2010年8月20日(金)〜29日(日) |
北スペインの旅 1 2010年8月20日(金)-1日目 13時30分(成田発)→KLMで17時45分(アムステルダム着) 横浜の自宅を出たのは朝の8時半、バルセロナのホテルに着いたのは23時40分。時差を考えると、ほぼ24時間かかっている。 旅のメンバーはここ数年の旅とは少し趣がちがう。夏休み期間中なので、30代の若者がふたり、働いている中年女性が数人参加していた。そうかと思うと88歳のご夫妻や82歳の元気な女性が参加。お年を召すと自分から年齢をおっしゃる方が多いが、お元気だからだろう。 <バルセロナのペレWホテル泊> 8月21日(土)−2日目 今回の旅は1ヶ月前に急に決めた。とはいえ、北スペイン巡礼の道は20年ぐらい前から興味を持っていた。どうせ行くなら学生時代の友人数人と行きたかった。学生時代の友人に、弟が神父で本人もカトリック信者の人がいる。彼と一緒なら知識も増えて楽しくなるだろうが、実現しそうもない。カトリックにまったく縁のない夫とツアーに参加した。 カトリックの3大巡礼地は、イエスが十字架に架けられたエルサレム、イエス第1の弟子ペテロの墓があるローマのサンピエトロ大聖堂、そして12使徒のひとりヤコブの墓があるスペインのサンチャゴ・デ・コンポステーラだ。結果的には私はこの3つとも訪れたことになる。単に訪れただけで、巡礼ではないから自慢できることでもないし、大いばりで話すことでもない。 3大巡礼地のエルサレムとローマは、今は簡単に行ける。サンチャゴ・デ・コンポステーラとて、そこだけに行くなら同じように簡単だ。サンチャゴへの巡礼が最盛期だった12世紀ころは、エルサレムはイスラム教徒に占領されていた。ローマは、はるかな聖地というには近すぎる。ヨーロッパの西の果てにあるサンチャゴこそ巡礼地にふさわしいと、キリスト教徒達がそこを目指した。途中で英仏100年戦争や宗教改革があり衰退した時期もあったけれど、1000年間も巡礼が続いているのは事実だ。なぜこんなに魅力があるのだろう。彼らの気持ちを少しでも知りたいものだ。 サンチャゴ・デ・コンポステーラに行くには、フランスやドイツから巡礼の道がいくつかあるが、フランスの最南端サン・ジャン・ピエ・ド・ボーから終着地までの約800qは「カミーノ・フランセ」と呼ばれる。カミーノはスペイン語で「道」。ほとんどの巡礼者はこの道を歩くか自転車でめぐる。歩く場合はほぼ1ヶ月。1日に平均30q弱を進まねばならない。それも重いリュックを背負わねばならないから簡単ではない。 私はエルサレムの旅で、巡礼証明書をもらった。イエスが奇蹟を起こした場所やゴルゴダの丘などイエス関連の地をたくさん訪れたとはいえ、単なる観光でもらうのはは恥ずかしいので捨ててしまった。 今回の旅では巡礼証明書はもらえなかった。もらう資格は、800qのうち100q以上歩くか、200q以上自転車で巡らねばならない。巡礼の道とほぼ平行して走っているバスによる移動だから、資格はないのだ。でも巡礼地をめぐるスタンプ帳には、教会や巡礼宿(アルベルゲ)でスタンプを押してくれる。 「朱印を集めるのが趣味なんですよ。子どもの頃の東急スタンプラリーと同じ感覚なんですけどね」という30代の若者がいたので「終わったら写真を撮らせて」と頼んだら快く貸してくれた。彼のスタンプはたぶん参加者の中でいちばん多いような気がするが、合計19個もあった。 キリスト教に関心のない人でも、イエスがゴルゴダの丘で磔にあったことや、イエスから鍵を渡された一番弟子がペテロだということは知っていると思う。でも今回訪れたサンチャゴは、聞いたこともない人が多いかもしれない。 発音の違いが地名や人名をややこしくしている。ローマのサンピエトロ寺院を訪れたときも、ペテロとピエトロが同じ人物だとは知らなかった。ましてやピーター・ピョートル・ペーター・ピエール・ペテロス・ペデロが同じだと知った時は、思わず“そうだったのかあ”と唸ってしまった。 今回の旅でも添乗員が「聖ファン聖堂です」と説明した。メモをとっている信者の方が、聞き慣れない名前なので何度も聞き直す。私が「ファンって、ヨハネのことよ。Juanはスペイン語ではファンと発音するの」と教えてあげたら、いたく感謝された。 さて肝心のヤコブがなぜサンチャゴなのか。ラテン語のヤコブは英語ではジェームス、ドイツ語ではヤーコブ、フランスではジャック、イタリア語ではジャコーモ、スペイン語ではJacobo
