行きあたりばったり銅像めぐり
 11回

 将軍の孫

 涼しいヨーロッパから帰った老体には、ここ数日の暑さはこたえる。パリの酷暑は死者も多数出たほどだが、ポーランドとチェコは、暑くなかった。銅像更新のために、小さい旅をしたいのはやまやまだが、これ以上、紫外線によるシワ・シミを増やす必要もない。

 ストックがあることを思い出した。今回の銅像は、群馬県・高崎市にある「将軍の孫」。撮影日は6月26日。もちろん「将軍の孫」に会いに行ったのではなく、高崎とて、ついでだ。

 この日は、岩宿遺跡見学が主目的だったが、余裕が出来たので、突如高崎に途中下車する気になった。高崎には、住職をしている私たち3人(NちゃんとKちゃん)の共通の知り合い・大学の先輩が住んでいる。

 昼食をとっていなかったので、駅にいた若者に「何が名物?」と聞いた。「何もないよ。だるま弁当ぐらいかな」。だるま弁当(右写真)が美味しいのは承知だが、ベンチで弁当を食べる気分ではなかったので、駅ビルで、ありきたりのランチ。

 その間に住職に電話をかけたら、東京へ行っている・・とのこと。約束したわけではないが、会えると思いこんで下車しただけに、目的がなくなってしまった。

 観光案内所でパンフレットを手に入れ、自分たちで散策することにした。お奨めは「高崎観音」だったが、かなり遠いし、コンクリート製の白い観音など興味がない。駅からわずかな距離に城址があったので、迷わずそこへ。城址へ行けば何かが見えるはずだ。

 城址公園の入り口付近に、「将軍の孫」が、かわいらしい姿で立っていた。日露戦争で戦死した橘中佐の像を頼まれた北村西望(1884〜1987)氏は、中佐の遺品をアトリエに置いておいた。そこに当時5歳の長男が遊びに来て、中佐の靴を履き、敬礼をしたという。だから「彫刻家の長男」ということになる。それじゃインパクトが少ないのかな。

 この像は、各地に数え切れないほどある。私は、三島由紀夫が割腹したことで有名な市ヶ谷の元自衛隊駐屯地で、見たことがある。彫刻は、合法的なコピーが出来るから、あちこちに同じものがあっても不思議はないが、希少価値は減るだろう。長崎の平和公園にある「平和祈念像」も彼の作品だが、これは長崎だけだ。

 江戸時代に高崎を治めた大名の名は、記憶にない。譜代大名が代わる代わるということだろう。石高が10万石未満の小藩だ。説明板には「慶長3年、箕輪城主の井伊直政が、和田城後に築いた」とある。

 井伊直政が最終的に配置されたのは彦根だが、一時は高崎にいたのか。第1回の銅像めぐりが、井伊直弼だったので、少々感慨深い。

 右写真のように、城の面影を残し、堀もめぐらされている。駅からほんの10分も歩けば城址公園だから、徒歩の旅人にはありがたい。城址からは、眼下に碓氷川が見えた。山城ではないのに川が見下ろせるのも不思議だが、市街地が高いのだろう。

 遠くに見える山をあれこれ言いながら眺めていると、都市緑化協会の人が近づいてきて、公園内の珍しい樹木について、熱く語ってくれた。私たちは、ナンパされたことはないが、オジサン達がよく声をかけてくれる。「知りたがり屋です」のバッジをつけているわけでもないのに、有り難いことだ。説明を聞くと、ただの木でなくなるから不思議。

 「あら!これ何?」銅像ウオッチャーは、すかざす聞く。「キツネですよ。どうしてここにあるかわからないけど」。

 「キツネなの?、私には、タヌキに見えるけど」「そう言われれば、タヌキかもしれない。調べようもないなあ」。もう少し突っ込みたかったが、KちゃんもNちゃんも、どうでもいい事だから、さっさと遠ざかってしまった。左の写真。どっち?

 群馬音楽センターも近くにあった。そういえば、映画「ここに泉あり」の群馬交響楽団は、高崎が舞台だった。当時から、市民はシンフォニーが心の泉になっているという話だ。

 高校生の時に亡くなった天才画家・山田かまちの水彩美術館はじめ、高崎市美術館など、文化面も充実している。

 郊外の少林寺だるま寺もお奨めだ。軽井沢に行くときに、観音とだるま寺に立ち寄ったことがある。使い古されただるまが、燃やす直前だったのか、山になっていた事を覚えている。だるまのコレクションもあり、見応えがあった。
 (2003年8月26日 記)

 タヌキに軍配が上がった。仙台に住む「きんちゃん」が、高崎のHPで調べてくださった。きんちゃんのHPは、お奨めリンク集にある、こちらものぞいて欲しい。

 本来なら、暇人のHARUKOがするべきなのに、仕事をしている方にご足労をかけた。「ご足労」と打ち出してみて、あらためて字を見たら、この場合は足ではない、キーだな。せめて「ご手労」。

 掲示板に次の返信をいただいた。

崎城(現在の高松町)の堀端に出没したとされる妖怪。内容は、江戸の本所七不思議に登場する「置いてけ堀」と、変わりがないが、狸(タヌキ)の仕業である、と考えられていた。いまでも、堀に隣接した高崎公園内には、魚篭(ビク)を下げた狸の石像が残され、怪異があったことを後世に伝えている。
http://homepage3.nifty.com/J-Kamekawa/takasaki.htm

 
(2003年8月28日 記)
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