行きあたりばったり銅像めぐり
 18回

 唐津の曳子の像

 今回の銅像めぐりは、佐賀県唐津市の右写真「曳子の像」。10月17日から19日まで、佐賀県に行ってきた。この春から「歴史を訪ねる旅」をしている。「銅像めぐり」とは別な項目でアップするつもりだが、もう少しお待ちいただきたい。

 旧石器時代の「岩宿遺跡」、縄文時代の「三内丸山遺跡」とくれば、弥生時代の「吉野ヶ里遺跡」に行かずばなるまい。ということで、Kちゃんの誕生日割引を使って、福岡空港に飛んだ。同行者はKちゃんとNちゃん。いつものごとく、大義名分の吉野ヶ里はほどほどにして、他の見たい所を回る。

 福岡空港から1時間強で、唐津駅に着いた。唐津は、城下町だったが、駅前には武将の銅像はない。大久保、松平、土井、水野、小笠原など譜代大名が、代わる代わる治めていたので、外様大名のように、藩民に親しまれていないのだろう。

 17日は唐津からすぐ呼子に向かったのだが、呼子にも、隣接する名護屋城にも、銅像はおろか、レリーフもなかった。銅像めぐりに、銅像らしきものがないとあっては話が進まない。名護屋城址は想像していたよりはるかに壮大な史跡だった。Kちゃんに「今度の旅のベスト3は名護屋城」と言わしめたほどだが、別の機会に書きたい。

 18日朝から唐津市内を散策した。唐津で見つけた像はいくつかあるが、誰もが知っているようなものではない。駅前でいちばん堂々としていたのが、この曳山の像(左)だったことを考えると、唐津最大の呼び物は「唐津くんち」なのかもしれない。祭りは、11月2日から4日まで。もうすぐ始まる。

 曳山の展示場もあったが、見学する時間がなかった。祭りはもちろん見ていないので、パンフレットの記述を借りる。

唐津と「唐津くんち」は切っても切れない仲。開幕の「宵山」から翌日の「御旅所神幸」、最終日の「町廻り」まで、町も人もくんち一色に染まります。そろいの法被を着た曳き子たちが町内を曳き廻ります。14台の曳山が走るダイナミックな躍動感は超圧巻。

 唐津は小さいながら、城下町の面影を色濃く残している。駅前から唐津城まで歩いてもわずか。朝市の魚売りおばさんと話したり、北原白秋らが泊まった宿や、「時の太鼓」を確かめながらの散策は気分がいい。肥後堀、大名小路、材木町、呉服町、刀町など城下町独特の名前が残っていて、実に楽しかった。

 唐津城は、海に面して建っている。昭和41年の再建なので、時代考証をしているとは限らないが、博物館と展望台だと思えば、気にもならない。(右写真)
 
 別名舞鶴城。舞鶴市は京都府にあるし、この城の姿を見ても鶴が舞っているようには見えない。受付嬢に「なぜ舞鶴なの?」と聞いてみた。「なぜかまでは分かりません」。こんな投げやりな答えに慣れているとはいえ、「毎日勤務していて不思議に思わないのかしら」とブツブツ言いながら、見て回った。

 鎧、兜、刀の定番以外では、唐津焼きの展示が目の保養になった。特に茶碗の底に十字架を刻んだ「隠れキリシタン」の茶碗がいくつかあり(左)、興味がそそられた。九州には、隠れキリシタンが多かったのだろう。

上階からの唐津湾の展望は、これを見ただけでも400円の入場料を払う価値があると思わせるものだった。呼子に行く時のバスで隣り合わせた地元の人は、「このあたりの海は、今の季節が、いちばん青くて綺麗、良い時に来ましたよ」と話してくれた。彼女の言うとおり、空も海も青かった。夏のエーゲ海にも劣らないような気がした。

 眺望に満足して下りてきたら、受付嬢が待っていた。「先ほどの舞鶴城ですが、由来がわかりました。城を中心にして、左右に広がっている海岸線が、上から見るとあたかも鶴が舞っているように見えるからです」と嬉しそうに報告してくれた。いまどき珍しいお嬢さんだ。

 たしかに海岸線が美しい。三大松原の「虹の松原」も右手に見えた。ちなみに他のふたつは、三保の松原と天橋立。

 右の写真で、海の青さと松林を実感できるだろうか。お椀を伏せたような台形の島は「高島」。周囲3キロの島だが、船も通っている。島に「宝当神社」があるので、宝くじファンならずとも、参拝したくなる。今回はもちろん、時間がなかった。(2003年10月29日 記)

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