アメリカの旅



2014年5月20日(火)〜6月3日(火) 


ロサンゼルスからラスベガスまで 
グランドキャニオンとモニュメントバレー
メサベルデ国立公園とカールスバッド国立公園
サンアントニオのアラモの砦
ジョンソン宇宙センターとニューオリンズ
プレスリーのふるさとメンフィスとトウペロ
アトランタとアムトラック
ワシントンDC
フィラデルフィアとニューヨーク
ニューヨーク


アメリカの旅1 
 ロサンゼルスからラスベガスまで

2014年5月20日(火)-1日目

成田発(17時30分)→ロサンゼルス着(11時10分) 

日本から東側に飛ぶ場合は、行きは得をしたような帰りは損をしたような気持ちになる。20日の夕方に日本を発ったのに、LAに着いたのは20日の午前中だ。ちなみに日本人はロサンゼルスをロスと言うが、アメリカには他にもロスアラモスとかロスインディオスなどロスが付く町があるのでロスでは通じない。そもそも、ロスはスペイン語の定冠詞。この旅行記でも現地の人が言うように、LAとする。

利用したH社は全国展開しているせいか、参加者は北海道から九州まで散らばっている。年齢は60歳ぐらいから75歳ぐらいと多少の幅はあるが、大雑把に言えばシニアばかり24名。


コースはLAからアトランタまでバスで横断して、その後アムトラックでワシントンD.Cまで北上、さらにニューヨークまで足を延ばす。“20の州とワシントンD.C.を通って約7000q“がうたい文句だ。

「疲れそうなコースだな」と思ったが、ツアーグランプリで国土交通大臣賞と日本・アメリカ観光交流年特別賞のW受賞!という宣伝に惹かれて、申し込んだ。日程表を見ると、バスに5〜8時間ぐらい乗る日が10日以上続く。終わってみれば皆さん元気だった。現地ガイドは「このコースで僕がご案内した最高齢者は93歳。とてもお元気でした」と言っていた。

LAの空港には、スルーガイドの奥村さんとドライバーのカルロスさんが待っていた。このコースを選んだもうひとつの理由は、パンフレットに「私たちがご案内します」とガイド3人の名前と顔写真が載っていたからだ。旅行会社お墨付きのガイドなのだろうと解釈したが、それは間違っていなかった。2週間を共にしてくれた奥村さんは、じつに優秀で熱心なガイドだった。彼のおかげで、長時間のバス旅が退屈にならなかったような気がする。

後で聞いたのだが、高校卒業後に渡米してアメリカ生活27年。アメリカで知りあった日本人と結婚してお子さんは2人いる。「2人とも優秀なので将来が楽しみなんです」と言っていた。身内を自慢する文化は日本にはない。フランクなアメリカ社会での生活が長いので、子ども自慢が出てくるのだと思う。「愚息ですから」など妙にへりくだるより、率直なほうがいい。

ルート66空港を出発して最初に降りたのは、サンタ・モニカの海岸。桜田淳子が歌っていたメロディーは浮かんでくるが、歌詞は「サンタモ〜ニカ」の部分しか思い出せない。カリフォルニアのイメージ通り、ヤシの木と青い空と青い海が広がっていた。カリフォルニアは年間300日がこんな晴天だという。雨が降らないので人工的に散水している。

サンタ・モニカのビジターセンターに「ルート66」の看板がかかっていた。ルート66は1926年にできた国道66号線。イリノイ州シカゴとカリフォルニア州のサンタ・モニカを結んでいた。8つの州と300以上の町を通る3800qの国道だったが、フリーウェイが出来た今は使われていない。1985年に廃線になった。道そのものが消えたところもある。

「ルート66」というテレビドラマは日本でも放映していた。熱心に見ていたわけではないが、若者がこのルートを楽しく走り抜けるドラマだった。ナット・キング・コールの「ルート66で行こう」という歌もあった。でも私達がほんのちょっと降り立ったサンタ・モニカには、単なる看板があるだけで、ルート66の名残はなかった。

バスはハリウッドに向かっている。金融の町であるセンチュリー・シティ、ブティックが軒を連ねるロデオドライブ、豪邸が並ぶビバリーヒルズを車窓から眺める。ビバリーヒルズは消火栓の色まで違う。他の街は黄色か赤だが、ここのは銀色。

ウエストハリウッドを通ったときに、「ウエストハリウッドは音楽の街・芸術の街・ゲイの街と言われます。ここは、人口の3分の1がゲイなんです」と奥村さんが話してくれた。それらしきカップルは車窓からは見なかったけれど、3分の1もゲイが住む街は雰囲気が違うのだろうな。一日でもいいから滞在してみたかった。

チャイニーズシアターハリウッドに着いた。カリフォルニアのディズニーランドには、35年以上前に子どもを連れてきたことがある。そのときはユニバーサルスタジオも見学したが、肝心の中心地には行ってない。スターの足形と手形を見ないことには話しにならないと思っていた。ハリウッド映画は青春そのものだったからだ。

