| エジプトの旅 4 ルクソールの西側には、ファラオ(王)ばかりでなく、王妃、王子、貴族、高級官僚、神官など支配者階級の墓だけでも800以上あり、一帯は「王家の谷」「王妃の谷」・・と呼ばれています。墓のほとんどが地下にあるために、草木もなければ、ビルもなく、ただただ茶色の世界。もちろん住民の姿もありません。上の写真のように、まさに「死者の町」です。 ツタンカーメンの名は今でこそ知らない人は少ないと思いますが、以前は全く無名のファラオでした。墓の存在を信じていたイギリス人カーターが、カーナボン卿から金銭的援助を受けて、数年がかりで墓の入り口を見つけたのでした。1922年11月4日。ちょうど80年前のことです。発掘にまつわる苦労話や「ファラオの呪い」などの逸話に関する本は、たくさん出版されています。 見えにくい場所にあったために盗掘されずに、副葬品の数々がそのまま残りました。無名でしかも17歳で急死したファラオでも、これほど豪華な副葬品。ラムセス2世やトトメス3世など強大ファラオの場合は、いかばかりかと思います。 ツタンカーメンの墓では、副葬品以外に、花束やエンドウ豆も見つかっています。その豆は、1956年にアメリカ経由で日本にもたらされ、「ツタンカーメンのえんどう」として、日本でも繁殖しています。私も友達に分けてもらい、プランターに植えました。縄文時代の「大賀蓮」もきれいですが、「3300年前のツタンカーメンの豆ご飯」は、ほんのり紫色に色づき、美味でした。 クフ王はおよそ4500年前、ツタンカーメン王はおよそ3300年前。2人の間には1200年もへだたりがあります。ピラミッドと壁画の混同は、1200年の歴史を無視したことだったのでした。 (2002年11月2日記) 感想・要望をどうぞ→ エジプトの旅 1へ 次へ ホームへ |