八戸のえんぶり祭りと青森屋の旅 3 2020年2月19日(水)-2日目 バスで根城に行った。八戸行きを計画した時は、八戸に100名城のひとつ根城があることを知らなかった。でも知ってしまったからには、この城を見たい。そのうえ、この根城で撮影会がある。
撮影会は予想通り、三脚や脚立をもったアマチュアカメラマンでいっぱいだった。撮影が目的だから「みなさん遠慮なくカメラを向けてください。良い写真を撮ってくださいね」と組の代表の挨拶も愛想がいい。主殿の前で30分、場所を変えて30分。見覚えがある人がいるなと思ったら、前日の夜「お庭えんぶり」で見た重地の組だった。2月とは思えない青空の下での演舞は、「情緒に欠けるなあ」「冬の風物詩とは言えないなあ」と独り言。大雨でも降ったらがっかりするのに、我ながら身勝手だ。
隣接している八戸市博物館へ。博物館前には根城を築いた南部師行の騎馬像があった。縄文時代、蝦夷と呼ばれたころ、北奥羽の拠点・根城があったころ、江戸時代の1664年に誕生した南部氏の八戸藩などが時系列に展示され分かりやすかった。 史跡を案内してくれたガイドと「1334年から江戸時代終わりまでずっと、ずっと南部氏が支配していたんですね。これって珍しいですね」「そうです。鹿児島の島津といわきの相馬氏と南部氏だけだと言われています」という会話があった。 私は東北で育ったのに八戸が2万石の城下町だったことを知らなかった。南部と言えば盛岡と思い込んでいたからだ。八戸は漁業の町、工業の町という認識だった。中心部はきちんと区画され、三日町、六日町、十三日町、大工町、鍛冶丁、馬場丁など城下町を思わせる町名が残っている。
特別展として、ひな人形の展示とえんぶりの展示があった。たまたま博物館員によるギャラリートーク。「えんぶりは鎌倉時代に南部の殿様が始めたとか源義経が始めたなど言い伝えはありますが、確かな証拠はありません。江戸時代の1715年の藩の日誌に残っているのが、記録としては古いものです」と、いかにも博物館員らしい説明だった。
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