チャイニーズシアターという中国寺院風の映画館(左)前の敷石に、たくさんの足形・手形があった。「あ!フランクシナトラだ、ジョンウェインだ、クラークゲーブルだ、マリリンモンローだ、エリザベステイラーだ」と言いながらカメラにおさめていく。懐かしのスター以外にもうちょっと新しい「リチャードギア、トムハンクス、ブラッドピット、ジョニーデップ・・」の名前を見つけては映画を思い出していた。

HOLLYWOODクリフィス・パークから、山の中腹にあるHOLLYWOODの白い字がよく見える。「ハリウッドの日本語表示は聖林ですよね。でもこれは、holly(ヒイラギ)をholy(神聖な)と間違ってしまったからなんです。いまさら変更できないので聖林が定着していますけど」と説明してくれた。「オモシロイ話の種が出来たわ」とメモ帳に書き込んだ。

ハリウッドを出てハイウェイに入った。アメリカの高速道路はほとんどが無料だからフリーウェイとも言う。ラスベガスまで450qも移動する。

途中、バーストでトイレ休憩。ここはルート66沿いの町で、バーストステーションという鉄道の駅もある。いまだに100両編成の貨物列車が走っていると聞き、アメリカの広さとダイナミックさを実感する。安く大量に物資を運ぶのは、今でも貨物列車がベストだそうだ。この辺りは、年間に100oの雨しか降らないので砂漠化している。

空港に着いてからずっとカリフォルニア州を走ってきた。カリフォルニア州の人口は4000万人で、アメリカ人の8人に1人がカリフォルニアの住民ということになる。1849年にゴールドラッシュが起こった。州のニックネームもゴールデンステートだ。アメフトのプロチーム「サンフランシスコ・ フォーティナイナーズ」はゴールドラッシュの49にちなんでいる。

カリフォルニア州ばほとんどの日本人は知っているが、合衆国に加入したのはそう古くはない。1850年に31番目の州として加入。アメリカ領になったのは、1846年のメキシコとの戦いで勝った時である。

「カリフォルニアが州に加入する前は、奴隷を認める州(奴隷州)と認めない州(自由州)が15州ずつでした。カリフォルニアが奴隷を認めない州になったので均衡が破れ、のちの南北戦争遂行に影響を与えています」というコメントをアメリカ在住50年になる大学の先輩が寄せてくれた。南北戦争にはこういう背景があったことをまったく知らなかった。

カリフォルニア州の次はネバダ州。州境にはチェックポイントがある。今日はCLOSEしていたので余計な時間がかからなくてすんだ。スペイン語でネバダは雪を意味する。カリフォルニアの東部を走るシェラネバダ山脈には、万年雪がある。雪の州はぴったりの命名だ。

50州のなかで、このネバダのようにスペイン語を語源にしているのが25%、先住民の言葉からきているのが50%、英語からきているのは25%。この割合を聞いただけで、合衆国の複雑さ、多様性、歴史が分かる。ネバダ州のニックネームは、シルバーステート。今も銀の鉱山がある。

トイレ休憩を含め、5時間かかって今日の宿泊地ラスベガスに着いた。言うまでもなく、アメリカ最大のカジノの町。今はカジノばかりでなく子どもでも楽しめるようなアトラクションも増え、一大リゾート地になっている。ネバダ州は、1931年にギャンブルが合法化された。アメリカはどこでもギャンブルが許されていると思いきや、そうでもない。

宿泊のルクソールホテルは、ピラミッドの形をしている。オベリスクごとき塔やファラオの像があり、エジプト全開のホテルだ。客室は4408室もあり、世界で5番目に多い。もちろんホテル内にはカジノがあり、たくさんの人がスロットマシーンなどに群がっている。奥村さんは、短時間で20ドル損をしたと言っていた。でも後日、彼はこの日の損失を取り戻すことができた。

ラスベガスのカジノ ラスベガスの夜景 ラスベガスの夜景

ホテル内にあるカジノ
 
 
自由の女神やエンパイヤステートビルの
偽物が光っているホテル

 
エッフェル塔やオペラ座や凱旋門の
偽物があるホテル

ビュッフェスタイルの夕食後、添乗員さんが「ご希望の方は噴水ショーに行きましょう」と誘ってくれた。成田を出発してから長い時間が経っていて、疲れている。でも明朝にはラスベガスを離れるので、ほとんどの方は夜の町に繰り出した。ルクソールホテル同様、どのホテルも凝っている。

似せ自由の女神像や似せエンパイアステートビルに囲まれたホテルや、似せエッフェル塔や凱旋門やオペラ座があるホテル。怪しいネオンに光っている街を歩くと、高揚感が増しワクワクしてくる。ここまでやるの!の過剰装飾はギャンブルの街にふさわしい。

ラスベガスは砂漠の中に作られた人工の街だが、水不足の心配はない。フーバーダムも近いが、ホテルの水はダムからではなく独自に地下湖水を汲んでいる。水が十分あるためか、このホテルの浴槽は日本のように深かった。眠りについたのは12時頃になっていた。横浜の家を出てから何十時間経っているか、考える気も起らない。長い長い5月20日が終わった。<ラスベガスのルクソールホテル泊>       (2015年6月16日 記)


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