南米の旅 12回(最終回) 2005年9月14日(水)-13日目 今日はナスカの地上絵を見ることになっている。ナスカから100キロほど離れたイカという街に泊まっているので、朝7時半には出発。午後になると雲や風が出て、セスナ機が飛ばない可能性があるという。 今回の旅でいちばんの心配は、地上絵見物中に酔ってしまわないかということだった。ガイドブックや旅行会社の注意書きには、「ひどく揺れる」とは書いてないが、個人の旅行記には、「もうヘロヘロ〜」などの記述が多い。私は、ラスベガスからグランドキャニオンへ小型飛行機で飛んだ時に気持ち悪くなったことがあり、要注意なのだ。酔い止め薬は何時に飲めば効果的かを調べ、昨夜から今朝にかけて、食事の量も極端に減らした。 こんな飛行を喜んだ人は皆無かもしれないのに、セスナ機の社長が、1人ずつ乗機証明書(左)を手渡してくれた。乗っただけで証明書など大げさ。 このツアーは悪条件が重なっていた。日本を出てから13日目。連日の強行軍で、体力が落ちていた。私のように丈夫でない人は慎重に行動するが、日頃体力に自信がある人ほど、具合が悪くなった。もしこれが逆コースで、旅の初めのフライトなら、こうはならなかったかもしれない。 「ガラス越しなので、地上絵はきれいには撮れませんよ」と、ガイドの川又さんが言った。しかし、バカチョンカメラに、コンドル、ハチドリ、サル、ペリカン、宇宙飛行士、クジラ、クモ、ペリカンがはっきり写っていた。天気次第では、ナスカに来ても、セスナ機が飛ばないこともあるという。見学できたのはラッキーと考えることにしよう。
ナスカの地上絵は、NHKが調査した「行ってみたい世界遺産」で堂々12位。空からしか見えないこと、誰が何の目的で作ったか未だに謎。そんなことが、ロマンをかきたてるのかもしれない。 ナスカ文化は紀元100年から600年頃に、プレインカ文化として発展した。地上絵以外に、土器や織物も有名だ。ナスカの地上絵が有名になったのは、1941年、アメリカのコソク教授が「世界一大きい天文カレンダー」と宣言してからである。 目的はわからないが、広大な平原に、直線、三角形、動物、魚、虫を描いた。どのようして描き、何を意味したのか。これもいまだ謎である。雨がほとんど降らないので、保存状態が良いそうだ。 どのようにして描いたのか。川又さんは「@小高い丘に指導者がいて、指揮をとった。A気球に乗って指揮をした。B小さな絵を描いて拡大したなど諸説あります。はっきりしたことは、わかっていないのです」とクールに話した。 昼食後、観測塔(ミラドール)に登った。観測塔とはいえ、さほどの高さはない。ここかから見える地上絵は、「手と木」と名がついている一部。カメラにおさめようにも、全部は入らないし、単なる線にしか見えない。改めて地上絵の大きさを実感した。左写真は、セスナ機から見たミラドールと「手」。 来た時と同じパンアメリカンハイウェイを400キロ走り、リマに戻った。車窓からリマ市街地の観光。日本大使館が人質事件の舞台になったのは、1996年。10年も前の事かと、感慨深く外観を眺めた。 和風レストラン「ふじ」に着いたのは、夜の8時。ここで日系人移住者の苦労話を聞くことになっていたが、経営者が店の宣伝をしただけで終わった。 |