行きあたりばったり銅像めぐり
 12回

 フィギュアスケート発祥の像
 

 今回の銅像めぐりは、右写真の銅像だ。本題に入る前に、少しおつき合い願いたい。

 9月6日の10時40分頃、仙台駅に降りた。翌日の姪の結婚式出席のための仙台行きだったが、Iちゃんと会うために、駅で待ち合わせをしている。Iちゃんは高校3年時の同級生。4年後に同じ会社に就職し、再会を喜びあった。私が2年ほどで退職したのに、彼女は定年まで勤めた。元同僚の情報が得られるのは、彼女のおかげである。

 改札口を出ると、若者が二重三重になっている。異様な雰囲気だ。な!なんと!私はスマップと同じ列車に乗っていたのだ。彼らはグリーン車。私は2等の自由席だから会うはずもないのだが、少し残念な気がした。

 6日に、スマップのコンサートが仙台で開かれるのは知っていたが、開始時刻は夕方。まさかこんなに早く来るとは思ってもみなかった。人だかりは、急に外のデッキに移動し始めた。タクシー乗り場が見下ろせる所や、タクシー乗り場そのものに、ダダダー。左は、デッキからタクシー乗り場をのぞきこんでいる写真。

 私も釣られてデッキへ。Iちゃんが待っていることを思い出して、改札口へ戻ったが、普通なら難なく会えるのに、ケータイで連絡をとる始末。

 「銅像めぐりのために、魯迅の像を撮りにいく」と前もって話してあったので、乗り降り自由で観光スポットを巡る「るーぷる仙台」に乗ろう・・と彼女が提案してくれた。1台では乗り切れず、臨時バスが出た。コンサート前に、観光もするらしい。

 よく知っている街で、初めて訪れる観光客の気分にひたるのも悪くない。バスは政宗の御霊屋などに寄り、博物館前に着いた。お目当ての魯迅の碑や魯迅像は、博物館の裏庭にあるはずだ。

 途中で五色沼の側を通った。五色沼と言うと、福島県の名勝地を思い浮かべるだろうが、仙台にも小さい小さい五色沼がある。(左写真)。博物館の地は、仙台城の三の丸があった所。五色沼も、昔の外堀なのだ。

 実家はここから徒歩で15分ぐらいの所にあった。今の仙台で氷ることはないが、小学生の頃は、寒かったのだろう。スケートが出来るほど氷った。何度も滑った思い出の沼だ。Iちゃんも通ったと言う。「もしかしたら、一緒の時に滑っていたんだね」と、思い出に話がはずんだ。

 父は大学のホッケースケート部員だった。東京の大学だから、天然リンクのはずはない。インドアがあったと聞いている。大学生の父が、小学生の母をスケートに連れて行ったこともある。当時は、まさか結婚するとは思わなかったらしい。

 そんな家庭環境のためか、登校前の一滑りも許されていた。当時は珍しかった自分のスケート靴を、全員が持っていたのだ。「悦っちゃんがここで滑ったんだよ。小さいのに上手で可愛くてね」と、父がよく話してくれた。

 父が言う悦っちゃんとは、7月8日に亡くなったばかりの稲田悦子さん。1936年に12歳で冬季オリンピックに出場したフィギュアの選手だ。あまりに可愛いので、ヒトラーが直接声をかけたことでも知られる。

 五色沼のほとりに、なにやら小さい像が。地元のIちゃんも知らないので、近づいてみると、「日本フィギュアスケート発祥の地」の説明板があり、男女ペアでのスケート姿の像だった。

 男性の左手に止まっているのは、トンボ。右上の写真もトンボが止まっている。トンボは、ここがお気に入りのようだ。

 説明によると、「明治23年に外国人が滑りはじめ、30年頃にはイギリス人のデヴィソンがフィギュアを教えた。42年には、旧制2高のドイツ人教師が、生徒に、フィギュアの基本を教えた。彼らが後輩を指導したり、諏訪湖に行ってフィギュアの普及につとめた。」

 肝心の魯迅については、別項で記すことにする。思いがけず、たくさんの銅像に巡り会えたので、仙台シリーズは当分続く。

 7日の4時頃に、仙台駅に着いたところ、またもや黒山。これはその時の光景だ。前日と同じようなものだが、タクシー乗り場とデッキの関係がお分かりだろうか。

 「え!まだスマップは帰ってなかったの。こんなに遅くまで何してたのかしら」と、女の子に聞いた。「私も知らないんですよー。みんなが居るから、待ってるの」「私ね、来るとき同じ列車だったの」「ウヒェー。いいなあ。会ったんですか」「影も形も見なかったわよ」。

 もう少し、みんなの様子を観察していたかったが、興味のない夫は、さっさと行ってしまった。(2003年9月8日 記)

15日に、仙台から兄がやってきた。地元の人ほど知らない場合が多いので、「お兄ちゃん、五色沼にスケートの像があるの知ってる?」と聞いた。「知ってるよ!寄付もしたし、除幕式にも出たよ」。それはそれは。父が存命中なら、大枚を寄付したに違いないが、父の死後に計画が持ち上がったらしい。

 兄も地元大学のスケート部員だった。父と息子は職業も同じだが、趣味も一部は共有している。兄が大学生の頃は、この沼でホッケーの合宿をしたいた。沼から近いわが家には、ホッケーのパックやスティックが所狭しとおかれていた。母に頼まれて、合宿中の学生に差し入れを届けたこともある。(2003年9月20日 記)
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