スロベニア・クロアチアの旅6
 

2004年8月17日(火)-8日目

今日はクロアチアの首都・ザグレブに移動する日だ。ホテルを5時半出発なので、5時にホテルで食事。ろくなものは出ていない。

6時55分に、クロアチア航空でドブロヴニクを出発し、7時50分にザグレブスロベニア・クロアチアの旅1の地図参照)到着。出迎えてくれたのは、セカさんという非常に肥った中年婦人だが、説明はいちばんまともだった。

セカさんは、「オリンピックで日本は活躍してますね。メダルをずいぶんとっている」と話してくれた。クロアチアから近いアテネオリンピックなので時差がない。ホテルのテレビで、日の丸を何回か目にした。「クロアチアはどうですか?水球が強いと聞いたけど」「水球もメダルはとれそうもない」

ドブロヴニクのガイドTK君にサッカーワールドカップでのクロアチアの活躍を話したら、嬉しそうだったが「今はサッカー弱いんです。水球が人気がある」と話していた。オリンピックでメダルがねらえるほど、強いらしいが、日本では馴染みがないスポーツだ。

クロアチアに顕著な産業はなく、観光業にたずさわる人が多い。冬は70%ものホテルが閉鎖されるので、失業者は多い。パラシュートネクタイは、この国が発祥の地。万年筆もペンカラさんというクロアチア人の発明だという。

左は散歩中に見かけた「クロアタ」というネクタイ専門店のロゴ。ヨーロッパの30年戦争(1618~48)の時のクロアチアの軍装がネクタイの起源。

ザグレブには、全人口の約5分の1にあたる、およそ100万人が住んでいる。ここにきて、MITSUBISHIやNISSANなどの日本の広告が目立つ。

空港からしばらく走り、市内に入った。市内は、11世紀の街、13世紀の街、19世紀の街に大きく分かれている。見どころは、11世紀と13世紀の街に集中している。

セカさんがガイドしてくれた所は、丘の上に広がる旧市街である。聖マルコ教会は、修理中で内部の見学はできなかったが、屋根のモザイク模様が印象的な教会だ。モザイクの屋根は、ブダペストのマーチューシャ教会と似ている。向かって左は、クロアチア王国、ダルマチア地方、スロベニアを表す紋章、右はザグレブ市の紋章がモザイクで施されている。13世紀の教会だが、今ある建物や紋章は1880年の復元。聖マルコは、ヴェネチアの守護聖人なのに、なぜ?と思うが理由は聞きそびれた。

次は石の門という城壁の門へ。木造の門だったが、今は石で作られている。あえて「石の門」と呼ぶ理由はわからないが、門の内部に聖母マリアの礼拝堂があり、ろうそくや花を捧げて祈る人が大勢いた。礼拝堂が火事で焼けた時に、マリア像だけは無事だったとか。カトリックの国は、マリアの奇跡にまつわる話がやたら多い。

 
聖マルコ教会
左はクロアチアなどの紋章 右はザグレブの紋章

 
石の門

共和国広場は、イエラリッチ広場ともいう。イエラリッチの像が真ん中に据えられている。クロアチアの独立など、節目節目に大勢の人が集まった広場だ。ザグレブは、溝・堀という意味だが、丘の上の旧市街から見ると、この広場が溝にあたっていたので、この市にザグレブの名がついた。

 
共和国広場のイエラリッチ像
 
広場で音楽を奏でる老人


ここの青果市場も、野菜や果物が豊富で安い。分銅秤を使っていることも、これまで見てきた市場と同じだ。青果市場を取り巻くようにして、レース編み、衣服、雑貨を売る露天商が、軒を連ねている。洒落た物はないが、活気があり面白い。

市場の隣に建つ聖ステファン寺院へ。この寺院の104㍍と105㍍の2本の尖塔が、市街地のどこからでも見え、ザグレブのシンボルになっている。イタリアのミラノの尖塔は108㍍。それに次ぐ高さ。

 
聖ステファン寺院の2本の尖塔

 
寺院の内部


本来の寺院は13世紀から18世紀に建てられたが、1880年の大地震後に、ネオゴシック様式で再建された。内部は、ルネッサンス様式の祭壇、バロックの説教壇など。聖ステファンは、カトリック教徒にはお馴染みの聖人らしい。ウイーンにも聖ステファン寺院がある。オーストリー、スイス、イタリアでは12月26日、クリスマスの翌日が聖ステファンの日で、祝日になっている。

寺院の向かい側にあるレストランで昼食(きのこのスープ、豚肉、りんごのパイ)。

    (実際の旅行より16年遅れの2020年6月16日 記)

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