スペインの旅6 2010年8月27(木)−8日目 撮影目的の旅はしたことはないが、旅行中に数枚は傑作を撮りたいと思っている。海外では肖像権の心配が少ないので、ちょっと断ってから主に人物を撮っている。でも今回は1枚もそういった写真を撮っていない。
この旅は急に決めたので今年がヤコブの聖年にあたることも後で知った。ヤコブの遺体が見つかった7月25日が日曜に当たる年を聖年と呼んでいる。今年2010年の7月25日は、たしかに日曜日だ。最近では、1982年・93年・99年・2004年。短いときで5年や6年、長いときは11年で7月25日が日曜日になる。カトリック信者なら羨ましくなるような時に訪れたことになる。 信者のTさんとAさんは「ここはヤコブばっかりね。イエスをもっと大事にしなさいと言いたくなる」と少し不満げだ。私もそう思わないでもない。サンチャゴはヤコブとの関係がなかったら、観光地としての価値はほとんどない。 イエスの12使徒の中でもどちらかというと乱暴者だったヤコブだが、イエスの磔後はスペインに渡って熱心にキリスト教を布教していた。そんな時に、マリアの「迫害がひどくなっているので、エルサレムに戻って信者を励まして」というお告げを聞き、エルサレムに戻った。 ヤコブの墓が見つかったというニュースはヨーロッパ中に広まり、巡礼者達はサンチャゴを目指すようになった。11世紀に入ると巡礼路も整備された。当時はイベリア半島の大部分はイスラムに占領され、レコンキスタ(領土回復運動)が行われていた。イスラム教徒を駆逐する意味でも、巡礼路の整備は絶好のチャンス。キリスト教徒たちを精神的に支える道でもあった。 星に導かれた羊飼いが墓を見つけたのは、ヤコブの死後800年も経っている。前に書いたように、ヤコブがスペインで伝道した確証はない。キリスト社会の策略だという見方が多いが、真偽はこの際どうでもいい。墓が見つかってから1000年間以上、ヤコブの墓を目指して巡礼の道を歩いている人がたくさんいることは事実だ。 ホテルに戻って朝食。その後、ツアーのみんなと大聖堂など旧市街を見て歩いた。ガイドはホセさん。名前はいかにもスペイン人だが、勝手に思い描いている陽気なスペイン人ではない。ガイドの間に笑顔を見せたことはなかった。
大聖堂の正面は西門だが、私たち団体は北門から入ることになっている。1年中そうなのか、ひときわ混雑するこの季節だけ区別しているのか、分からない。最初の小さな教会はヤコブの墓が見つかった9世紀に建立。その後、ロマネスク、ゴシック、バロック様式が加わっている。 西門にある栄光の門は、12世紀末に名匠マテオによって作られたロマネスクの傑作。と言われても、今は工事中で足場を組んでいるのでよく見えない。でもこれでもマシだという事が分かった。午後にゆっくり栄光の門の彫刻を見ようと行ってみたが、ロープが張ってあり、まったく見えなかった。 中央祭壇には、3体のヤコブ像が上から下へ並んでいた。とにかくここは、ヤコブばかり。イエスやマリアもいたのかもしれないが、私は気づかなかった。いちばん上のヤコブ像は「ムーア人殺しのヤコブ」だ。白い馬に乗ったヤコブがムーア人(イスラム人)を殺している場面。Tさんが「まあ!ヤコブが殺人をするなんておかしい」と私に言う。 「ヤコブが活躍していたころは、イスラム教はまだ生まれていません。だから彼がイスラム教徒を殺すことはあり得ないんです。スペインの守護聖人ヤコブを使って、イスラム教徒退治を表しているのだと思います。ヨーロッパ人はイスラム教徒を恐れていたので、『ムーア人殺し』のヤコブは崇められていると本に書いてありましたよ」と私はなだめる。本来なら添乗員やガイドに質問すればいいのだが、Tさんは何度も質問することを遠慮しているようだ。 祭壇の地下墓地にはヤコブの棺が置いてあったが、さっと通り過ぎてしまった。聖人の浮き彫りがたくさんあるやたら立派な棺だった。いったん外に出て、免罪の門に入るために並ぼうとしたが、その列はとてつもなく長い。午前の見学時間では終わりそうもないので、希望者は午後の自由時間に入ることにした。 大聖堂を一回りするような形で、聖ペラヨ女子修道院、イエズス会の教会の前を通り、市場に行った。野菜売り場では、じゃがいもの多さが目についた。パプリカも日本で売っているのよりずっと大きい。チーズも美味しそうだったが、観光の途中だったので下見だけに留める。 市場の次は巡礼事務所の前を通った。100`以上を歩くか、200`以上を自転車で回った場合に、巡礼証明書がもらえる。クレデンシャル(スタンプ帳)がその証拠になる。