イギリスの旅 


 2014年8月6日(水)〜8月20日(水)

スコットランドのエジンバラ 
セント・アンドリューズとインバネス
ネッシーとグラスゴー
湖水地方とヨーク
チェスターとシェークスピア夫妻の生家
バーストストーンヘンジとオックスフォード
ロンドンその1
ロンドンその2

イギリスの旅1
スコットランドのエジンバラ

2014年8月6日(水)-1日目

イギリス地図11時50分(成田発)→ヴァージンアトランティックで15時40分(ロンドン着)
20時(ロンドン発)→ヴァージンアトランティックで21時40分(エジンバラ着)

乗継時間を含め成田からエジンバラまで約18時間。横浜の自宅からホテルまで24時間が経過している。旅行社は何度も利用しているE社。参加者は15名で、そのうち夫婦参加が5組。日程が長いためか、夏休みの時期にしてはシニアばかりだ。

スコットランドなどイギリス北部を中心とした旅を選んだのは、ロンドンなどイングランドは数回訪れているが、スコットランドには行ってない。日本で会った外国人旅行者に「どこから来たの」と聞いたら、「イギリスから」とは言わずに、「スコットランドから」と言った。サッカーでもイングランドとスコットランドでは違うチームを組む。スコットランド独立をめぐる選挙を1か月後に控えている時でもあった。スコットランドとイングランドの違いを知りたかった。

左地図のコースで北から南に下った。

                    <エジンバラのブリタニアンホテル泊>

8月7日(木)-2日目

昨夜の空港出迎えと今日一日のガイドは、エジンバラ在住の日本人YUMI CAMERONさん。CAMERONは、スコットランド人に多い名前だが、イギリス首相キャメロンさんはスコットランド出身ではない。15日間で日本人のガイドは、この日だけだった。ヨーロッパには日本語を話せるガイドが少なく、添乗員の下手な通訳を介することになる。その意味で今日のYUMIさんは有難い。

エジンバラは、スコットランドの首都で歴史的建造物もたくさんある。どうやらスコットランドではロンドンを首都とは思ってないようだ。国会議事堂もある。国会議事堂と聞いて、「間違いじゃないの?日本で言えば県庁みたいなものじゃないの?」とひとりごと。それを聞いたYUMIさんは「国会議事堂ですよ」。ロンドンにある国会議事堂との関係を説明してくれたが、メモをしてなかったので正確なことが書けない。

まずカールトンヒルという市内を見渡せる丘に行った。重厚な街並みがくっきり見えた。「みなさん、ラッキーですよ。こんなにすっきり晴れることはめったにないんです」と、はずんだ声で言った。彼女の言ったことは本当だった。これ以後、傘をまったく使わなかったのは、数日にすぎなかった。

エジンバラの街並み ナショナルモニュメント
 
カールトンヒルからエジンバラ城など重厚な街並みが見渡せる
 
ネルソンのモニュメントとナポレオン戦争犠牲者の碑


カールトンヒルで一番目立つのはナショナルモニュメント。アテネのパルテノン神殿を真似てナポレオン戦争の犠牲者の慰霊碑として建てられたが、予算が足りず未完のままだ。トラファルガー海戦の勝利記念に建てられたネルソンモニュメントもある。

「あの森の中に、007シリーズでジェームスボンドを演じたショーンコネリーの家があります。ときどき帰ってくるそうです」と丘の一画を指した。ちなみにエジンバラの彼の生家は、トラムの線路が出来た時に壊された。

ショーンコネリーは、スコットランド独立に熱心だ。「スコットランドの独立の動きについて、先日NHKが取材にきました。みなさんがお帰りになったころに放送がありますよ。今のところ独立派は40数%。独立には至らないでしょう」とYUMIさんは言った。

この日8月6日から約40日後に独立か否かの投票があった。終盤に独立派が盛り返して世界中の注目を集めたが、結局はYUMIさんが言ったとおり、独立賛成派は44.65%にとどまり、分裂には至らなかった。こんな大事なことを住民投票で決められる国が羨ましい。16歳以上なら誰でも投票に参加でき制度も素晴らしい。イギリス政府の懐の深さも感じる。

ホリルードハウス次はホリルードハウス宮殿(左)。今のイギリス王室がスコットランドを訪問するときは、この宮殿に滞在する。

「エリザベス1世のライバルだったメアリー女王は、エジンバラ城よりこの宮殿が好きだったんですよ」の説明があった。メアリー女王の一生はとても覚えきれないが、エリザベス1世に処刑された事実だけでも衝撃だ。その代わり、息子のスコットランド王のジェームス6世が、エリザベス1世の死後にジェームス1世としてイングランドの王位についた。

こうして、イングランドとスコットランドが同じ君主になり、1603年にスチュアート朝が始まった。こんなドロドロした背景を知ると、華やかな宮殿を見ても楽しめそういないが、いずれにしても、内部見学は旅程にはなく外観だけだった。

ロスリン礼拝堂次はエジンバラの郊外のロスリン礼拝堂に行った。1446年にセントクレアによって建てられた礼拝堂。田舎の小さな礼拝堂にすぎなかったが、小説(2003年)と映画(2006年)「ダ・ヴィンチ・コード」の舞台になったことで観光客が急増。

小説では、ロスリン礼拝堂の地下にキリストの聖杯が隠されていることになっている。この日も、入るまでに少し待たねばならないほど混んでいた。礼拝堂だけでは対処できなくなり、映画の主演者トム・ハンクスの寄付でビジネスセンターを建てたという。映画や小説やテレビの舞台をこの目で見たい心理は、洋の東西を問わないようだ。

