ローマの旅6(最終回)
 

連泊したホテルはテルミニ駅から徒歩5分と、便利な場所にある。また映画の話題で恐縮だが、モンゴメリークリフとジェニファージョーンズ主演の「終着駅」の舞台になった駅だ。映画の原題はStazione Termini(テルミニ駅)。そっけいない原題だが、日本では大ヒットし私も胸をときめかしたものだ。


 ローマの終着駅「テルミニ駅」

 
テルミニ駅ホーム 中には入れなかった

ヨーロッパの駅には改札がない場合が多い。時間があると駅に行ってみたくなる私は、テルミニ駅のプラットフォームで列車の発着を見たいと思った。ところが今回は入口に係員がいて切符を持ってないと入れない。自動改札口を作る余裕がないらしく人力だ。テロ防止にやっきになっているのだから当たり前なのだが、情緒がなくなってしまった。

「システムを作りかえる余裕がないのよ」とガイドのガブリエラさんは言うのだが、ローマの地下鉄は1駅でも全線乗っても均一料金だ。私達は7日間地下鉄とバスとトロリーバス乗り放題の券(左)をあらかじめ旅行会社が用意してくれたので、1駅であろうが、「損をした」という感覚はない。7日間で24ユーロ。

乗る時には改札口で券を入れるが、出る時には券が必要ない。ローマ名物の物乞いやスリがたくさん乗っているが、彼らは少なくても1回は買わねばならないが、一日中車内を移動して稼ぐことが可能だ。もっとも日本の地下鉄とて1駅分さえ買えば、乗り換えしない限り1日中でも乗っていることができる。


 
地下鉄車内。つり革がないので握り棒がたくさんある
 
夕方の車内。いずこも同じスマフォに夢中



「乗る距離で乗車運賃を変えるなどIT技術を使えばなんでもないことなのに。出口でも券を入れればいいのよ」とガブリエラさんに言ったら、返って来た言葉が「システムを作りかえるお金がない」だった。長い目で見たらその程度の費用はペイできると思うのだが、財政破綻しているということは、こういうことなのかもしれない。

ガブリエラさんは続ける。「コロッセオも最近きれいになったでしょ。でもこれも市ではお金が出せないので、ある実業家が負担したのよ」。歩き回っていると、ローマはどうみても貧乏くさい。駐車場がないので、路駐の車がひしめきあっている。ぶつけられるからか、きれいに磨かれた車はほとんど見かけない。地下は遺跡だらけなので地下駐車場が作れないし、外観上から屋上にも作れない。

もっと不可解なのは、バスは乗る時も降りる時もフリーパス。たまに係員が調べに来て無賃乗車の場合は何倍ものお金を要求するらしいが、少なくとも私は、こういう場面に出会ったことはない。その人件費の方が勿体ないと考えているのかもしれない。観光客は1日乗車券や7日乗車券(24ユーロ)を買うのが普通。サラリーマンも定期券ごときものを持っていると聞いたが、すべてが持っているのかどうかは信用できない。

市の中心部から40分ほど乗るアッピア街道方面にバスで行ったことがある。そんなときはアル中の男や愛想よく話しかける農婦が乗ってきた。「あの人たちは絶対に無料で乗ってるよね」と夫と私の意見が一致した。こんな田舎に係員が調べにくるなんて考えられないからだ。

何度も乗ったバスなのに、バスの写真を撮ってない。ホテルのレストランから外部を撮った写真にやっと1台が写っていた。バスの上部にある教会は有名な「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂。ローマの4大聖堂のひとつ。連泊したホテルの真ん前にあるので何度もその美しい姿を目の当たりにした。

 
ホテルのレストランから外部を撮った。やっと見つけたバスの写真

 
ライトアップされた「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」

縦横無尽に走り回っているバスのすべてに、改札口ごときものを作るとなると、その費用は地下鉄の出口改札を作るよりはるかにかかる。気が遠くなりそうだ。こうした遅れた市に比べると、あらためて日本のシステムに感心してしまう。バスに車掌がいなくなった時期には、取りっぱぐれがないシステムを導入していたことになる。

それにしてもローマのスリは聞きしに勝る。団体行動の時も何回もバスや地下鉄に乗ることがあったが、ガブリエルさんが「あの人はスリです。気をつけて!」と叫ぶ。しょっちゅう乗ってるガイドだけに顔を知っているのか、様子から分かるのか。夫も小型リュックのジッパーを開けられそうになったが、すぐに気づき事なきを得た。リュックには貴重品は入れてないが気分のいいものではない。

 

ローマの旅旅行記の最後に、かつてのローマ帝国をふりかえってみることにする。下の地図は紀元117年ハドリアヌス帝のいちばん領土が広がったときのローマ帝国。




いちばん領土が広かったときのローマ帝国には、今のスペイン、ポルトガル、フランス、イギリス、ギリシャ、ルーマニア、ブルガリア、クロアチアなどヨーロッパの国以外にエジプト、リビア、アルジェリア、モロッコ、チュニジアなど北アフリカの国、トルコ、シリア、レバノンなども含まれている。ヨーロッパでも北欧やドイツやアイルランドはローマに征服されなかったので、ローマ遺跡はない。

こういう事実を学校では習ったのだが、ぴんと来ていなかった。最初に実感したのは、トルコのイスタンブールでローマ時代の水道橋を見た時だった。これを皮切りにフランスでポンデユガール、スペインではセゴビアとタラゴナで見た。
「ローマ帝国ってこういう事だったのね」と自分で納得したものだ。同じように円形劇場もあちこちで見た。思えば円形劇場を最初に目にしたのもトルコだった。

ふと考えると本家本元のローマには円形劇場はコロッセオとして残っているが、はたして水道橋はあるのだろうか。アッピア街道に行くためにガイドブックをめくっていて、アッピアから割と近い場所に水道橋が残っていることを知った。
車や自転車ならすぐ行けそうだが、徒歩の旅はそうもいかない。アッピア街道に行った日の午後に、地下鉄を使い行って来た。


地下鉄A線のスバウグスタ駅から歩いても10分ほどだ。ローマもここまで来るともう田舎と言えるほどののんびりしている。笠松の並木と朽ちかけた水道橋と青空がなんとも言えず、きれいだった。もちろん無料で橋の真下まで行けるし土産物屋もない。

ローマ帝国の中心地は今のローマだったが、5賢帝のトライアヌスとハドリアヌスはヒスパニア(今のスペイン)出身、アントニウスはガリア(フランス)出身である。キリスト教を公認したコンスタンティヌス帝もビザンチウム(トルコ)の出身。このように考えると、ローマ人はかなり寛容な国民だったようだ。

ひるがえって今の世界情勢で言えば、かつては文化も共有していたであろう地中海沿岸の国が、地中海で分断されている。片やキリスト教圏、片やイスラム教圏。かつては同じローマ帝国に属していた国々が衝突している。人間はやっかいな動物だなと思わないわけにはいかない。  (2017年10月16日 記)

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