ウズベキスタンの旅7
 

ブハラの黄金期は9世紀から始まるサーマーン朝の時。イスラム世界の文化的中心地として栄えたが、1220年のチンギス・ハーンの侵略で破壊された。16世紀のシャイバニ朝によって再建され、その頃の街並みとほとんど変わっていないそうだ。

イスマイール・サーマーニ廟

イスラム初期の建築様式 943年建立で、中央アジアに現存する最古のモスク。19種類のレンガを積み上げているので、世界の建築家が注目している。

チャシュマ・アイユブ廟

預言者ヨブがここで杖をたたいたら泉が湧き出たとう伝説がある。今も水が湧いている。コップまで用意されていたが
コミル君は「みなさんはお腹をこわすから飲まないように」と釘をさした。

 
イスマイール・サーマー廟の内部  レンガで作られ非常に美しい

 チャシュマ・アイユブ病の湧き水


アルク城

アルクは「城」の意味。このあたりが古代ブハラ発祥の地。今のは18世紀建立。1920年にソ連に侵略されるまでは歴代ブハラのハンの居城だった。

 
ブハラの歴代ハンの居城だったアルク城
 
アルク城の内部は広い  ウズベキスタン人も観光


バラハウズ・モスク

アルク城の前にあるハン専用のモスク。胡桃の柱が20本並ぶテラスとカラフルな天井は、青を見慣れた身には、新鮮に写った。

 
バラハウズ・モスクと池


 バラハウズ・モスクの天井

カラーン・ミナレットとカラーン・モスク

カラーンは大きいという意味で高さ46メートルで、ブハラではもっとも高いミナレット。このミナレットにつながるカラーン・モスクもブハラ最大で1万人が入れた。ソ連時代には倉庫になったが、独立後は礼拝所に戻った。金曜日の礼拝には大勢が集まるというが、見学時はガランとしている。288の丸屋根があり、柱も208本ある。高い所から見る丸屋根は、たこ焼き器のように見えた。

 
カラーン・ミナレット

 
カラーン・モスクの庭


ウルグベグ・メドレセ

中央アジアで最古の神学校 1418年建立

アブドウールアジス・ハン・メドレセ

ウルグベグ・メドレセの200年後建立の神学校。この神学校は、実際に学生が学んでいるので、内部は見学できなかった。覗き見したら、学生が本を片手に勉強していた。このように、イスラム教の伝統は引き継がれてはいる。

 
 
中央アジア最古の神学校 ウズベグ・メドレセ

 
今も神学校のアブドウールアジス・ハン・メドレセ
外から覗いたら必死に暗記していた


ナディール・ディヴァンベギ・メドレセ

1622年建立のメドレセ。キャラバンサライとして建て始めたが、メドレセに変更。ラクダに乗った神学者のユーモラスな像があるのは、キャラバンサライの名残なのか?入り口のタイルは2羽の鳳凰が白い鹿をつかんで太陽に向かって飛んでいる絵。イスラム教は偶像禁止だが、このメドレセには動物と人物が描かれている。サマルカンドのメドレセに続き、幾何学模様以外のタイルは2回目だ。

この旧メドレセの中庭で民族踊りとファッションショーがあった。驚くほど美人ぞろい。


動物と人物が描かれているメドレセ
イスラム教は偶像禁止なので珍しい

 
ナディール・ディヴァンベギ・メドレセの前にある
ラクダに乗った神学者の像

                                                        (2019年12月16日 記)