オーストリアの旅

 2011年6月19日(日)〜7月1日(土)

アイゼンシュタットからグラーツへ 
グラーツからグロースクロックナー山へ
インスブルック
チロルの村からザルツブルクへ
ザルツブルクとザルツカンマーグート
シャーフベルク鉄道とハルシュタット
ドナウ下りからウイーンへ
ウイーン その1
ウイーン その2とオーストリアの食事


オーストリアの旅1  
 アイゼンシュタットからグラーツへ

旅行ルート オーストリアに行ってきた」と話すと、たいていの人は「日本と反対だから冬ですね」などの反応が返ってくる。南半球のオーストラリアと間違っているのだ。ツアーでは、オーストリアは中欧の旅に組み込まれていることが多いので、オーストリア1国だけの旅がピンとこないのかもしれない。

 左地図のように、E社のツアーで1周してきた。このコースは15年以上前の夏に計画していたが、父が亡くなったのでキャンセル。それ以来行くチャンスがなかった。

2011年6月19日(日)-1日目

 成田発(11時10分)→オーストリア航空でウイーン着(16時10分) 12時間のフライト

ウイーンから約40`南下してアイゼンシュタットへ        <アイゼンシュタットのパークホテル泊>

6月20日(月)−2日目

 午前中はアイゼンシュタットの市内観光である。ガイドはクマさんという女性。アイゼンシュタットは鉄の町という意味だが、鉄の産地ではなく、鉄のように強固に守られていることからの命名だ。なるほど、14世紀の城壁が一部残っている。

まずベルク教会へ。ゴルゴダの丘に向かうイエスを、ステージごとに再現した坂道を通り抜け、教会内に入った。この教会の見どころはハイドン廟。アイゼンシュタットを支配していたエステルハージ公は、ハイドン(1732〜1809)を宮廷音楽家として優遇した。ウイーン古典派の3大巨匠のひとりハイドンが、ほかの2人(モーツアルトやベートーベン)に比べ平穏な人生を送ったのは、良いパトロンに恵まれていたこともあるだろう。

ベルグ教会 ハイドン廟 緑の平野

ベルグ教会全景 

ハイドン廟 

教会の上からの景色 

亡くなった地・ウイーンの墓地から1820年にここに移葬された。でも頭蓋骨がないことが分かり大騒ぎ。本体と頭蓋骨が一緒になったのは1954年とのこと。聖人の骨の一部が立派な箱に納められている説明をあちこちの教会で聞いた。なぜこんなに骨にこだわるのだろう。火葬の場合は、骨はもろくなってしまう。西洋ほど拘らないのではないだろうか。

次に向かったのはエステルハージ宮殿(左)。ハンガリーの貴族エステルハージは、ハプスブルク家に忠誠を誓い、17世紀に城館を建てた。今あるのは1805年に改築されたもの。各部屋は肖像画・豪華な食器・調度類などおなじみのものが飾ってある。

 当時の祝宴の大広間がハイドンホールになっていて、そこでハイドン交響曲NO6のさわりの部分のCDを聴いた。毎年9月にはハイドンの演奏会が開かれる。

ハイドンが最初に住んだアパート、お金に余裕が出てきたのちに12年間住んだ家、エステルハージ家の墓がある教会などを見ながら昼食の場に向かった。

ハイドンビール 昼食は、クリームスープ・ローストポークと酢キャベツ、デザートのケーキ。以後の食事も、スープ・メイン料理・デザートの3点だった。ヨーロッパで食中毒が問題になった後なので、旅行会社がサラダを出さないように要望したらしい。必ず甘いデザートが出る。甘いものが大好きなのでつい全部食べてしまう。こんな食事を毎日していたら身体によくないが、「わずか10日だけだもの」と、つぶやきながらペロッとたいらげる。

ハイドンビール(左)やハイドンワインも置いてあった。アイゼンシュタットは州都だがわずか14,000人。ハイドン以外にはさして観光スポットがない町だけに、日本人はだれ一人見かけなかった。

セメリング鉄道昼食後バスに乗って、ペイヤーバッハ・ライヒェナウ駅に到着。ここからセメリング駅まで、わずか30分ほどだがセメリング鉄道に乗車。アルプスの峠を越えたヨーロッパ初の山岳鉄道で世界遺産になっている。全長41・8キロに16の石橋と15のトンネルがあるというが、車内からは橋もトンネルも撮れない。左写真はポスターの撮影。

 スイスでも車内から橋の写真は撮れなかったので、あきらめている。乗車する時のプラットフォームで、この近辺に住んでいるオーストリア人が「フクシマは大変だね。大丈夫か」と心配してくれた。おぼつかない英語で一生懸命話しかけてくれて、少しウルッとしてしまった。

 セメリング駅からバスでグラーツ(上の地図参照)に行った。グラーツはウイーンに次ぐ2番目の市で、人口は約26万人。グラーツはオーストリアの中で、私にはいちばん馴染みがある。夫が在職中に、ここの研究所に委託をしていた関係で、4度も出張で来ているからだ。

 30代前半だった夫にとって初めてのヨーロッパであり、話を聞く私もヨーロッパには行ったことがなかった。古色蒼然とした中世の街並み写真を見て、いつか行きたいと憧れていたが、やっと実現した。グラーツの大半は空襲の被害を免れているので、町ごと世界遺産になっている。

グラーツの武器庫 明日は休みだという武器庫を見に行った。約32,000点もあるヨーロッパ最大の武器庫だが、館内ガイドが案内してくれたので、要領よく見学できた。撮影禁止なので左の鎧はパンフレットから。

 オスマントルコの襲撃に備えて一般市民がすぐに武器を持って戦えるようにしてあったという。その伝統を引き継いでいるのか、武器はピカピカに光っていた。映画や祭りで使う武具を貸してほしいという要望が世界中から寄せられているという。

    <グラーツのメルキュールメッセ泊>

                        (2012年8月2日 記)

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