映画の舞台にならずとも、この礼拝堂は面白い。精霊の姿、人の顔、草花、星・月・太陽のモチーフなど素朴で謎に満ちた彫刻で埋め尽くされている。師匠と弟子の柱(左)を見比べると、誰が見ても弟子の柱の方が優れているが、それに嫉妬した師匠が弟子を殺してしまったという礼拝堂にふさわしくない逸話も聞いた。トウモロコシのレリーフを見ながら「建てられた年代からみてコロンブスの新大陸発見より早くスコットランド人が新大陸に行った証拠」という得意げな説明もあった。

昼食後、エジンバラ城に行った。城が建っている岩山は、3000年前から天然の要塞だった。何度も戦闘しているので、今残っている最古の建物は1110年の聖マーガレット礼拝堂。王宮には、スコットランド女王メアリーの部屋もあった。メアリーのコスチュームを着た女性が、観光客との写真に応じていた。チップなど要求しない。高い入場料を払っているから当たり前だけど。

スコットランド王即位時に使った王冠、剣、笏も飾ってあった。この宝器は1707年にイングランドとスコットランドの連合条約締結後は封印されていたが、封印が解かれた今、私たちでも目にすることができる。撮影禁止なのでよく思い出せない。もうひとつのお宝「運命の石」は、いっときロンドンのウェストミンスター寺院に保管されていたが、1996年にスコットランドに返還された。スコットランド王が即位する時に座った石だが、やはりよく覚えていない。

エジンバラ城 メアリー女王 子どもたち バグパイプの演奏
 
エジンバラ城内部
外壁は古色蒼然としている

 メアリー女王の部屋
コスチュームを着た女性が
写真におさまってくれる

 
エジンバラ国際フェスティバルの最中なので子どもたちも
着飾っている
 
城の外では独特な音色の
バグパイプの演奏が流れる


エジンバラ城内も混み合っていたが、周辺はもっと混雑していた。8月の3週間は、「エジンバラ国際フェスティバル」が開かれ、世界中の一流アーティストがオペラや演劇やコンサートやダンスを披露する。エジンバラの人口は47万人だが、国際フェスティバルが開かれているこの時期は10倍になるという。

「ローヤルマイル」(エジンバラ城とホリルードハウス宮殿間の1.6q)という繁華街は、パフォーマンスをする人、ビラ配りをする人でごった返していた。混雑の中を歩きながらバスに戻り、いったんホテルに戻った。

前日と同じホテルだが、きのうはトイレの水が流れなかった。そういう部屋が複数あったが、空いている部屋はないという。「直しておきます」とフロントは言ったが、直ってなかった。どう考えても職人が入った形跡はない。思えばエジンバラがいちばん混んでいる8月だから、ホテルの鼻息は荒い。日本人だからバカにしているのかもしれない。.

日本では、安いビジネスホテルでさえ水が出ないことはない。ドアが閉まらないトイレはイングランドに入ってもあった。たとえばシェークスピアの生家にあるトイレ3つのうち、2つの鍵がなかった。菓子袋の「tear here」と印刷されたところを引っ張っても開かない。裂け目は別なところにあった。エレベーターが動かないこともあり「部品を取り寄せています」の紙が貼ってあった。日本では考えられないような不手際と配慮のなさに唖然としてしまう。

「最初に産業革命を成し遂げた国なのに」と思わないでもないが、だからといって「イギリスが日本より劣っている」とも思えない。ノーベル賞の授賞者はたくさんいるし、小保方問題で有名になった「ネイチャー誌」もイギリスが出版している。環境も大事にしていて連泊のときのタオルの使いまわしは当たり前だ。大英帝国の威光というか、成熟した大人の雰囲気が漂っている。独立をめぐる住民投票でも大きな暴動には至らなかった。

夕食には、スコットランド名物のハギスが出た。ハギスは羊の胃袋にホルモンや野菜を入れて煮込んだもの。好き嫌いのない私が唯一苦手なのがホルモンだ。聞いただけで食べる気がしないが、実際に一口ためしてみたが、もうたくさんだ。でも慣れれば美味しいのだと思う。これ以後2回も出た。

夕食後は、この旅の売りのひとつ「ミリタリー・タトウー」を見るために、エジンバラ城外の特設会場まで行った。ミリタリー・タトウーってなんだろう?軍隊の入れ墨じゃ意味が通じない。辞書で調べたら、タトウ―(tattoo)には、入れ墨以外に軍隊行進という意味がある。これで納得だ。

ミリタリー・タトウー ミリタリー・タトウー ミリタリー・タトウー

エジンバラ城の壁に
歴史などが写しだされる
 
 
開会宣言
キルト姿と帽子がキマッテいる
 
音楽隊の行進
2時間も続く


地元スコットランドをはじめ、イングランド、アイルランド、シンガポール、ニュージーランド、トリニダードトバコ、南アフリカなど英連邦の国々の音楽とパフォーマンスが2時間ぐらい続いた。スコットランドのキルトを身につけた楽団員のバグパイプの演奏や乱れのない行進は見事だったが、2時間も続くと少々飽きてくる。

ちなみに、キルトはタータンというチェック柄のスカートのようなものでスコットランドの民族衣装。ずいぶん前の日本では、男性がスカートを履いていると奇異に見ていたが、見慣れるとよく似合う。バグパイプの演奏者にはぴったりの服装だ。

ミリタリー・タトウ―見学でいちばん思い出すことは異常な冷え込み。東京より緯度が高いし、話には聞いていたが想像以上の寒さだった。日本の暑さを半分もらいたいほどだった。    <エジンバラのブリタニアンホテル泊>

                                             (2015年11月16日 記)

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