オーストリアの旅9(最終回) 2011年6月29日(水)-11日目 ウイーでのフリータイムの続きを書いている。足が疲れてきたので、オペラ座の真ん前にあるカフェモーツアルト(左)で休むことにした。道行く人を眺めながら、モーツアルトトルテとアインシュペンナーを食べたり飲んだり。 「第三の男」といえば、プラターにある観覧車も見過ごすことができない。カフェモーツアルトの近くから地下鉄に乗ると、数駅でプラターのあるウイーン北駅に着く。 ゆっくりしたいところだが、次の集合時間はホテルに7時半。着替えの時間も必要なので、少し余裕を見て6時半にホテルに戻った。 夜は今回のツアーの目玉でもあるモーツアルトコンサートを聴くことになっている。場所は楽友協会黄金の間。ここはウイーンフィルハーモニー管弦楽団の根拠地で、ニューイヤーコンサートが日本でも中継されるほどだ。とはいえ、観光シーズンの今は、特に着飾る必要もない。ほどほどの服装で良いというので、甥の結婚式の時に買った黒いワンピースを着た。 憧れのホールでチケットを入手するのは大変らしいが、ウイーンフィルの演奏でもないし、観光客向けのガラコンサートなので、当日もあちこちで券を売っていた。でも2000ほどの座席はほぼ満員。素晴らしい会場で音楽を聴く機会などないから、ガラコンサートであろうと、満足。
モーツアルトコンサートは今年で25年になるそうで、記念にCDをくれた。全員がモーツアルト時代のかつらや衣装を身につけている。曲目は「ドンジョバンニ」「フィガロの結婚」「魔笛」のさわりや小夜曲など。 アンコール曲はオーストリアの第2の国歌とも言われる「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」とこれまたお馴染み。この行進曲は会場の拍手とあいまって、いやがうえにも盛り上がった。ラデツキーはボヘミア生まれだが、オーストリア軍に入りトルコ戦争で活躍。ナポレオン戦争でも彼が率いる軍がイタリアで勝利した。オーストリアの英雄である。 <ウイーンのラディソンホテル泊> 6月30日(木)〜7月1日-12日・13日目 今日の午後には帰国の途につく。名残惜しいウイーンの朝を歩き回った。朝早いカフェェでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる男性、犬を連れて散歩している老婦人、学校に向かう子供を送っていく母。ウイーンの人たちの朝の風景だ。 きのう市立公園のベートーベン像(左)を見損なったので、まずそこを目指した。ベートーベンはドイツで生まれだが、35年間もウイーンに住んでいた。生涯に80回も家を変えたが、はっきりしているのは数軒にすぎない。 でもここ市立公園にある像は、ウイーン交響楽団の本拠地・コンツエルトハウスの真ん前にあり、足もとにたくさんの天使がいる立派な銅像だ。 10時半の出発までに、希望者を添乗員さんが、王宮まで連れて行ってくれることになった。何度も往復したメインストリートのケルントナー通り、ペストの記念柱があるクラーベン通り、ブランド店が並ぶコールマルクト通りを抜けて王宮へ。 シシー博物館は6つのテーマに分かれていて、ヨーゼフに見初められた少女のころの像や、婚礼前夜の舞踏会で着たフリルのドレス、ダイヤモンドが髪にきらめく白いドレスの肖像画などが展示してある。この肖像画は、菓子のパッケージなどグッズに使われている。 フランツ・ヨーゼフ一世は、メッテルニヒ体制(ウイーン体制)が崩壊後の1848年に即位。以後68年間も皇帝の地位についていた。その間、息子のルドルフが愛人と情死、皇后の暗殺、後継者に指名した甥のフェルディナントもサラエボで暗殺されてしまう。せめてもの救いは、2年後のハプスブルク帝国崩壊を知らずに亡くなったことだ。
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