モロッコの旅 8回(最終回)
 カサブランカ

2006年2月27日(月)-12日目

 成田からパリ経由でカサブランカの空港に到着したのは初日だった。その後11日間は、同じバスに乗っての移動だったが、今日は列車でカサブランカに向かう。9時3分にマラケシュ駅を発車し、カサブランカ駅(左)到着は12時3分。野の花列車は、1部屋6人のコンパートメントだった。話題豊富なメンバーとの会話も楽しく、窓外の優しい景色にも慰められた。

 「もっとも印象に残った景色は?」という旅のアンケートに、私はこの沿線に咲く野の花の美しさをあげた。黄色・オレンジ・ピンク・赤・紫の花園が広がっていた(右)。

 マラケシュで別れたバスのドライバー・ワヒドさんが、カサブランカ駅で待っていてくれた。レストランに向かうバスの道筋には高層ビルが林立し、高級住宅も並んでいる。カサブランカは、モロッコ経済の中心地なのだ。

 大西洋に面した洒落たレストランで昼食を摂った後に、カサブランカ最大の見どころであるハッサン2世モスクに行った。

 このモスクは海沿いに建っているが、私が撮った写真には海は写っていない。海とミナレットの両方を写すのは、海上にでもいかないと無理だとわかった。パンフレットの表紙に「海に浮かぶモスク」が載っていたので、コピーした(左)。

ハッサン2世は、1961年から1999年までの王で、王の在職中の1993年に完成した。まだ10年余しか経っていない新しいモスクである。世界遺産にはなっていないが、20世紀世界最高の芸術品だという人もいる。

 設計はフランス人のミッシェル・パンソー。フランス人がイスラム教寺院を設計するのは、西洋人が日本の仏教寺院を設計するようなものだ。違和感はないのだろうか。

 なにはともあれ、色合いもデザインも垢抜けしていて、フランス人の設計と聞いて納得する。開閉する天井、暖房つきの床、エレベーターつきのミナレットなど設備も近代的だ。内部だけで25,000人、敷地には80,000人が収容されるというその広さにも驚くが、国民の寄付と税金で建てられたことにもっと驚いた。信仰の力はすごい。黒ずくめの女性が、身動きしないで祈っていた。(左下)

祈る人 予定には入っていなかったが、希望者が多いからと、「バー・カサブランカ」に寄ることになった。アメリカ映画「カサブランカ」は、モロッコでロケが行われたわけではない。単に、カサブランカを舞台にした脚本だった。だから「リックの店」など実在しないこともわかっている。にもかかわらず、「カサブランカ」の映画を何度も見た私は、この店にだけは行ってみたかった。行くことになった時に、思わず拍手をしてしまった。

国連広場の近くにあるホテル・ハイアットリージェンシーの1階に、「バー・カサブランカ」はある。30年にもなるという。店内はハンフリーボガード(リック役)やイングリットバーグマン(イルザ役)のスチール写真で埋め尽くされ、つくりものであろうと何であろうと、映画の世界に浸れる。アルコールが苦手な私はカプチーノを飲んだだけだったが、それでもお土産話が出来た気がした。

帰国後の朝日新聞(2006年7月15日)・「愛の旅人」のコーナーに、映画「カサブランカ」のことが載っていた。全米の映画・テレビ脚本家約1万人で組織する脚本家組合は、歴代のもっとも優れた映画脚本に「カサブランカ」を選んだという。記事には、2年前に映画をイメージしたレストラン「リックスカフェ」をアメリカ人が開店したと書いてあった。どうせならそちらに行きたかった。

バーカサブランカ カプチーノ バーカサブランカ

ツインタワーホテルに戻ってからの自由時間に、ツインタワー(左)やショッピングセンターに行ってみた。サハラ砂漠の日の出、ベルベル人のテント、カスバの住まい、カメラを避けていた女性たち・・。これらが夢ではなかったのか?ほんとに同じ国なのか?そんなことを思わせるほど、中心街は西洋の世界だった。  
 <カサブランカのクラウン・プラザ泊>
2月28日(火)〜3月1日(水)-13日目・14日目

8時10分カサブランカ発→11時55分パリ着・13時50分パリ発→エールフランス機で9時25分成田着  (2007年3月16日 記)

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