行きあたりばったり銅像めぐり
 25回

 メンデル

 「銅像めぐり」を1ヶ月以上も、更新していないことに気づいた。ストックは数人あるけれど、インパクトのある人物ではない。寒風にさらされながら、取材に行くのはいやなので、海外の銅像を取り上げることにした。

 今回は、義務教育を受けた人なら名前だけは知っている、メンデル。いわゆる「メンデルの法則」で知られた人物だ。(右写真)

 この銅像は、チェコのブルノという所にある。ブルノは、チェコ第2の都市。チェコは、ボヘミア地方とモラヴィア地方に分かれている。プラハがボヘミアの中心で、ブルノはモラヴィアの中心。第2の都市と言っても人口は38万人。左写真のように市電が走る、のどかな街だ。

 広辞苑には、「オーストリアの僧侶、植物学者。1822年〜1884年」と載っている。当時のチェコは、オーストリア帝国に組み込まれていたので、この記述はある意味では正しいが、今のオーストリアを思い浮かべてしまう人もいるはずだ。括弧つきの説明がほしいものだ。

 2003年8月9日から18日まで、ポーランドとチェコに行った。ブルノは、ポーランドからプラハに向かう途中にあり、ついでに立ち寄った感じ。かつては、モラヴィア王国の首都だっただけあり、城、旧市街、旧市庁舎、教会など、おなじみスポットはそろっている。右写真は、シュピルベルク城の牢獄入り口。牢獄と聞いて、俄然見たくなったが、「予定に入っていません」とつれない返事。ツアーのいやなところだが仕方ない。

 旅の面白さ、楽しさのひとつは、知っている地名や、人物を確認できることである。その意味で、ブルノには思い入れがなかったが、メンデル記念館があると聞き、急に元気が出てきた。

 メンデルの本職は、科学者ではなく、修道士。左の服装を見ると、それがわかる。台座に男女が彫ってあるのは、遺伝を象徴しているのだろう。記念館も、修道院の跡地に建っている。

 修道院長は、メンデルの才能を認めて、ウイーン大学で物理と数学(統計学)を学ばせた。大学から戻った彼は、統計学を使って、エンドウ豆の遺伝に関して、後に「メンデルの法則」と呼ばれる論文を発表したが、当時の学界では彼の理論を理解できる能力がなかったという。この法則が認められたのは、死後16年が経った1900年。複数の学者が別々に研究した結果、メンデルと同じ結果が得られたという。

 私たちは、「頭が悪いのは遺伝だ」「私は親に似ないで、祖母の遺伝子を受け継いでいる」「太るのは仕方ない。わが家はデブの家系だから」など、気軽に口にしている。性格、容姿、知能が、両親から五分五分に受け継いだのではないことを、経験上知っている。

 なんとなく分かっていたことが、「優性の法則」「分離の法則」「独立の法則」のメンデルの法則で、証明されたのだ。

 こうした法則は、11年間にわたり、エンドウ豆を3万本も交配して栽培した結果から得られたものだ。エンドウ豆を栽培した庭が、囲みで残されている。変哲もない囲みだが、ここでメンデルの法則が発見されたとなると、ありがたみが増す。「こんな狭かったはずはない。子供だましだな」と心の中では思うものの、つい写してしまった。
  
 どうせなら、赤い花、白い花、ピンクの花など法則通りに、植えておいてもらいたいものだ。
(2004年1月19日 記)



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