| ヨルダン・シリア・レバノンの旅 5 2005年1月14日(金)-4日目 ペトラを駆け抜けていった人種は、さまざま。ここも、文明の十字路と呼ぶに相応しい地である。BC7世紀以来、エドム人の地だったが、エドム人がエルサレムに移動したので、ナバティア人が移動してきた。 エドム人は、アブラハムとサラの子・イサクの子孫だと言わる。「バビロン捕囚」でユダヤ人がいなくなったエルサレムに移動するのは、自然の成り行きだ。 BC3世紀からAD1世紀までは、ナバティア人の都。このナバティア王国時代は、ヨルダンの歴史の中でひときわ輝かしいが、トラヤヌス帝の時(106年)に、ローマの支配下に入ってしまった。 4世紀からの300年間は、ビザンチン帝国の支配下。ヘレニズム・ローマ神殿の多くは、キリスト教の教会に改築された。 人類の興亡とはこういうことかと、身を以て経験できる場でもある。749年の大地震で歴史から忘れられてしまったが、1812年にスイス人により発見された。 ホテルから遺跡の入口までは歩いて数分。中に入ったとたん、階段墳墓・オベリスク墳墓などが目に入り、今後の遺跡群に期待が高まる。ナバティア人は死後の世界を信じていたので、立派な祠や墓を作ったという。いちいちこんな所で止まっていたら、前に進まないからか、あっさりした説明しかない。 しばらくすると、急に景観が変わってくる。狭い道、裂け目という意味の、シークと呼ばれる道の出現だ。シークの両側は、バラ色の砂岩や縞模様の緑色の岩で囲まれている。岩の高さは90メートルもあるので、まるで谷底を歩いている感じだ。時折、客を乗せた馬や馬車が猛スピードで駆け抜けていく。(右上の写真) シークの長さは1216bだから、歩いてもわずか。私達はもちろん歩いたのだが、この谷底を歩かなければ、エルカズネを見た感動は薄れるような気がする。 突然、岩の裂け目からエルカズネが現れた(左下)。暗いシークから眺めた朝日に輝くエルカズネは、一生忘れられそうにない。映画「インディ・ジョーンズ」は、ペトラでロケをしたと聞いている。私はビデオすら見ていないが、たっぷりエルカズネが写っているという話だ。 ![]() エルカズネ(右上)は、神殿のように見えるが、BC1世紀のナボダス1世の墓かファラオの宝庫と言われる。墓か宝庫かの区別ぐらいつきそうなものだが、まだ研究が進んでいないのだろう。彫刻は、イシス神、スフィンクス、アマゾネス、ナイキなど。エジプトありギリシャありの混合ぶりの泥臭さが、なんとも言えない。 本やテレビでペトラ遺跡を紹介する場合は、エルカズネだけのことが多いが、実はもっともっと奥が深い。ツアーによっては、ここだけで帰ってしまう場合もあるという。 砂の色が緑・赤・茶・黒・黄とバラエティに富んでいるので、こんな砂絵ができるのだが、微妙な技に感心してしまった。 ベドウィンは大ざっぱな人種と言われるが、どうしてどうして器用である。記念に一瓶買ってきた(左)。帰国するまでに、絵がくずれてしまうかもしれないと思ったが、杞憂に終わった。 ネットでの知人・ゆかり草さんが教えてくれたのだが、「愛・地球博」のヨルダン館で、砂絵の実演をしているという。 外観の特徴から、宮殿墳墓・コリント式墳墓・シルクの墳墓・壺の墳墓と言われる。 いずれも、岩をくり抜き、彫刻が施され見事なものだ。ナバティア人が死後の世界を信じていた証である。
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