スロベニア・クロアチアの旅7(最終回) 2004年8月17日(火)-8日目 昼食後にホテルに直行。今回の旅でもっとも上等なホテル、シェラトンだ。7時の夕食まで自由行動なので、休憩もとらず、市内散策に出かけた。ホテルから近いトラムの停留所は「シェラトン」。トラムを使えば、あちこち行けそうだが、歩いてもそう遠くないので、結局トラムには乗らずじまい。
今日も日差しは強く日向を歩くと暑いが、木陰に入ると涼しい。公園に温度計や湿度計が設置してあったが、気温は31度ながら、湿度が20%だった。 ザグレブは「小ウイーン」とも言われるほどきれいな街だ。旧共産圏ゆえ、もっと薄汚い街を想像していたが、どうしてどうして、建物も公園も道路もきれいだ。なかでも広い緑地帯が素晴らしい。ガイドブックにある建物と実際を確かめながら、歩き回った。銅像がたくさんあるが、残念ながら、馴染みの人物はいない。クロアチアの歴史なぞ習っていないので当然だ。 ユーゴスラビア連邦を作ったチトー大統領だけは、私も知っている。チトーが生まれたのは、クロアチアの小さな村だというから、まさにお膝元だと思うが、「チトー広場」には銅像はなかった。広場にあったのは、聖ジョージ像。聖ジョージ像は旧市街にもあったが、竜を退治した英雄とのことだ。竜をシンボルにしているかと思えば、竜退治の英雄がいる。わけがわからない。
博物館のひとつ「美術工芸博物館」に入ってみた。期待していなかったが、工芸品の素晴らしさに目を奪われた。オーストリーハンガリー帝国の頃の名残か。各部屋にいる館員は、客も少ないのでだらけている。客の前でリンゴなど囓っているが、東洋人がめずらしいのか、親切だ。
ただし、説明書きはクロアチア語だけ。英語の説明がないのは珍しいが、社会主義の国だったことを思えば不思議はない。ここで、英語が流暢な21歳のアルバイト学生に会った。専攻は美術史だというが、内戦のことなどよくしゃべってくれた。実にしっかりしている好青年だった。 夕食はホテルでディナー(海鮮の前菜、豚肉の薄切り、アイスクリーム)。今回の旅で、ホテルでの食事は、これが最初で最後だが、シェラトンホテルのディナーにしては、おいしくなかった。 <ザグレブのシェラトンホテル泊> 8月18日(水)19日(木)-9日目・10日目 今日は午後3時の集合まで、朝から自由行動だ。自由行動が多いのは嬉しい。きのう訪れた旧市街まで歩いていった。マーケットは相変わらず大にぎわいだが、そのかたわらで、衣類を持って立ちんぼしている女性がたくさんいた。露店も出さす、立ち売りだ。貧しい層が多いのだろう。市街地には赤ちゃんを抱いた乞食も見かけた。社会主義の頃は、乞食はいなかったにちがいない。
帰国後に、クロアチアの旅行記のテレビを見た。その中で、クロアチア独特の絵画・ナイーブアートを紹介していた。ガラスの上に、田園風景など描いたものだ。歴史博物館のそばにナイーブアートの美術館があったが、なんたるかを知らなかったので、入館しないで残念だった。
(実際の旅より16年遅れの 2020年7月2日 記) 想・要望をどうぞ→ホームへ |