Diego。 スペイン語で聖ヤコブは Saint Jacobo Diego。これを短縮してSantjagoサンチャゴ。もっとも、今はSantiagoと表記しているようだ。そういえば、フランスではホタテ貝の料理のことを「コキーユ・ド・サン・ジャック」だ。ヤコブのコキーユということになる。 巡礼者のほぼ全員が、ホタテ貝とひょうたんを身につけ、杖を持っている。今回の旅ではホタテ貝の模様を100個以上見た。聖ヤコブ像、教会の入り口、教会の壁、巡礼の道筋をしめす道路上、道しるべなどで。「これで最後にホタテ料理を食べたら最高ね」と私は、はしゃいでいたが、サンチャゴ・デ・コンポステーラでは、本当にホタテを焼いた料理が出た。その料理の皿に使ったホタテの貝殻を土産にくれたが、そのうちガラクタになってしまうだろう。
前に訪れたときはあと100年もかかるような事を言っていたが、なんと2026年、16年後には完成予定だという。15年前からたいして進んでいないだろうの思いこみは違っていた。南側の生誕の門の左隣に、石造りの建物が増築されていた。石の色が違うので、どう見ても違和感がある。なんでも新幹線地下鉄建設の予定があるので、工事前に作ってしまおうということらしい。 次に前回は行かなかったカタルーニャ美術館を訪れた。標高173bのモンジュイックの丘は、1929年に万博が開かれたメイン会場だ。美術館はその時に出来た施設。前庭からは街並みやサグラダ・ファミリアも遠くに見えた。 美術館見学は、これから訪問する地に関係ある。ピレネー山脈に点在する小さな教会から集めてきたロマネスク美術の傑作を見るためだ。集めたというと聞こえはいいが、1910年代にはっきりいうとかっさらってきたのだ。ピレネー山脈の北側つまりフランス側にもロマネスクの教会が点在していたが、フランスは雨が多く痛みがひどかった。だからほとんどがスペインの教会のフレスコ画。教会の中にあってこその壁画だと思うが、当時としては、荒れ果てたところで朽ちるよりも、一堂に集めて保護した方がいいと考えたのだろう。今からでも元に戻したらと思うが、そうはいかないらしい。
ルーマニアとブルガリアでキリスト教の壁画を見たのは、2ヶ月前。でも「また聖画かあ」のうんざり感はなかった。ロマネスク絵画とイエス木像の暖かさと素朴さに、わけもなく宗教性を感じた。 昼食後は、今日の宿泊地・ビエラまでバス移動。ピレネー山脈の麓が連なり、雪が残っていたらもっときれいだろうと勝手なことを思いながら、窓外の景色を眺めていた。2008年に開通したばかりのビエラトンネルを通り、ビエラのパラドールに着いた。パラドールは貴族の館・城・修道院・病院などを改装した国営ホテル。当時のままの建物を利用している場合もあるが、ビエラのそれは、リゾート目的に建てられたもので、歴史的価値はないようだ。 夕食前にE社でいつもやる自己紹介をした。名前しか言わない人もいるが、旅の目的を語る人もいる。Tさんは「私は最近プロテスタントからカトリックに改宗しました。聖書の勉強会をしていますが、たまたま今は使徒行伝でヤコブがヘデロ・アグリッパによって処刑されたところを読んだばかりです。こんなときにサンチャゴの旅に来られたのは幸せです」と語った。こういう目的を持った人が仲間にいるのは活気が出ていいなと思った。 次(ロマネスク教会とパンプローナ)へ ホームへ |