ルーマニアブルガリアの旅 10(最終回) 2010年6月29日(火)−10日目 リラの僧院に行った日の午後を書いている。昼食後同じ道をソフィアに戻った。3時頃から歩いてソフィア市内のみどころを見て回った。ソフィアはヨーロッパの首都としてはマドリッドに次いで標高が高いというが、そんな実感はない。 ソフィアの目玉は、露土戦争で亡くなった20万人を慰霊するために作られた、アレクサンドル・ネフスキー寺院(左)。ロシアの援助で建てられロシアの聖人の名がついた寺院が、ソフィアの目玉というのも妙な気がする。 寺院の地下にあるイコン博物館は、非常に見応えがあった。博物館で見るイコンは、厳かさには欠けるが分かりやすい。キリストのイコンも、聖書を開いている絵と聖書を閉じている絵がある。開いているのは「あなたに知恵をあげましょう」、閉じているのは「もう知恵をあげました」を意味する。聖母子像も30種類あるそうだ。 ネフスキー寺院の出口には、花売り娘ならぬ花売りバアサン(左)が並んでいた。ここブルガリもルーマニアと同じように、年金生活者は厳しいのだなと想像した。 ネフスキー寺院の向かい側の国会議事堂広場に、露土戦争の勝利者・ロシア皇帝アレクサンダル2世(1818〜81)の騎馬像がある。共産主義時代のソ連を思い出せる像や通りの名前は、すべて撤去したり変更したのに、露土戦争時代のロシアは撤去されていない。 通りを歩きながら見た聖ニコライ教会も、5つのタマネギ型ドームがついている。同じ正教でも、ブルガリア正教とロシア正教は宗派が違うので、ロシア人が建立した。「またロシア?」と独り言。 博物館・美術館・考古学博物館などもこの通りにあるが、素通り。考えてみるとルーマニアの首都も簡単に見学しただけだったが、ブルガリアのソフィア観光も、あっさりしたものだ。 考古学博物館前の大統領官邸には衛兵(左)2人がいた。王様じゃあるまいし、大統領に衛兵は時代遅れのような気がするが、プラハの大統領官邸にも衛兵がいた。社会主義だった国は、王政になつかしい気持ちを持っているのだろうか。
ホテルに5時到着。実は今日の5時からサッカーW杯の日本対パラグアイ戦の中継がある。朝観光に出発するときに「5時にはホテルに戻ってね」と、添乗員のSさんに冗談めかして頼んだ。冗談ではなく本当にサッカー中継を見たかったのだが、団体行動だから強くは言えない。結果的にはなんとか試合開始に間に合った。 6月30日(水)7月1日−11日目・12日目 5時30分にホテル出発。もちろん朝食はホテルが用意した弁当だ。 7時35分(ソフィア発)→アリタリア航空で8時20分(ローマ着) 時差が1時間あるので2時間弱のフライト。事前にもらった日程表を見るとローマの空港での待ち時間は7時間もある。 空港からローマのテルミニ駅までは電車で30分。7時間もあるからテルミニ駅周辺には行く時間がある。映画「終着駅」の舞台にもなったこの駅を私は見ていない。ローマのガイドブックも持参したが、手荷物をどうするか、預けたとしてそれを受け取る時間も見なければならない、暑い・・など考えると行く気持ちは萎えてしまった。 出発が1時間遅れたので、8時間もこの空港の待合室で過ごしたことになる。なんと無為な時間。 こういう旅はいやだなと思うが、お任せコースを選んでいる自分が悪いのだ。 イタリア人の新婚さんやアニメに憧れているロンドンの学生が、これから日本に向かおうとしていた。「日本なんか面白いのかなあ」とつい自国を卑下してしまうが、活力を失った日本にもこうして目を向けてくれる外国人がいることが、嬉しくなった。8時間も待たされて何も良いことがなかったローマの空港で、思わぬ発見があった。 6月30日16時35分(ローマ発)→アリタリア航空で7月1日 11時35分(成田着)
(2012年4月16日 記) 感想・要望をどうぞ→ ルーマニア・ブルガリアの旅1へ ホームへ |