行きあたりばったり銅像めぐり

 はじめに

  海外の旅ばかり綴るのは、われながら飽きてきた。お読み下さる方も、同感にちがいない。散歩程度の軽い国内旅日記を書きたいが、散歩だけでは、茫洋としている。テーマを決めれば、目標をたてやすいと考えた末、銅像めぐりを思いついた。

 旅をしていて、思いがけない銅像にあうと、得をした気分になる。6月4日5日は撮影旅行だったが、岐阜・高山の陣屋前で「山岡鉄舟」の若い時の像に出会った。(写真右)

 陣屋前の朝市撮影に出向いたのだが、説明を読んで、鉄舟がここで生まれたと知った。鉄舟の名は、剣術家として聞いたことがある程度だったが、西郷隆盛と勝海舟の会談をセッティングした幕臣とのこと。銅像のおかげで、脳の引き出しの小物が増えたような気がするし、歴史上の人物にパッタリ出会った気にもなる。

 銅像といえば、ここ10数年だけで、破壊される姿を何度も目にしている。イラクのフセイン像の倒壊は、記憶に新しい。台座の上には、解放のシンボル彫刻がすでに造られ、その早業に驚くばかり。

 スターリン像、レーニン像、チャウセスク像が、歓喜の雄叫びと共に壊されたシーンも、忘れがたい。行き場のないスターリン像が、ぶざまに野ざらし状態になっている映像を見た時には、「奢れるものは久しからず」の言い古されたフレーズが、つい口から出てしまったものだ。

 このように、銅像は時代を写す鏡にもなっている。日本の銅像が派手に壊される場面は目撃していないが、忘れ去られた存在の像もあるだろう。ひんぱんに化粧が施される幸せ銅像もある。

 都合のいい人物を連れて来る場合もある。横浜の伊勢山皇大神宮に、蒋介石のレリーフがある。(写真左)。「天皇制を擁護し、国体の護持に努めてくれた」の感謝の言葉と共に、蒋介石礼賛の言葉が並ぶ。蒋介石についての評価は分かれるところだが、皇大神宮ならではの見方であろうか。

 「銅像を見ると今がわかる!」。そんな意味でも、銅像めぐりは面白いかもしれない。

 一口に銅像と言っても、さまざまだ。もちろん郷土の偉人が多いが、忠犬ハチ公のような動物もあれば、「赤い靴はいてた女の子像」のように童謡の主人公もある。特定の人物名がついていない像もある。(写真右)。横浜の青少年センターの前庭にあり、「友情」と台座にある。「清く正しく美しく・・」みたいで、「なんじゃこれ!」と思わないでもないが、青少年センターにはふさわしいのかな。

 どの程度続けられるかは、健康・暇・かね次第だが、「行きあたりばったり銅像めぐり」に出発するとしよう。同行者は決まっていない。その時々で、誰かがいるかもしれないし、気軽にぶらっと一人旅になるかもしれない。

 行きあたりばったりとはいえ、第1回ぐらいは、慎重にしたい。事始めに、自分の住んでいる横浜の都筑区にある銅像を探したが、どうやらなさそうである。あるにしても、マイナーなものだろう。都筑区は、最近でこそ、若者があこがれる町になったが、私が越してきた頃は、「横浜のチベット」と言われた。対比されたチベットこそいい迷惑だが、港横浜から取り残された地域であった。寒村と呼ぶにふさわしい地だったゆえ、、銅像に縁がないのも無理からぬこと。

 横浜市まで枠を広げてみるが、ここも150年前までは、寂しい漁村に過ぎなかった。戦国武将や、藩の財政を立て直したなどの偉人はいない。ペリーの黒船来航で、にわかに脚光をあびたので、開港の頃に来日した外国人の銅像が多いのも、横浜ならでは。

 最初が肝心ということになれば、ほとんどの日本人が知っている、それも教科書に載っているような大人物にしたい。誰かいないものか。いた!いた!彼なら教科書にも載っているし、大河ドラマの主人公にもなった。第1回にふさわしい人物だろう。

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