薩像

 
菩薩4面塔のひとつ
 
木立に囲まれたバイヨン寺院

 
バイヨン寺院
 
線香売りのおばあさん
 
みやげ物屋の前にいた女性


どこを撮っても良い写真になりそうな気がして、写真を撮りまくった。いつものように、できた写真はろくなものではない。なんとか見られるものが、やっと数枚だ。ガイドのロタ君には悪いが説明は素通り。後で本を見ればなんとかなると高をくくっていたが、やはりまじめに聞いた方がいいに決まっている。

バイヨン寺院は、観世音菩薩の4面塔で有名だが、バイヨンだけではなく、後に訪ねたタ・プローム、バンテアイ・クデイなどバイヨン様式の寺に4面塔は共通している。

回廊を飾る壁面のレリーフは実に見事だ。特に第1回廊は、チャパン国との戦いの様子がことこまかに描かれ、当時の服装や髪型もわかる優れもの。当時の人々の息づかいまで聞こえるほどだ。

行軍の食料運搬隊は、座り込んで瓶の酒を飲んでいる。出産シーンもある。闘鶏や将棋、相撲で遊んでいる場面もある。市場では菓子を売る人のかたわらで、食べ過ぎてお腹を押さえている人までいる。ワニや虎に食われるシーンもある。勇ましい戦いの様子も彫られているが、何気ない所作がユーモラスに残っているので、全体的には、笑みがこぼれてしまう。

 
回廊の壁画
 
回廊の壁画


南大門から入ってバイヨンの次がバプーオンというヒンズー寺院。修復中で中に入れず。以前は、バイヨン寺院より高かったという。次が王宮跡。王宮は木造だったので残っていない。

王宮前にある象のテラスも、みものだ。王の前で象の戦いが行われたからこの名がついている。実際に象使いの像がレリーフに彫られている。躍動感があふれ見事だ。

次に続くライ王のテラスは、1996年にフランスによる修復が完成したとか。道理で、迷路のような壁面には群像がきれいに並んでいる。女神像、阿修羅、ガーナ(蛇)などさまざま。なぜライ王と呼ぶのか聞きそびれた。英語ではleperking terraceとなっているから、ライ病に関係あるらしい。たとえジャヤヴァルマン7世がライ病だったとしても、偉大な王のあだ名にするものだろうか。

 
象のテラス

 
ライ王のテラス

昼食「BAIYON1」で。アモック(ココナツミルクで味付けした煮魚)、サバのグリル、水ぎょうざ入りスープ、生春巻きなどいずれもおいしい。

上智大学アンコール遺跡国際人材センター

上智大学卒業生の丸井さんという若い女性がが、説明してくれた。ここに来てからすでに10年ぐらい経つという。上智大学が発掘したバンテアイ・クデイからの千体仏(左)を見せてもらった。このセンターの維持や人件費は、日本政府ではなく、上智大学が出しているそうだ。

少し勇気が要ったが丸井さんに聞いてみた。「上智大がやっていることは、カンボジアに感謝されているのですか?自分の国の文化財を、他国の人が調査をしても怒らないのですか」「むずかしい質問ですね。でも現在のカンボジアには、遺跡を修復したり、勉強する余裕はありませんので・・」と、慎み深い答えが返ってきた。

ホテルで30分ほど休憩。
 
                                         (2019年(16年遅れで)3月16日 記)


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