イスラエルの旅9 2007年11月5日(月)-7日目 シナイ山登山の続きを書いている。ツアー仲間の体力が違うこともあり、各自のペースで登ったり下りたりする。登山口のセントカテリーナ修道院前に、午前8時集合と告げられた。あまり時間はない。頂上でもっとゆっくりしたい気持ちを振り払って、下山しはじめた。 ホテルで朝食後、セントカテリーナ修道院を見学。ローマで迫害されたキリスト教徒が、モーセゆかりのこの地に住むようになったのが始まりである。今はギリシャ正教の修道院。4世紀初め、アレキサンドリアで殉教したキリスト教徒のカテリーナは、天使によってシナイ山に運ばれた。300年後に、修道士が夢のお告げで彼女の遺体を見つけ修道院に安置した。これがセントカテリーナ修道院の由来である。 教会と同じ敷地に、「燃える柴」がある。モーセが羊を追って神の山に入った時に、燃え上がる炎の中に神の使いが現れた。映画「十戒」の中で、チャールトン・ヘストン演じるモーセが、ここで神と対話し、同胞を救い出す決心をする。(出エジプト記3章) 燃える柴のすぐ近くに、「モーセの井戸」も残っていた。本当だとしたら、3000年以上前の井戸。荒野をさまよっていたモーセは、井戸に水を汲みにきた娘達に会い、娘の一人と結婚した。(出エジプト記2章)。
修道院見学後に、来たときと同じ道をエイラートまで戻った。きのうは暗くてわからなかったが、シナイ半島は、延々と茶色の世界が続く。でもよく見ると、岩や砂の自然の造形がすばらしい。人工的に造ろうと思っても、こうはいかないだろう。シナイ半島の大地は、単なる不毛の地ではなく、花崗岩・石灰岩・鉛・マンガンなどの鉱物が地下に埋まっている。この鉱物が、不思議な色彩の砂や岩を生み出すのだろう。 茶色の世界を抜け出すと、アカバ湾とヌエバという町(左)が見えて来た。ヌエバは、かつてはメッカ巡礼の宿場町だったが、今はリゾート地。対岸に見えるのはサウジアラビア。 ヌエバの韓国レストランで昼食。なぜエジプトで韓国料理もどきものを食べねばならないのか不思議だが、こんな所にも韓国料理屋があることがおもしろかった。 きのう通った国境の町タバに戻ってきた。エジプト出国はすんなりいったが、イスラエル入国が大変だ。予備検査で「Do you have weapons?」と聞かれた。あまりに突飛な質問なので、「え!」という顔をしたら「Do you have a gun?」と再び聞かれた。私は「Oh!No!」としっかり否定した。 パスポートコントロール所(左)では、テルアビブ空港に続き、あらたに2人ぐらいが、イスラエルの入国スタンプを押されてしまった。私は今度も「No Stamp Please」で事なきを得た。Hさんや夫はどうせ押されてしまったのだから、妙な依頼はしなくていい。 すんなりとはいかなかったが、全員が無事にイスラエルに戻ってきた。観光が主産業の国なのだから、遠来の客に不愉快な思いをさせてはいけないよなあ。もっとも、「入国・出国スタンプを押すな」というイスラエルにとっては不愉快な要望に、ほとんどの係員は応じてはいるのだ。全員に行き渡っていないので、困ったことになる。 4時ころにエイラートのホテルに到着。夕食までの時間に紅海の浜辺を散策した。高級ホテルが林立して、ヨーロッパのリゾート地みたいだ。<エイラートのカエサルホテル泊> 今日は、最後の訪問地エルサレムまで北上する。途中までは一昨日南下した道とは違い、ネゲブ砂漠地帯を通った。砂漠にアカシアの木とナツメヤシがあっても驚かないが、砂漠のど真ん中に、野菜や果物のビニールハウスがたくさんあって驚いた。 ネゲブ砂漠から右の方に折れ、また死海と対面。ヨルダン領のネボ山の稜線がはっきり見えた。死海の青はいつ見てもきれいだ。(2009年5月2日 記) |