アメリカの旅10 (最終回)
 ニューヨーク2

2014年6月1日(日)-13日目

泊まったホテルは、夕食も朝食も出さない。というより厨房の設備がないらしい。徒歩3分にあるカフェで、パンと卵とコーヒーだけの朝食をとった。寒くも暑くもない今だからいいけれど、悪天候だったらイヤになっちゃう。今日は朝から晴天。朝日が射しているビルは、お互いのビルが影を作り、息をのむほど美しい。

セントラルパーク出発まで間があるので、セントラルパーク(左)まで歩いた。タイムズスクエアのすぐ先がパークだから、歩いて10分もかからない。犬の散歩をしている人もいれば、マラソンをしている人もいる。おしゃべりに興じている犬自慢のグループもいる。平和な国ならどこにでもある朝の風景だ。

マンハッタン島は山手線の内部とほぼ同じ面積なので狭いが、いったん渋滞にはまると身動きがとれなくなり目的地まで時間がかかる。今日は自由の女神を見学するクルーズ船に乗ることになっている。ホテルのあるミッドタウンからダウンタウンを通り、南端のロウアーマンハッタンに移動しなければならない。ひとりが集合時間に遅れたために、奥村さんは焦っていたが無理もない。予約してある船にぎりぎり間に合った。

バッテリーパークからリバティ島行きの船が出た。前に来た時は島に上陸しなかったので、次回こそと思ったが、またもやそんな時間の余裕はなかった。台座の高さは471m、台座からトーチまでの高さは46.5m。すぐ近くで見たならば迫力あるだろうに。できれば内部にも入ってみたかった。

でもこれ以上ないほどの好天に恵まれたので、マンハッタンのビル群も女神像も輝いていた。移民入国管理所があったエリス島もよく見えた。寒さにふるえて甲板に出るのがつらかったとか、曇り空で絵にならなかったなどの話も聞く。それに比べ、なんて幸せな時間だったことか。

ブルックリン橋 マンハッタン ツインビルがあった所

出発してすぐに
ブルックリン橋が見える
 
 
マンハッタンのビル群


世界貿易センターのツインビルが
建っていたあたり
 
エリス島 自由の女神 自由の女神

移民入国管理事務所
があるエリス島

 
リバティ島全景と
自由の女神

自由の女神像 


自由の女神は、独立100年を記念して1886年にフランスから贈られた。エッフェル塔を作ったエッフェルも企画に加わり、フランスの彫刻家バルトルディが作った。フランスから214個のブロックを船で運び現地で組み立たそうだ。フランスから贈られた像が、ニューヨークのみならずアメリカのシンボルになっている。よく考えると、おかしなものだ。

昼食の場所、チャイナタウンに行く途中で、かつて双子のビルがそびえていたワールドトレードセンターの跡地に寄った。2001年の9月11日、アルカイダのテロで崩壊した現場だ。「アメリカの救急の番号は”911”なんです。日本でも”119”にちなんで、1月19日に狙われるという噂が出ましたね」と奥村さんは言う。私はそんな噂は聞いたこともない。

1ワンワールドここは車窓観光となっていたけれど、おろしてくれた。事件後しばらくは「グランドゼロ」と呼ばれ慰霊の場だったが、地価の高いマンハッタンのしかもウオール街から近い場所を、アメリカの経済界がそのままにしておくはずがない。2006年から「1 ワールドトレードセンター」など6つの超高層ビル、慰霊場、地下の商業施設などを建築中である。

以前はフリーダムタワーと呼んでいたが、2009年に名称を変更した。2014年の6月1日時点で、もうすぐ完成しそうにも見えた。7月4日の独立記念日に開業という噂もあったが、どうやら間に合わなかったようだ。

6つのビルの中で一番高い1 ワールドトレードセンター(左)は、アンテナ部分も含め1776フィート。メートルに換算すると541m。1776フィートは、独立記念の年にちなんでいる。日本のスカイツリーが武蔵の634mにしたようなものだ。

ここで犠牲者になった人も家族は、そのまま残して墓地のようにして欲しかったのではないだろうか。


チャイナタウンの人口は10万人を超えるアメリカ最大の規模。でも横浜の中華街のように4つの門に囲まれているわけでもなく、雑然とした街並みだ。でも料理は美味しかった。ツアーで出される食事の値段がわからないが、いくらなんだろう。

昼食後はメトロポリタン美術館に行く。ロウアーマンハッタンからセントラルパークに面しているメトロポリタン美術館まで行かねばならない。地下鉄&徒歩がいちばんいいのだが、バス使用をうたっているから厄介なこともある。ほぼセントラルパークを1周してやっと着いた。で「おかげでジョンレノンが住んでいたダコタハウスも見たし、1周して広さを実感できた」と喜んでいる人もいた。

前に来たときはダコタハウスから見下ろせるセントラルパーク内の「ストロベリーフィールド」の記念碑も見た。それから大分経つが、奥さんのオノ・ヨーコさんは、まだここに住んでいる。ニューヨークでも指折りの高級アパートだ。

