95回
 
 樋口一葉 その2  

樋口一葉は、2004年に41回銅像めぐりで取り上げている。その時は5000円札に肖像が選ばれた直後。名作「たけくらべ」の舞台になった台東区下谷竜泉寺町近辺の様子を書いた。銅像めぐりというタイトルにしては、一葉記念館の内部にある胸像だけなので物足りないが、記念館の展示は見ごたえがある。周辺は遊郭があった当時の面影も、かすかに残こしている。

それから12年後、文京区本郷で石川啄木や宮沢賢治の旧居跡を巡っている時に、一葉の像にばったり出会った。

記念館こそ台東区にあるが、彼女が下谷竜泉寺町に住んだのは明治26年、わずか9か月間である。それに比べ本郷は長い。長いと言っても彼女は24歳の若さで亡くなっているから、台東区に比べればということになる。

本郷付近には一葉が住んだ住居跡が3か所ある。時代順にいうと、明治9年から14年に住んだ桜木の宿(本郷5丁目)、23年から25年に住んだ菊坂の家(本郷5丁目)、27年から29年に住み終焉の地になった丸山福山町の家(西片1丁目)。

生まれたのは明治5(1872)年、亡くなったのは明治29(1896)年。短い生涯にも関わらず、お札の肖像に選ばれている。彼女の作品が多くの人に読み継がれているとは思えないが、どういう経緯で5000円札に選ばれたのだろうか。

「たけくらべ」が文芸倶楽部に掲載されると、森鴎外、幸田露伴、島崎藤村、馬場孤蝶、斉藤緑雨などがこぞって絶賛したというから、一流の文学者なのだろう。

長生きしてもっともっと作品を残して欲しかったの思いはあるものの、青空文庫で「たけくらべ」など2〜3の作品を読見返したみたが、古文みたいで読みづらかった。句読点がないので文章の区切りも分かりづらい。根気がなくなっている自分が情けない。


この銅像は、本郷通りをはさんで東大赤門前にある法眞寺の境内に建っている。田端さんという作家が、法眞寺に依頼されて、2015年8月に制作した新しい銅像だ。この寺と一葉とのご縁は、寺に隣接する地に、一葉一家の屋敷があったからである。

明治9年に羽振りの良かった父が土地223坪、家屋45坪の屋敷を買った。一葉の生涯のなかで、いちばん経済的に恵まれている時代だ。後の貧乏生活を思うと、その落差に驚いてしまう。大きな桜の木があったので、一葉が後に「桜木の宿」となつかしがったという。「ゆく雲」の中で、自宅の2階から見下ろす法真寺の様子を書いている。

左写真には法眞寺と桜木の宿の両方の表示がある。一葉が住んでいたころの桜木の宿は跡形もないが、法眞寺にはその名前を使った会館がある。毎年11月23日には、一葉忌が行われ、女優の幸田弘子さんの朗読や作家(瀬戸内寂聴や太田治子さんなど)による講演もある。


桜木の宿での裕福な生活は、父に続いて兄も亡くなり終わりをつげた。彼女が母や妹を支えねばならなくなった。まるで”明治のとと姉ちゃん”。

本郷付近2か所目の住居菊坂の借家に移ったのは、明治23年。母と妹の3人で針仕事や洗い張りをするなどして生計をたてた。小説家として認められるちょっと前のことである。もっとも一葉は、針仕事など嫌いだったらしく、なんとかして文学で身を立てたいと、もがいていた頃でもある。

この菊坂を含め、本郷通りをはさみ東京大学の向かい側にある一帯(本郷4丁目と5丁目)は、一葉ばかりでなく、坪内逍遥、石川啄木、金田一京助、宮沢賢治、夏目漱石、森鴎外、徳田秋声、正岡子規などなど、たくさんの文学者にゆかりの地である。

彼らの旧居跡などを探しながら歩いていると、まるで迷宮をさまよっている感覚におちいる。台地と谷と坂があるアップダウンの激しい地形は、ほとんど変わってないという。坂の名前も、菊坂、炭団坂、鐙坂など由緒ありげ。実際に旧居が残っているのは徳田秋声邸だけで、他の人の旧居はすべて「跡」なのは、残念なのだが。

でも一葉が菊坂の家で使った井戸は残っている(左)。貧しかった頃の一葉を偲ぶには、もってこいの空間である。井戸の近くに住んでいる人がいるので、井戸見学は団体では出来ない。2人で訪れた私は、ワンダーランド気分を味わってきた。

もう一か所、当時の面影が残っているのは、旧伊勢屋質店(本郷5丁目)だ。万延元(1860)年の創業だが、昭和57(1982)年に廃業した。一葉は菊坂時代はもちろん、下谷竜泉寺町に移っても、終焉の地丸山福山町に移ってからも、伊勢屋に通っていた。「一葉日記」にも伊勢屋の名前が頻繁に出てくる。

「此夜さらに伊せ屋がもとにはしりて、あづけ置きたるを出し、ふたたび売に出さんとするなど、いとあわただし

「時は今、まさに初夏也、衣がえも、なさではかなわず、ゆかたなど大方、いせやが蔵にあり」

一葉の葬儀の香典帳には「金壱円 伊勢屋」とある。伊勢屋も健気な彼女を応援していたに違いない。

昭和57年に廃業した伊勢屋だが、ごく最近跡見学園女子大学が購入して、土曜と日曜には内部も公開している(左)。内部の写真撮影はできないが、大学の職員が案内してくれるので、興味深い。

万延元年の建物は何度か修繕しているが、江戸時代の町屋作りが継承されているので、平成28(2016)年3月、文京区の指定有形文化財に指定されたばかりである。



本郷近辺3か所目の住まいは、竜泉寺を引き上げた後に住んだ丸山福山町。一葉のほとんどの作品はここで生まれたと言われている。ようやくどん底生活から這い上がれるかという時期に、肺結核で亡くなった。24歳。亡くなるまでの14か月間にたくさんの名作を書き残したので、「奇跡の14か月」と言われている。

西片1丁目と町名が変わっているここには、残念ながら当時の面影はない。終焉の地の説明と碑があるだけである(左)。

台東区の一葉ゆかりの地に比べ、文京区のそれは分かりにくいが、ワンダーランドの坂道を上ったり下りたりの散策には、思わぬ出会いがありワクワクする。歩きだす前に文京ふるさと歴史館に寄って予備知識を入れると、ワクワク感は倍増するだろう。
                                    (2016年6月9日 記)

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