行きあたりばったり銅像めぐり
 29回

 赤い靴はいてた女の子 1 

 「赤い靴はいてた女の子 異人さんにつれられて 行っちゃった
 横浜の波止場から船に乗って 異人さんにつれられて 行っちゃった
 今では青い目になっちゃって 異人さんのお国に いるんだろう
 赤い靴見るたび考える 異人さんに逢うたび 考える」    (野口雨情作詞・本居長世作曲)
  
  童謡「赤い靴」は、好きになれなかった。「つれられて」という言葉から、無理矢理連れ去られた光景が浮かんで来て、女の子がかわいそうで、悲しくなったものだ。異人さんが、人さらいのように思えた。今日の銅像めぐりは、横浜の山下公園にある「赤い靴はいてた女の子」像。(右写真)

 2月1日に、「横浜」から「元町・中華街」まで、みなとみらい線という地下鉄が開通した。わずか6駅しかないが、渋谷から直通で乗り入れていることもあって、大人気。

 きのう10日は、近所の友達との「歩く会」201回目。当番が、新しい線に乗る計画を立ててくれた。1日乗車券(450円)があり、乗り降り自由なので、全部の駅に下車。各駅の設計は、それぞれ別の専門家が請け負っている。駅ごとに趣向が凝らしてあり、それを見るだけでも、乗ってみる価値はある。モダンなだけでなく、身障者への配慮が各所に見られることが嬉しい。

 上は、「元町・中華街」のプラットフォーム。背後に薄く見えるのは、横浜の昔の写真。プラットフォームばかりでなく、あちこちの壁になつかしの横浜が再現されている。

 像がある山下公園に近い駅は、「元町・中華街」か、手前の「日本大通り」。私たちは、日本大通りで降りて、ブラブラ歩いた。風は冷たかったが、日差しは春だった。

 飛行機がない時代の洋行は、横浜の波止場からの船出だった。今ではときどき豪華客船が寄港するだけで、外国人が出入りすることはめったにない。
 
 現在は、ベイブリッジやみなとみらい地区が眼前に見える風光明媚な公園になっている。背後には、中華街、元町、山手の洋館街、マリンタワーなど横浜を代表する観光スポットが集まっている。

 右のモザイクは、船でおなじみの柳原良平氏の絵だ。「日本大通り」の駅構内に3枚あったうちのひとつ。


赤い靴はいてた女の子もこの景色を毎日見ている。写真には、赤煉瓦倉庫は写っていないが、帆の形のホテル、ランドマークタワーなど、上の絵と比較して見ていただきたい。

 実は、この女の子は実在していた。岩崎きみという名前もある。明治35年7月15日に清水(今の静岡市)に生まれたこともわかっている。

 野口雨情が札幌の北鳴新聞社に勤めていた頃の同僚が、きみちゃんの異父だった。彼から、きみちゃんの事情を聞いた雨情が、宣教師にもらわれた女の子の話に感銘し、「赤い靴」を作詞したという。
 
 「横浜の波止場から船に乗って 異人さんに連れられて行っちゃった」の歌詞どおりだとすれば、ここ山下公園は、きみちゃん像が立つには、ふさわしい場所だと言える。

 しかし、きみちゃんは、この波止場に来ていないことがわかった。もちろん船にも乗っていない。アメリカにも行っていなかった。

 きみちゃんの母親と再婚相手の間に生まれた岡その(きみちゃんの異父妹)が、「アメリカに渡った姉の消息が知りたい」と、新聞社に投書したことから、きみちゃん探しが始まった。投書したのは、昭和48年。事実が判明するまでには、ある程度の年月が必要だったろうから、きみちゃんの悲しい一生がわかったのは、それほど昔のことではない。

 きみちゃんが宣教師にもらわれたのは、3歳。宣教師がアメリカに帰る命令が出たころに、重い結核にかかってしまった。長い船旅に耐えられる身体ではないと、きみちゃんを孤児院にあずけたまま、アメリカに帰ってしまった。きみちゃんは、明治44年9月15日に、麻布の孤児院で亡くなった。その地に、「きみちゃん像」が立っている。

 8日に六本木ヒルズの帰途、麻布十番に寄った。奇しくも、続けて「赤い靴の女の子」に会ってしまった。麻布のきみちゃんについては、別に記すことにする。(2004年2月11日 記)

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