メトロポリタン美術館は建物からして立派。やはりギリシャ神殿ごとき外観である。所蔵品は330万点。世界の4大美術館、アメリカ最大の美術館である。最初は別な場所にあったが、1880年に今の場所に落ち着いた。それにしても歴史の浅いアメリカで、よくもこんなに収集できたものだと、その事に感心してしまう。元キプロス領事のデイ・チェズノラ将軍から6000点を譲り受けたことに始まるが、その後も寄贈が相次いだ。

こんな大きな美術館にいられる時間はわずか1時間半ほど。笑っちゃうぐらい短い。この旅が、てんこ盛りなのは分かっていたはずだが、思えばどこもここも時間が足りなかった。外観だけの見学がいくつあったことか。ツアーで見たあとに個人で極めれば理想なのだが、国内でもあるまいしそうもいかない。

奥村さんが真っ先に先導したのが、2階のフェルメールの絵の前だった。日本人はフェルメールが好きに決まっていると奥村さんだけでなく、他のガイドもそう思っているらしく、その絵の前で日本人2グループと一緒になった。フェルメールは生涯に35点(37点という説もある)しか描いてないこともあり、日本にフェルメールの作品が1点でも来るとなれば、展覧会は押すな押すな。

メトロポリタンにはフェルメール作品が5点もある。写真撮影が許されているので全部撮ってきた。「こんな絵、フェルメールとは思えないね」などブツブツ言ってる人もいた。たしかに左側の窓から光線が射している女性の絵ばかりではなかった。「水差しを持つ若い女」「リュートを弾く女」などはイメージどおりの作品だ。ワシントンのナショナルギャラリーにも3点あるそうだが、私たちはワシントンでは寄る時間はなかった。


フェルメール フェルメール  フェルメール フェルメール フェルメール


フェルメールのあとは自由時間。近くの部屋にはおなじみのレンブラント、ゴッホ、モネなど「あら!あら!」と思いながら見ていたがキリがない。日本美術はどんなものが飾ってあるのか興味があったので、探しながら行ってみた。どうみても素晴らしいコレクションではなかった。ボストン美術館の日本美術は素晴らしいと聞くが、今回の旅にボストンは入ってない。

1階入り口の右側エジプトの巨大な像が見えた。エジプト美術は充実していそうだの勘は当たった。エジプトだけで36000点も所蔵している。今年の7月19日から9月23日まで東京都美術館でメトロポリタン美術館のエジプト展が開催される。日本に貸しだしてもニューヨークが寂しくなることはなさそうだ。

夕食場所に向かう途中で、国連ビルの横を通った。その前のマンションを指して「55階の部屋を松井のためにヤンキースは用意したそうですよ」と奥村さんは言う。松井は選手としては過去の人。みんな田中将大がどこに住んでいるか知りたがり「マー君の家はどこ?」と聞いたが、知らなかった。「そうかマー君の住所も調べておかないとね」と、真面目なガイドはつぶやいた。

マンハッタン夕食は、イースト川をはさみマンハッタン島の隣の島・ブルックリン島のイタリアンレストランでとることになっている。「ロウアーマンハッタン付近の2つの島を結ぶ橋はBMWと呼ばれています。Bはブルックリン橋、Mはマンハッタン橋、Wはウイリアムズバーグ橋」と、非常に分かりやすい説明をしてくれた。その中のブルックリン橋を渡ってすぐの所、イースト川に面してレストランはあった。ブルックリン島からは対岸のマンハッタン島がよく見える。料理を楽しみながら刻々と変化する暮れゆくマンハッタンのビル群(左)を眺めた。

帰りも同じ橋を渡ってホテルに戻った。ところが橋の上が大渋滞。渋滞のおかげで、夕食の時より暗くなってきれいになった夜景をゆっくり楽しむことができた。完成間近の1ワールドセンタービル、クライスラービルなどのライアップが怪しく光っていた。きのう、GEビルからの夜景はあきらめたが、それにも勝るものだと勝手に解釈して満足した。

<ニューヨークのマンハッタン アット タイムズスクエア泊>

6月2日3日-14・15日目

ニューヨーク市内今朝の朝食もきのうと同じカフェ。ジュースだけを飲んで飽きもせずにタイムズスクエアまで行ってみた。ニューヨークの朝は早い。通勤らしき人(左)も急ぎ足で歩いているかと思うと、ビルの工事をしている人もいる。

わずか2日間しかいなかったニューヨークだが、多様な人種がひしめき合っているエネルギー、ポジティブな空気は十分感じ取ることができた。新大陸で新しい生活をしようと船で渡って来た人たちや、いまなお夢を求めてニューヨークに渡る人たちが大勢いる。なんせ850万人の人口のうち、3分の1は外国生まれだと言う。ヨーロッパとは違う何か前向きの姿勢を感じたのは気のせいだろうか。

大陸横断の旅15日間は、実質13日間。どこもここも時間が足りずに少々の不満が残ったが、「また自分でくればいいのだ」と言い聞かせた。でも実現するかなあ。体力がなにより心配だ。

ニューヨーク発(10時55分)→ユナイテド航空で6月3日成田着(13時55分)

14時間の長時間フライトだったが、直行便だから思ったより大変ではない。LAに家がある奥村さんはNYからLAまで6時間もかかるそうだ。12時に出て午後3時に着く。時差が3時間あるので6時間。国内でも6時間かかるのだから、日本まで14時間は短いような気もする。

                                (2015年11月2日 記)

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