行きあたりばったり銅像めぐり
 6回

 棟方志功

 棟方志功は、1903年9月5日、つまり100年前に青森市内で生まれた。青森には、「棟方志功生誕百年」のキャッチフレーズが、あふれている。全国巡回の展覧会も開催中である。

 生後すぐにその地を離れても、生誕地ということで、観光に利用している例もあるが、彼が上京したのは成人後。正真正銘の津軽人だ。彼のひととなりは、津軽の土壌に育まれたにちがいない。

 5回目の銅像めぐりは、棟方志功像。横浜から青森まで、わざわざ行くほどの棟方志功ファンではない。

 三内丸山遺跡見学のために、7月18日から20日まで青森へ。付録のような形で、「棟方志功記念館」を訪門。記念館は、駅前からバスで15分、徒歩10分の松原2丁目にある。この像は、記念館の入り口にあった。銅像ウオッチャーは、思わぬ出会いに嬉しくなり、何枚も撮影。

 正面も、横顔も、実際の彼とは似ていないような気がする。志功が亡くなったのは、ごく最近とも言える1975年。テレビで見慣れている人物の銅像を依頼された作者は、難しいだろうなあ。

 強度の近眼ゆえに、版木すれすれに顔を近づけて真剣に彫っている姿や、津軽弁丸出しでニコニコと語っている顔を思い浮かべると、この銅像との格差にがっかりしてしまう。偉人らしく作らねばならない・・の銅像の宿命だろうか。実際にお会いしたわけではないが、作品や残された映像から想像するに、もっと泥臭かったのでは?

 棟方志功(むなかたしこう)をまったく知らない方もいるだろうが、サンパウロやヴェニスのビエンナーレで、グランプリを獲得した版画家。青森県初の文化勲章受章者だ。以前は油絵も描いたらしい。記念館には、油絵も飾ってあった。

 左の版画は「門世の柵」という作品(1968年)。入場時にもらったパンフレットをコピーしたものだ。私は、色彩がゴテゴテしている女人像より、「釈迦十大弟子」のような黒一色の版画が好みであるが、志功の作品と言えば、真っ先にこの画風を思い浮かべる方が多いのではなかろうか。

 左下の「ねぶた」は、記念館に飾ってあったもの。手前に見えるのは、百合とリンドウの生花。館員の心遣いがうかがえる。2週間後に「ねぶた祭り」の本番を迎える市内は、ねぶた一色であるが、このねぶたは、常に飾っているのかもしれない。

 こうして上の版画と、ねぶたを比べると、似ているではないか。黒い縁取り、鮮やかな色彩、大きな見開かれた目など、共通点はいくつもある。

 ねぶた祭りを毎年見ていた志功が、ねぶた絵から影響を受け、そのエネルギーをもらったとしても、なんら不思議はないだろう。

 ねぶた祭りは8月2日から7日まで。日経が調査した「行ってみたい夏祭り」で堂々の一位である。実際の祭りは見たことはないが、「ねぶたの里」で過去の優秀作品に接し、青森埠頭に作られた「ねぶた小屋」では、制作中のねぶたを見学してきた。製作の過程を見て、「むしろ当日よりも面白いのではないか・・」と、負け惜しみでつぶやいた。

 ねぶたについては、「ねぶた観音」の銅像を撮っているので、別の項で書いてみたい。

 「棟方志功記念館」から「ねぶたの里」へ向かうバス便が非常に少ない。バス停で、むなしく立っている時に、同世代の人とおしゃべり。津軽弁のなまりが、旅先にいる気分にさせてくれる。彼女は、1ヶ月前に格安航空券を利用して、東京・横浜・鎌倉を訪れたばかりだという。自由旅の常連らしい。

 「長谷寺のアジサイと菖蒲が素晴らしかった。いちばんの盛りだったの」「あら!私が見た時も、盛りよ」。聞けば5日間の違いで訪れている。「鎌倉の棟方志功美術館の方がずっといい」「そうねえ。本場だから期待してここまで来たけど、鎌倉の方が雰囲気がいいわ」など、神奈川ローカルな話題を、青森市のバス停で語れる不思議。「女性が自由に遊びまわれる時代になったのだ」と、感慨しきり。

 かくいう私も、高校時代から常につるんでいる同行者Kちゃんと、「日本史の旅」をすることに決めたばかりだ。先月は、Nちゃんを含め3人で、旧石器時代の遺跡「岩宿」を訪問。時代順で、今月は、縄文遺跡「三内丸山」になった次第。次は、弥生遺跡の「吉野ヶ里」を予定している。今回は、私の誕生日割引(本人と他に同行者3人まで、どこでも往復2万円)を使ったが、次はKちゃんの誕生日割引を使うつもり。「銅像めぐり」のストックが増えて、嬉しい悲鳴をあげている。
(2003年7月22日記)
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