2019年4月2日(火)〜4月9日(火)


チャーター便 
ウズベキスタンってどんな国?
宗教・人種・コミル君
バザール・民族舞踊・紙すき
サマルカンドのモスクとメドレセその1
サマルカンドその2とシャフリサブス
ブハラ
ヒヴァとタシケント


ウズベキスタンの旅1
 

いつものような日程順の旅行記ではなく、今回は印象に残ったことを項目にしてまとめることにした。

簡単な日程

ウズベキスタンの旅は左地図にあるように、まずサマルカンドまで飛行機。次はバスでブハラまで。ブハラからヒヴァもバス移動。次のタシケントまでは飛行機である。

日本からウズベキスタンに行く場合、首都のタシケントまで飛ぶのが普通である。古都と言われるサマルカンド・ブハラ・ヒヴァには、タシケントからさらに移動することが多かった。しかし、最近サマルカンドまで直行のチャーター便が運行されるようになった。直行便でわずか9時間だと、どの旅行会社も便利さを強調している。

3都市に2泊という日程的にも割りと楽ということで、このコースを主催する旅行会社がたくさんある。


・4月2日(火) 成田発(11時5分発)→ウズベキスタン航空で→サマルカンド(16時35分着) 時差は4時間なので
          9時間30分のフライト <サマルカンド エミールハン泊>

・4月3日(水) サマルカンド市内観光(モスク、メドレセ、廟、バザール、紙すき工房、 民族舞踊ショー) 
           <サマルカンド エミールハン泊>

・4月4日(木) シャフリサブスへ190km移動 シャフリサブス観光(宮殿跡など) ブハラへ290km移動  
           <ブハラ モダリハン泊>

・4月5日(金) ブハラ市内観光(アルク城、モスク、メドレセ 民族ショー)    <ブハラ モダリハン泊>

・4月6日(土) ヒヴァへ450km移動 途中 チャイハナで昼食 ヒヴァのイチャンカラの一部(カルタ・ミナルなど)観光
            <ヒヴァのアジア・ヒヴァ泊>

・4月7日(日) 91km移動してカラカルバクスタン観光(トプラクカラ、アヤズカラ) 
         ヒヴァに戻ってイチャンカラ観光(モスク、メドレセ)        <ヒヴァのアジア・ヒヴァ泊>

・4月8日(月)-9日(火) ウルゲンチ発(11時20分)→ウズベキスタン航空→タシケント着(12時30分)
         タシケント市内観光(工芸博物館、ナボイ劇場、ティムール広場、日本人墓地・スーパーマーケット)
         タシケント発(21時5分)→ウズベキスタン航空→成田(8時55分着)

なぜウズベキスタンに?

「ウズベキスタンって、どこにあるの?」「イスラムの国でしょう。危なくないの?」と怪訝な顔をされるのは必至なので、少数の人にしか行き先を言わなかった。

でも私の中ではいつもウズベキスタンは「行きたい国」だった。20年以上も前、エジプトで知り合ったTさんが、プリントした写真を貼った手書きのウズベキスタン旅行記を送ってくれた。手作り旅行記で見た青いモスクをぜひこの目で確かめたいと思っていた。

この国はシルクロードのオアシス。西洋と東洋を結ぶ陸の要衝だった。もちろん今はその役目をしていないが、昔日の面影はあるだろうか。興味はつきない。

左地図の黄色い部分がウズベキスタン。隣国のカザフスタン、トルクメニスタン、タジキスタン、キルギスと共に中央アジアの国である。その中心をなすのがウズベキスタンだ。


2年前に都筑区の国際交流の催しで、日本人と結婚して都筑に住んでいるウズベキスタン女性に会った。「危ないことは何もありません。ぜひ訪ねてください」と薦められた。そして去年、書道家の濱ア道子さんの展覧会場に、ウズベキスタンの大使館員がいらして「日本とウズベキスタンの交流が20年以上になり、濱アさんも国際交流で現地の人に書道の手ほどきをしている」という話をした。こうなったら、行かずばなるまい。それに去年からビザが必要がなくなった。

チャーター便

旅行会社のパンフレットを見ていたら「最大の観光都市サマルカンドまで乗り換えなしのチャーター便」の文字が飛び込んできた。飛行機による長時間の移動がつらくなっているので、乗り換えによる待ち時間は嫌だ。首都のタシケント経由だと14時間かかるサマルカンドまで9時間だという。

チャーター便には私が利用したT社、J社、H社といずれも安いことで有名なツアーがそれぞれ数組。少しグレードが高いW社のツアーも混在していた。ほかにウズベキスタンと親善試合に赴くサッカーチーム。J2のヴァンフォーレ甲府の育成組織に属している中高生とその指導者。機種のB767(左)は260人乗りと小ぶりなので満席である。

ツアーの場合は、同じような観光スポットをめぐり帰りも同じ便。バッティングしないように出発時間をずらすなど工夫しているとはいえ、あちこちですれ違うので、他のグループとお互いに情報交換をする。

このチャーター便の企画会社は、旅行会社としては弱小のW社と想像できる。会社の規模は小さいが、添乗員が親切で年寄りが参加しやすいことに加え、きめ細かい企画することで知る人ぞ知る。ウズベキスタンの観光に太いパイプを持っているのだろう。

サマルカンドやブハラでの歓迎の催しでは、正面席はW社のツアーに割り当てられていて、われわれはいつも側面席だった。挨拶もW社の社員がしていたので、この会社がチャーター便ツアーのまとめ役らしい。

初日のサマルカンドでの歓迎会には、日本大使がタシケントから駆けつけて、日本語とロシア語で挨拶をしていた(左)。

空港に着いた時には、歓迎の音楽が奏でられ、ひとひとりにナッツの詰め物もくれた。

今年は,、こういったチャーター便が成田ばかりか関西を含め17便も出る。飛躍的に観光客が伸びそうだ。ちなみに、日本人は3年前には4,000人ほどだったが、去年は17,500人。
     (2019年9月16日記)


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