たくさんの人が証明書をもらうために並んでいた。証明書をもらった若い女性(左)が、証明書を高く掲げながら、はずんだ声でケータイをかけていた。「もらったのよ〜」と家族や友人に報告しているのだろう。 再び大聖堂の中に入り博物館に行った。ロマネスクの彫刻、フランドル製のタペストリー、大香炉(ボタフメイロ)、聖遺物の祭壇などなど見てまわった。撮影禁止なので細かいことは覚えていない。博物館の回廊から広場を見下ろすことができる。私たちのようにバスで来た人、歩いて巡礼して来た人で、広場は満員だ。早起きしてこの広場を見に来たのは正解だった。あまりにも人が多くて朝の感動は得られない。 ホセさんのガイドは終わり、あとは自由行動だ。でも全員が免罪の門をくぐるために、並んだ。「1時間半ぐらいかかる」という添乗員さんの予想どおり、11時半に並びはじめ1時ころに免罪の門をくぐることができた。1時間半はみんなとしゃべっていたのでそう長いとも思わなかった。それに今日は曇り空。太陽が照りつけなかったので快適だった。 免罪の門(左)は聖年の時しか開けない。この門をくぐれば、すべての罪が許されるのだと言う。1時間半並んだだけで、今までの罪がチャラになってしまった。 以後はみんなと別行動をしようと思ったが、昼食でパエリアを1皿とっても2人では食べきれないらしい。いろいろなものを少しずつ食べるには、人数が多い方が楽しそうなので、添乗員さんら8人とレストランに入った。このときの食事(サラダ・タコ・ムール貝・パエリア・チーズ・・)が、これまでのどの食事よりもおいしかった。 食事あとは地図を見ながら勝手に歩き回った。歩き回ると言っても、サンチャゴはそれほど広くはない。土産物屋やレストランが並ぶ通りの店を覗きながらアラメダ公園に行った。ここからの大聖堂の眺めが良いと聞いていたからだが、たしかに近くで見るよりも聖堂全体(左)と街並みがよく見えた。 元に戻り女子修道院に行った。修道女たちが手作りしているクッキーが美味しいというので、買いに行った。すでに何人も並んでいる。絵に描いたような修道女が窓口にいたが、まったく英語が通じないので、クッキー数箱頼むのに苦労した。ふつうの店のように現物がおいてないので、「これ!」と手で指せないので困ったが、なんとかゲット。素朴な箱に素朴な味のクッキーが入っていた。 他に見るところもないので、6時ころに又大聖堂の中に入ってみた。添乗員さんから「7時半から大香炉がふられます」と聞いていたが、座席はほぼ埋まっている。時間が間違っているのかもしれないと、空いている席を探して坐った。坐ったとたんにミサがはじまった。言葉はまったくわからないが、神父の声のひびきが心地よい。坐っている瞬間だけは気持ちまで清らかになってくる。回りの人が立つと私も立ち、他の人が座ると私も坐る。ミサが終わったかどうかも分からなかったが、終わったとたん、前の席の人、隣の席の人が握手を求めてきた。信者でもないのに恥ずかしいなと思いながらも、私も素直に握手する。 お目当て大香炉が振られるまでは席を立てないので、すわり続けていた。そしてまた握手攻め。日本で一度もミサに出たことがない私だが、今回の旅で3回もミサに参列した。内容はさっぱりわからないのに、なんとなく心地よかった。むしろ言葉がわからないことがよかったのかもしれない。 ボタフメイロ(大香炉振り)が始まったのは、添乗員さんが言ったように7時半だった。香炉はもともとは、汗まみれの巡礼者の臭いを消すためだったらしい。Tさんによれば、日本でも小さな香炉が振られることがあるらしい。添乗員に聞いたのだがボタフメイロは、大口の寄付があった時だけ行われる。金次第がこういう世界にもある。 大香炉は重さが54キロもある。大聖堂の端から端までその香炉が振り子のように動く。私たちはちょうど香炉の振り子の真下の席に坐っていたので、香炉の恩恵を受けたことになる。カメラOKだったので写真を何枚も撮ったが、大香炉がどんなものか知らない人にこの写真を見ても分かってはもらえそうにない。 夕食はホテル近くのスーパーマーケットで、サラダやチーズを買ってすませた。 8月28日(土)〜29日(日)−9日目・10日目 サンチャゴ(9時40分発)→イベリア航空でマドリッド(10時45分着) マドリッドの国内空港のデザインはとてもしゃれている。ゴミ箱や椅子などは、北欧のようなデザインだった。着陸した国内空港から国際空港までは、スーツケースを持って移動しなければならなかった。 マドリッド(13時20分発)KLMで→アムステルダム(16時着) |