行きあたりばったり銅像めぐり
 19回

 佐賀の窯元

 佐賀の銅像シリーズ2回目は、「白磁冠火食い鳥」(右)。有田市の「九州陶磁文化館」の中庭にあった。もちろん銅製ではなく、磁器。銅像がないので、仕方なく、それらしきものを撮してきた。

 「有田とマイセンが姉妹都市になった1987年に、マイセン市から寄贈された」と説明にある。17世紀に、有田の磁器が、オランダ東インド会社の目にとまり、ヨーロッパまで運ばれた。艶やかな色彩を持つ華やかな磁器は、たちまち王侯貴族を魅了した。

 王の命令で作られたのが、ドイツのマイセン窯である。はっきり言ってしまえば、マイセンが今あるのは、有田のおかげ。この程度の寄贈は、当たり前かもしれない。

 今回の佐賀行きは、焼き物に触れる旅でもあった。まず17日。鎮西町の名護屋城址見物後、あらかじめ約束してあった「鴻基交山房」に向かった。妹の知り合い、矢野さんのお宅は、唐津焼きの窯元である。呼子の海が眼下に見える絶景の地に建っている。これまでにいくつか窯元を訪ねたことがあるが、それは皆山里のような場所にあった。三方が海に囲まれているのは、珍しい気がした。

 跡継ぎの息子さんが一人でろくろを回していたが、矢野ご夫妻は、にこやかに応対してくださった。左写真は穴窯。右端に少し薪が見えるが、ガスを使った窯ではない。穴窯は、焼き色が微妙な変化を起こすらしい。

 私もKちゃんもNちゃんも、学生時代に裏千家の茶道を習っていた。年に1度は、正式な茶事をしているので、抹茶茶碗の格付け「一萩二楽三唐津」の唐津には、前から興味があった。「一楽二萩三唐津」という言い方もある。

 私は右の茶碗、Nちゃんは誰が見ても唐津とわかる絵唐津の茶碗、Kちゃんは茶入れをそれぞれ、買い求めた。この茶碗で飲むたびに、呼子の青い海と、ご夫婦の柔和な顔を思い出すことが出来る。


 翌18日、唐津市内散策の最後に、駅近くにある「中里太郎右衛門陶房」に寄ってみた。多くの作品が芸術的に展示されていた。もちろん売ってもいる。庭や建物が一体となって、良い雰囲気だった。左写真は塀の内側。

 次の目的地は、伊万里と大川内山。唐津から伊万里まではJRの唐津線と筑肥線で1時間50分。ローカル列車の旅はいいものだ。あまり長いと退屈してしまうが、この程度はちょうど良い。佐賀平野の稲穂は半分は刈り取られ、半分は残っていた。「ヨカトヨ」「バッテン」のお国言葉がポンポン飛び出すので、情緒たっぷりの車内だった。

 伊万里駅前は、観光地らしい賑やかさはない。路線バスに15分乗って、大川内山に向かったが、観光客は私たちのみ。他の客は土地の人だ。一緒にしゃべっていたおばあさんが、「消防置き場で降ろして」と運転手に頼んでいる。運転手も慣れたもので、「はいよ」。停留所でない所でも停めてくれるのだ。

 大川内山にバスが着くやいなや、観光地に様変わり。大型バスやマイカーがたくさん押し寄せていた。今回の旅で、観光客に出会った数は、ここがダントツ。せっかく、秘境に来たというのに、なんてこった。右写真は、橋の欄干を飾っているタイル。「秘窯の里」の字が見える。

 鍋島藩が初めて藩窯を開いたのは有田だったが、1675年に大川内山に移動する。技法や製法が漏れないために、屏風岩など深い山で囲まれた地に陶工達は集められた。関所が設けられ、一生この地から出られなかったと聞く。「秘窯の里」と言うと、今の観光誘致にはいいが、江戸時代の陶工や家族は、まるで大きな牢屋に入っている感覚だったのではあるまいか。

 30件ほど窯元がある。レンガの煙突の林立が、焼き物の里らしい風情をかもし出している。そのうちのひとつ、小笠原長春窯に、大分長い時間お邪魔した。「ここは、鍋島の藩邸跡です。本当の鍋島青磁を作っているのは家だけですよ。青磁の原石を使っています」と、丁寧な物言いで説明してくれた。太陽にかざすと透けて見え、引き込まれそうな美しさだった。Nちゃんが青磁の皿を2枚買った。私は箸置きだけ。そうそうは買っていられない。

 最後に向かったのが、有田。伊万里から有田までのJRは廃止されたので、松浦鉄道となっている。乗車時間は20分強。夕方だったので高校生がたくさん乗っていたが、昼間は空いているのかもしれない。単線なので、途中で列車を待つところが、いかにもローカル線だ。

 有田はもともと予定に入れていなかったが、少々の時間があるので、駅の案内所で「1時間で回れる所を教えて」と聞いた。「九州陶磁文化館に行ってください。無料ですし、見応えありますよ」。わざわざ無料と言うあたり、オバサン心理を熟知している。もっとも、無料でなければ行かなかったかもしれない。閉館時刻がせまっていて、30分しかないのだ。順序が逆になってしまったが、最後の訪問地・有田の「文化館」の中庭で見つけたのが、冒頭の「火食い鳥」である。

 聞きしに勝る陶磁器の宝庫だった。佐賀を中心に、九州の陶磁器が集められている。何時間いても飽きない気がしたが、仕方ない。

 「4時半に閉まるなんて早すぎる。せっかく東京から来たのに」と、この近くに住んでいるご婦人が、同情してくれた。「ちょっと過ぎてもいいから、トイレと、からくり時計だけは見て行って」と、強く勧めてくれた。

 左写真がそのお薦めトイレ。説明の必要はないだろう。帰ってからネットで公開したら、「そこでお茶したい!」と言う人まで現れた。「障害者のことも考えたトイレね」と、観察が鋭い人もいた。

 からくり時計は、ミレニアムを記念して作られたまだ新しいもの。枠、針、歯車、人形などすべて有田焼の豪華版。30分おきに、中の人形が踊る。季節ごとにメロディも人形も変わる。春は「早春賦」、夏は「夏の思い出」、秋は「小さい秋」、冬は「雪の降る町を」。秋たけなわの18日は、「小さい秋」のオルゴールが鳴り響いた。「蛍の光」で追い出される場合が多いが、ここは童謡で追い出される。(2003年10月31日 記)

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