オーストリアの旅9(最終回)
 ウイーン その2

2011年6月29日(水)-11日目

カフェモーツァルトウイーでのフリータイムの続きを書いている。足が疲れてきたので、オペラ座の真ん前にあるカフェモーツアルト(左)で休むことにした。道行く人を眺めながら、モーツアルトトルテとアインシュペンナーを食べたり飲んだり。

 ウイーン名物のカフェは、ザルツブルクのザッハホテルで経験済みだが、高い天井にシャンデリア・ビロードの椅子・マホガニーのテーブル・蝶ネクタイのウェイター・、それほど高くないコーヒー代など、すっかり気に入ってしまった。おまけに、ここは、映画「第三の男」のロケに使われたカフェである。

「第三の男」といえば、プラターにある観覧車も見過ごすことができない。カフェモーツアルトの近くから地下鉄に乗ると、数駅でプラターのあるウイーン北駅に着く。

 駅から地上に出ると、もう観覧車が見えた。1897年に建設された頃は、観覧車がまだ珍しかったそうだ。ハプスブルク家の威光の名残でもある。ウイーンは第2次大戦でやられているので、この観覧車も戦後の再建だ。

 観覧車 第三の男マーチンス(オーソンウェルズ)と友人ホビー(ジョセフコットン)が、観覧車の中で会話を交わす。こんなシーンを思い出しながら、観覧車(左)に近づいた。でも映画の緊迫したイメージとはかけ離れていた。

 他の遊技場もあり、家族連れなどで大賑わい。遊園地につきものの、風船売りやポップコーン売りもいる。風船の中にキティちゃんがいた。キティちゃんは世界の人気者だと聞いているが、やっぱり本家日本のキティちゃんが可愛いい。

ゆっくりしたいところだが、次の集合時間はホテルに7時半。着替えの時間も必要なので、少し余裕を見て6時半にホテルに戻った。

夜は今回のツアーの目玉でもあるモーツアルトコンサートを聴くことになっている。場所は楽友協会黄金の間。ここはウイーンフィルハーモニー管弦楽団の根拠地で、ニューイヤーコンサートが日本でも中継されるほどだ。とはいえ、観光シーズンの今は、特に着飾る必要もない。ほどほどの服装で良いというので、甥の結婚式の時に買った黒いワンピースを着た。

憧れのホールでチケットを入手するのは大変らしいが、ウイーンフィルの演奏でもないし、観光客向けのガラコンサートなので、当日もあちこちで券を売っていた。でも2000ほどの座席はほぼ満員。素晴らしい会場で音楽を聴く機会などないから、ガラコンサートであろうと、満足。

楽友協会 モーツァルト時代の服装 黄金の間
 
ニューイヤーコンサートが行われる
楽友協会の外観

モーツァルト時代のかつらを
被って演奏 
 
楽友協会「黄金の間」
の天井


 モーツアルトコンサートは今年で25年になるそうで、記念にCDをくれた。全員がモーツアルト時代のかつらや衣装を身につけている。曲目は「ドンジョバンニ」「フィガロの結婚」「魔笛」のさわりや小夜曲など。

 アンコール曲はオーストリアの第2の国歌とも言われる「美しく青きドナウ」と「ラデツキー行進曲」とこれまたお馴染み。この行進曲は会場の拍手とあいまって、いやがうえにも盛り上がった。ラデツキーはボヘミア生まれだが、オーストリア軍に入りトルコ戦争で活躍。ナポレオン戦争でも彼が率いる軍がイタリアで勝利した。オーストリアの英雄である。                               <ウイーンのラディソンホテル泊>


6月30日(木)〜7月1日-12日・13日目

ベートーヴェン像今日の午後には帰国の途につく。名残惜しいウイーンの朝を歩き回った。朝早いカフェェでコーヒーを飲みながら新聞を読んでいる男性、犬を連れて散歩している老婦人、学校に向かう子供を送っていく母。ウイーンの人たちの朝の風景だ。

きのう市立公園のベートーベン像(左)を見損なったので、まずそこを目指した。ベートーベンはドイツで生まれだが、35年間もウイーンに住んでいた。生涯に80回も家を変えたが、はっきりしているのは数軒にすぎない。

 難聴の保養目的で移り住んだのが、ウイーンの森のハイリゲンシュタットである。ベートーベンの小路、エロイカ(「英雄」)通り、「田園」の曲を構想した川、遺書を書いた家、記念館などがあり、ベートーベンファンには見逃せない地だが、一般的なツアーでは訪れないし、行ってきた人の話はあまり聞かない。なぜかモーツアルトばかりが、もてはやされている。

でもここ市立公園にある像は、ウイーン交響楽団の本拠地・コンツエルトハウスの真ん前にあり、足もとにたくさんの天使がいる立派な銅像だ。

10時半の出発までに、希望者を添乗員さんが、王宮まで連れて行ってくれることになった。何度も往復したメインストリートのケルントナー通り、ペストの記念柱があるクラーベン通り、ブランド店が並ぶコールマルクト通りを抜けて王宮へ。

王宮 開館が9時からなので、1時間しかない。広い王宮をすべて見るには時間がないので、フランツ・ヨーゼフ皇帝の居室と言われる部分を見学した。

 2004年は、フランツ・ヨーゼフとエリザベートの結婚から150年。それを記念して、エリザベートの生涯を紹介したシシー博物館ができた。ちなみに、シシーはエリザベートの愛称。

 ヨーロッパ一の美貌ともてはやされたシシーは、たしかに美しいが、皇后のころは、国民に人気があったわけではない。宮廷生活に嫌気がさし、旅行ばかりしていたからだ。

 息子ルドルフの自殺、自分もレマン湖畔で暗殺されるなどの悲劇性がクローズアップされ、観光の目玉に利用されているようなものだ。ウイーン土産といえば、モーツアルトグッズと「シシー」グッズばかり。私も、シシーとハプスブルクの紋章のついたキーホルダーを土産にもらったことがある。

シシー博物館シシー博物館は6つのテーマに分かれていて、ヨーゼフに見初められた少女のころの像や、婚礼前夜の舞踏会で着たフリルのドレス、ダイヤモンドが髪にきらめく白いドレスの肖像画などが展示してある。この肖像画は、菓子のパッケージなどグッズに使われている。

 シシー博物館を抜けると、フランツ・ヨーゼフの居室。謁見の間、皇帝フランツ・ヨーゼフの執務室や寝室、シシーの居間寝室、化粧室、サロンと続く。

フランツ・ヨーゼフ一世は、メッテルニヒ体制(ウイーン体制)が崩壊後の1848年に即位。以後68年間も皇帝の地位についていた。その間、息子のルドルフが愛人と情死、皇后の暗殺、後継者に指名した甥のフェルディナントもサラエボで暗殺されてしまう。せめてもの救いは、2年後のハプスブルク帝国崩壊を知らずに亡くなったことだ。

 30日13時45分ウイーン発→オーストリー航空で7月1日の7時20分成田着




オーストリアの食事

 ツアー中の昼食と夕食を写真に撮っている。「団体用の食事が美味しいはずがない」と言う人が多いし、「そうだろうな」とも思う。でも、今回の食事は、私には美味しかった。ごく一部をどうぞ。



ビーフストロガノフ 



鱒のグリル 


 
グロステル(チロル料理)


 
ウインナシュニッツェル


 
ソーセージのグリル


 
鴨のグリル


 
ローストポーク


 
ガーリックスープ


 
ビーフコンソメ


 
チョコレートケーキ


 
パンケーキ


 
アップルケーキ


                                                   (2012年12月2日 記)

 

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