96回

 前田 利家

北陸新幹線が開業してから1年余。そろそろ観光客も減るだろうと、金沢に行って来た。客が少ないだろうの期待は裏切られたが、真新しい車両「かがやき」での移動は快適だった。金沢は祖父が生まれた地なので数回訪れたことがあるが、今回は3日間とも好き勝手に歩き回ったので新しい発見があり楽しかった。

江戸時代は前田家100万石の城下町。維新以降も、文豪や科学者や芸術家など偉人が続出している。これら偉人銅像にもたくさん出会ったが、今回は藩祖・前田利家(1537年〜1599年)を取り上げる。この像(左)は、金沢城の濠の外側に建っている。金鯰尾兜が目を引く。

尾張国荒子村で、前田利春の4男として生まれた。小姓として織田信長に仕えたが、のちに赤母衣衆として活躍。信長が本能寺の変で討たれると柴田勝家につくが、後に秀吉に従った。以後、秀吉の天下統一に協力し五大老として支えた。

そんな利家が金沢に入城したのは1583年。江戸時代が始まる20年も前のことだ。それ以後、約295年間、廃藩や改易にもならずに100万石の城下町を維持し続けた。

前田家の領地は加賀・能登・越中(今の石川県と富山県)で、100万石どころか実際は120万石だったと言われている。数ある藩の中ではいちばん石高が多い大藩だ。

今でこそ金沢の人口は50万人に満たず、人口だけでみると少々寂しいが、同じく江戸時代の大藩だった仙台や鹿児島に比べ、城下町の趣を濃く残している。伝統工芸品(加賀友禅・九谷焼・金箔・漆器など)や伝統芸能(加賀宝生流の能楽・素謡・三味線・茶道など)も盛んで、「さすが前田藩!」と、感心してしまう。


金沢は明治維新で城を取りつぶされることもなく、太平洋戦争でも焼けなかった。兼六園などの庭園はもちろん、3つの茶屋街や武家屋敷が残っているのは、そのおかげだろう。

 
ひがし茶屋街は
江戸末期の町屋が並んでいる
 
伝統工芸の金箔製品を
扱う店のショールーム
 
武士屋敷跡には細い路地・土塀
長屋門などが残っている



ただし金沢城は、そのときどきで都合の良いように使われた。
1875年から1945年までは、陸軍の第9師団が使った。城の建物は陸軍司令部や武器庫になった。そのあげく陸軍の不注意で二の丸御殿、橋爪門、五十間長屋などを焼いてしまった。江戸時代の建物で残っているのは、石川門と三十間長屋と鶴丸倉庫だけである。この3か所は土日だけ内部を公開している。そんな事を知らずに日曜に行ったのはラッキーだった。


 石川門
 
三十間長屋
 
鶴丸倉庫


戦争が終わった1945年から1995年までは金沢大学のキャンパスに変わった。前に訪れた時は、大学のキャンパスだったので、石川門と石垣を見ただけだった。

ところが、大河ドラマ「利家とまつ」の放映や、北陸新幹線の開業にあわせ、金沢城公園の整備は急速に進んだ。2001年には、菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓を復元。復元と言っても図面が残っているので、当時の姿を正確に残している。2代藩主利長の奥方の名をとった玉泉院丸庭園(左)や橋爪門も1年前に復元された。



ふたたび利家像に会ったのは、尾山神社。尾山神社は利家夫妻を祀っている。江戸時代は卯辰八幡宮に祀られていたが、明治になって金谷御殿の跡地であるここに移した。ここは江戸時代は城の一部だったので、東神門を出ると、かつて内堀だったお堀通り。通りを渡ると金沢城公園に出る。

左の門が正門。明治8年に完成した和漢洋折衷様式の神門だ。オランダ人のホルトマン設計とも言われているが、彼が来日した時には日本人の津田吉之助による図面ができていたらしい。いずれにしても、1600年頃の前田藩祖夫妻を祀る神社にしては斬新だ。

尾山神社境内の像は、利家が信長の赤母衣衆(あかほろしゅう)を務めていたころの装束。利家は長槍の使い手だった。鎧の上に竹籠を背負いそれを布で袋のように覆ったものを母衣と言い、戦場での流矢よけだったが、戦国時代には旗指物の一種として使われた。(下の左)

隣に奥方まつのレリーフがある(下の右)。石のレリーフでなく銅像にすればいいと思うものの、予算の関係だろうか。まつは、2代藩主利長など2男9女をもうけた。徳川家の人質になるなど、前田家安泰のために尽くした女性だと言われる。


 
利家が赤母衣衆だったころの銅像


利家の正室「まつ」のレリーフ

今回は前田利家像だけをとりあげたが、金沢で得た知識はたくさんある。市内16か所にいるるボランティアガイドのおかげだ。3日間で4人のガイド(ひがし茶屋街・金沢城と兼六園・玉泉院庭園・武家屋敷)のお世話になったが、みなさんよく勉強しているので安心して聞き入ってしまった。「ボケ防止と健康のためです。こういう交流が嬉しいんです」と異口同音におっしゃった。

「祖父は金沢の四高を出ました」と話すと、がぜん親近感をもって予定をオーバーして案内してくださった。「曾祖父は前田藩の和算の学者でした」など付け足そうものなら、親近感はますますヒートアップ。「尾崎神社には御算用書が保存されている。観音院には和算関係者の墓がある。先祖を調べたいなら、近世史料館に行けばいい」など、詳しい情報を提供してくれた。

左は近世史料館。訪れた日は臨時休館日だった。宿題が残ったような気分だ。なるべく早い時期に再訪したいと思っている。

                               (2016年6月23日 記)

                                          
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