イギリスの旅8(最終回)
 ロンドン その2

2014年8月18日(月)-13日目

ロンドンフリータイムの続きを書いている。大英図書館のあとは、地下鉄を乗り継いで、ヴィクトリア&アルバート博物館に行った。大英博物館は何度も行ったので、装飾美術が中心というこの博物館にきた。彫像、工芸品、デザイン画などいろいろなジャンルがあり楽しい。

すべてをゆっくり見る時間はないので、日本部門に行ってみた。本当の価値はわからないけれど、良いものが揃っていると感じた。茶道の薄茶と濃茶道具まであった。日本部門の会場を去るときに、「THE TOSHIBA GALLERRY OF JAPANESE ART」という説明を見つけた。東芝が1896年にこの博物館に日本美術を寄付したそうだ。業績が悪化している東芝だが今後も文化貢献は続けてもらいたい。

 
ヴィクトリア&アルバート博物館

 
展示品
 
東芝が提供している日本館

目の前に自然史博物館がある。恐竜ブームもあって、数あるロンドンの博物館では屈指の人気だという。寄ろうかと思ったが、すでに閉館していた。5時半には閉まってしまう。

ここから歩いても近い、ハロッズに行ってみた。高級デパートなので買い物をする気はないが、ダイアナ妃の慰霊の場があると聞いていたからだ。ここも大混雑で人をすり抜けて地下にある慰霊場に行った。ダイアナ妃が恋人のエジプト人ダディ氏と共に交通事故で亡くなったのは1997年。あのニュースは衝撃だったので、今でもよく覚えている。

当時、ハロッズを所有していたのはダディ氏の父親だった。それもあって、ハロッズの地下の一画はまるでエジプト。象形文字の柱やスフィンクスもどき像に囲まれて、ふたりが軽やかに踊っている銅像があった。ローソクをあげている人が大勢いた。
 
ダイアナ妃とダディ氏の
慰霊の場
 
2人がダンスをしている銅像

 
ハロッズの所有者がエジプト人
だったのでエジプトモード


事故当時はエジプト人が所有していたが、今はカタールの政府ファンドが所有している。そのせいもあるのか、黒い衣装のアラブ人がシャネルなど高級ブランド品の品定めをしていた。20年前には入店すらはばかられるほどのセレブな雰囲気があったが、まあ今もセレブが買っているのだろうが、黒衣と中国人で占められているのは驚いた。イギリスのセレブは苦い顔をしているのか、達観しているのか。

次はまた地下鉄に乗って、コヴェントガーデンへ。オードリーヘップバーン主演の映画「マイフェアレディ」にコヴェントガーデンがよく出てきた。映画では花屋がたくさん並んでいたし、ヘップバーンも花売りだった。しかし、今のコヴェントガーデンには、巨大なショッピングセンターがあるだけ。映画のシーンを思い出して行ってみるなど、バカげたことだった。帰国後に調べたら、1974年に市場が移転されるまでは、花・野菜・果物の市場がったとある。あながち間違いではなかったのだ。

今日はほぼ良い天気だったが、コヴェントガーデンで急に雨が降り出した。思えばちょっとの時間だったが、突然降ってくるから油断がならない。

今日の目的で残っているのはユニクロを探すことだ。ホテルに近いところでも、リージェントストリートに1店、オックスフォードストリートに2店あることが分かっていた。日本から持参のタブレットで検索したからだ。

地下鉄「ピカデリーサーカス」で降りた。この広場から延びている曲線の道路がリージェントストリートだ。以前はイギリスの老舗が並んでいて、わくわくしながら歩いた。

20年前は1ポンドが約100円という、とても得な時だったので、タータンのキルトを2つも買った。でも今回は手数料を含めると1ポンドが180円にもなる。最近は物を増やさないようにしているので買い物をするつもりはなかったが、180円は痛い。

ユニクロは2年前の夏にパリのオペラ座の近くで見た。6月にはニューヨークの五番街で見た。いずれも一等地である。パリ、ニューヨークとくればロンドンでも見たい。いちばん早く進出したのがロンドンだから、ロンドンには何店もあるらしいが、リージェントストリートで1店、オックスフォードストリートで1店だけ覗いて見た。ニューヨークほど派手さはないが、ユニクロのローマ字とカタカナをふんだんに使った動く広告が目立つ(左)。

話はずれるが、スコットランドにもイングランドにも、都市には必ずマクドナルドの店があった。でもロゴはアメリカや日本とは違う。Mも抑えた黄色で、その下の赤がない。赤がイギリス人に嫌われるのはなく、赤と派手な黄色の組み合わせがセンスにあわないのだろう。

ところが、ユニクロのロゴはそのまま使われていた。佐藤可士和さんのデザインの良さかもしれないし、赤の色がロンドンにあふれている赤(二階建てバス、ポスト、電話ボックス、衛兵の衣装)と同じだから、違和感がないのかもしれない。

リージェントストリートの両側を占める重厚なビルは、さして変わってないように思うが、スエーデンの「H$M」、アメリカの「GAP」、スペインの「ZARA」の店が何軒もあることからして、ロンドンの老舗が消えているに違いない。ここも外資に浸蝕されている。グローバル化は、こういう事なのかもしれないが、かつて7つの海を支配した大英帝国にとっては、寂しいだろう。

イギリスが観光に力を入れはじめたのはいつごろだろう。何度も書いたが、日本語のガイディングレシーバーは有難かった。この旅の数ヶ月前に行ったアメリカにはなかった。ないかどうかはともかく、一度も使わなかった。

もうひとつ感心したのは、路上にインフォメーションの人(左)がいて、親切に教えていた。自分が分からないことはスマホで調べてくれた。私は「食品を買いたいけどどこが近いか」と聞いた。「マーク$スペンサーの地下にたくさんある」とのことだった。そこでサラダやパンや飲み物を買ってホテルの部屋で食べた。

          <ロンドンのシスル・マーブルアーチホテル泊>

8月19日(火)20日(水)-14日目・15日目

ホテルについている朝食のことだが、14日間泊まったホテルのどこの朝食も同じだった。焼いたトマト、炒めたマッシュルーム、甘い煮豆(ほとんど味が同じだから缶詰だろう)の3点セットは必ず並ぶ。少し高そうなホテルではパンや卵料理やソーセージの種類も増えるが、笑っちゃうほど、3点は同じ。

出発までに時間があるので、ハイドパークのスピーカーズコーナーの方まで散歩に行った。ニューヨークのセントラルパークではマラソンや犬の散歩をしている人が多かったが、ここで目立つのは自転車乗り(左)。老人もいるが若者もいる。出勤前に一汗をかくのだろうか。

9時半にホテルを出てヒースロー空港へ

13時5分(ロンドン発)→ヴァージンアトランティックで15日8時50分(成田着)   
 (2016年3月2日 記)

 

感想・要望をどうぞ→
イギリスの旅1へ
ホームへ