87回 2011年6月に、13日間でオーストリアを回るツアーに参加してきた。ウイーンはじめ、いろいろな地で音楽家の銅像に会ったが、モーツアルトは全身像だけでも3つ。胸像を入れると数えきれない。モーツアルト人気のほどが、うかがえる。 銅像ばかりでない。チョコレートなどモーツアルトグッズが街中にあふれている。ウイーンオペラ座の前にある「カフェモーツアルト」では、モーツアルトタルト(左)も出している。そこでアインシュペンナー(日本でウインナコーヒーと言われたもの)を飲み、このタルトを食べた私も、モーツアルト商法に踊らされている。 ザルツブルクで鑑賞した人形劇は、モーツアルトの「魔笛」だった。ウイーンの楽友協会黄金の間で聴いたコンサートも、モーツアルト楽団による演奏だった。 ウイーン古典派の巨匠は、ハイドン、モーツアルト、ベートーベンと言われているが、モーツアルトの人気は抜きんでている。 今のオーストリアにとって、モーツアルトさまさまだが、生存中の評価は低い。ゴッホも同様だったし、芸術の世界ではよくありがちだが、今の人気を考えると、落差が激しい。 モーツアルトは1756年に、ザルツブルクで生まれた。神童ぶりはよく知られているが、3歳でチェンバロを弾き、5歳で作曲をしている。宮廷作曲家の父と共に、ウイーン・パリ・ロンドン・ミラノ・ボローニャ・ローマで演奏し、宮廷音楽家の地位を得ようとするが、どれもうまくいかない。 もっと長生きすれば、栄光の音楽家の地位を得られたかもしれないが、1791年に35歳という若さでウイーンで亡くなった。
上の銅像はみんな顔が違うが、写真が発明される前の事だから、彫刻家が勝手にイメージしているのだろう。真ん中のザンクトギルゲンは、ザルツブルクの東にある町で、モーツアルトのお母さんが生まれた町。生まれた家は、結婚したモーツアルトのお姉さんも住んだという。その家は今は記念館になっていて、母親と姉の肖像画が壁に飾ってあった。中に入る時間はなかったが、母と姉をも利用するオーストリア人の商魂はたくましい。 記念館といえば、ザルツブルクでも、モーツアルトが生まれた家が記念館になっている。遺品や楽譜や小さいバイオリンなどが展示してあったが、内部は撮影禁止なので詳細は覚えていない。 偉人の記念館を訪ねると、「子孫はどうしていますか」と、質問することが多い。若くして亡くなったにしては、コンスタンツエとの間に、6人の子どもがいたことを知った。もっとも成人したのは、わずか2人。2人とも結婚しなかったのか、子どもが生まれなかったのか、直系の子孫はいない。この時代の子どもの死亡率はかなり高く、モーツアルトも7人兄弟の末っ子だったが、成人したのは姉だけだった。
生まれた家とは別に、後に引っ越した家も記念館になっている。自由時間に行ってみたが、入館料が高かったので入らなかった。モーツアルトにのめり込んでいるわけでもないから、生家だけで充分だ。 モーツアルトは、ザルツブルクを逃げるように去ったが、今のザルツブルクには、モーツアルトを生活の糧にしている人たちが大勢いる。こういう例は、もちろん日本にもたくさんある。(2011年9月11日 記) 感想を書いてくださると嬉しいな→ 銅像めぐり1へ ホームへ |