行きあたりばったり銅像めぐり
 2回

 井伊直弼 
 1人目の「銅像めぐり」は、井伊直弼。6月7日の土曜日。「来週半ばには梅雨入りしそう」と、天気予報が告げている。晴れているうちに撮影しなければ・・。銅像は顔が肝心。逆光では顔が黒くなってしまうので、「逆光を避けるには、午前がいいか、午後がいいか」と夫に聞いた。

 「どっちを向いているんだ」「そりゃ、常識で考えれば、海を向いているんじゃない?」「海は東側だから、午後には逆光になるよ」「ふーん、そうなの」。「横浜の海が東側なのは、当たり前じゃないか」。バカにされながらも、午前中に撮影すべく、朝食もそこそこに飛び出す。もちろん一人旅。

地下鉄に30分も乗れば、お目当ての「桜木町駅」(市営地下鉄・JR・東横線)に着く。駅から徒歩10分。紅葉坂という急坂を上りつめた掃部山(かもんやま)公園の中心に、直弼の銅像が威風堂々の姿を見せていた。(写真右)。横浜に30年以上住んでいるのに、しげしげと見るのは初めてだ。

 「まあ直弼さん、貴族の正装は、あなたらしくない。大老の裃姿でお目にかかりたかったですよ。授業で井伊大老と習った時には、高齢の年寄りを思い浮かべましたが、暗殺された時は45歳。お若かったのですねえ。」

 「旧長州藩が幅をきかせた明治以降、あなたは、憎まれ役でしたね。なにしろ、松下村塾の吉田松陰を処刑してしまったのですから。伊藤博文や山県有朋は、吉田松陰の弟子。あなたを悪者扱いするのは当然かもしれません。」

 彦根藩主の井伊直弼像が、なにゆえに横浜の地にあるのか。直弼悪者論が大勢を占めていた明治時代に、なぜ建立できたのか。教育委員会による説明は、次のようなもの。

 明治42年7月、横浜開港50年記念に際して、旧彦根藩有志が藩主の開港功績の顕彰のため、大老井伊掃部頭直弼の銅像を戸部の丘に建立し、その地を掃部山と名付けて記念しました。銅像の左側にある水飲み施設はその時に子爵井伊直安より寄付されたものです。
 当時の銅像は、藤田文蔵、岡崎雪声によって製作され、その姿は「正4位上左近衛権中将」の正装で、高さは約3.6bを測りました。しかし、当初の銅像は、昭和18年に金属回収によって撤去され、現銅像は、昭和29年、横浜市の依頼により、慶寺丹長が制作したもので、その重さは約4トンあります。
 なお台石は妻木頼黄の設計で、高さは約6.7bあり、創建当初のものが残っています。
(原文のまま)

彦根藩主から大老に抜擢された直弼が、朝廷の勅許を得ずに独断で、日米修好通商条約を結んだのは1858年。開港に反対だった水戸藩士らの手で暗殺されたのは、1860年3月3日。世に言う桜田門外の変である。

 しかし江戸時代末期の情勢は急展開。明治時代になり、小さな漁村だった横浜が、脚光をあびることになった。開港の恩人ということで、横浜港を見下ろすこの丘に建っているのだ。

 そうか、元の銅像は金属の固まりにされてしまったのか。銅像をも供出しなければならないほど物資が足りなかったのか。太平洋戦争の無謀さを、改めて感じずにはいられない。

 上の写真は、後方から写したもの。樹木が生い茂っているために、残念ながら私には海は見えないが、高見にいる直弼には、見えるはず。明治維新後に、多くの外国人が、この港から入って来たことを知らずに、亡くなってしまった。それを思うと、ちょっと切ない。

 右側の高いビルは、有名なランドマークタワー。少しだけ見える真ん中のビルは、横浜銀行。左は三菱重工ビル。もともと三菱重工の造船所だった地区が、「みなとみらい」として生まれ変わった。今や、休日ともなれば、老若男女が集うポットになっている。

 「みなとみらい」の大賑わいとは対照的に、掃部山公園一帯は、別天地の静けさ。

 「まちなかに 緑をたもつ掃部山 ましてや虫を聴く夜 たのしき」という飯岡幸吉の歌碑があった。幸吉なる人を知らないが、この歌のとおり、街中にもかかわらず緑が豊富。雰囲気をよく表している歌だ。

 上の写真は公園に咲いていた「ガクアジサイ」と「ドクダミ」。可憐な姿でひっそりと。右写真は小さな滝。

 公園内には、横浜能楽堂もある。平成8年築とのことで、外見も内部(写真左)も立派。東京の染井にあった加賀藩の能楽堂を、移築したものだという。

 公演をしていない時は、内部を無料開放している。訪れた時は、夏の能装束の展示をしていた。ため息が出るほど豪華かつ繊細な衣装は、日本美の総決算のようにも思えた。

 能楽のビデオ鑑賞も可能だ。「羽衣」を30分間見たが、説明付きなのでわかりやすく、眠気におそわれることもなかった。

 公園のすぐ近くに、立派な拝殿を持つ「伊勢山皇大宮」が鎮座している。神社の絵馬とランドマークタワーの共存光景がめずらいいので、パチリ。(写真右)

 急に思い立った「銅像めぐり」だったが、能楽堂見物という副産物もあり、半日の旅のわりには、充実していたなあ。なにせ、近い。かかった費用は、往復の地下鉄料金だけだ。入場料など一切なし。考えてみれば、銅像めぐりに入場料はいらない。

 井伊直弼の銅像は、本家本元の彦根城にも立っている。去年の4月に彦根を訪れたが、銅像写真など味があるわけではない。1枚も撮ってこなかったが、今になると残念。ガイドブックの銅像によると、横浜のものとそっくり。やはり束帯姿である。貴族に対する武士のコンプレックスなのだろうか。

 彦根駅前には、初代藩主井伊直政の銅像があった。戦国時代を生き抜いた直政らしく、騎乗姿のりりしい像である。
(2003年6月記)
 
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