南米の旅 (アルゼンチン・ブラジル・ペルー)
<2005年9月2日(金)〜16日(金)>

1.  アルゼンチンタンゴ
2.  ブエノスアイレスのボカ地区
3.  イグアスの滝
4.  アマゾン川とマナウス
5.  マナウスからリオへ
6.  リオデジャネイロ
7.  リオからリマへ
8.  インカの都・クスコ
9.  聖なる谷からマチュピチュへ
10. マチュピチュ遺跡の内部
11. クスコの民族衣装
12. ナスカの地上絵


南米の旅 1
アルゼンチンタンゴ


 K社の南米15日間のツアーに行ってきた。訪れた国は、アルゼンチン・ブラジル・ペルー。右地図を見ればわかるように、行きつ戻りつの飛行ルートなので、無駄な移動時間が多い。

 朝4時のモーニングコールが何回もあり、こんな欲張りツアーには2度と参加すまいと、心に決めた旅でもあった。そうは言っても、私は体調も崩さず、楽しい2週間を過ごした。

2005年9月2日−1日目

 ツアー仲間は予想通り、熟年層中心の17名。母親と参加の大学生ひとりが、例外的に若い。

 成田発(19時)→ヴァリグ航空でロサンゼルス着(13時20分) 日付変更線があるので、計算しにくいが、所要時間は10時間20分。

 ロサンゼルスの出入国検査で、指紋を採取されたうえに、顔も撮影された。9.11事件以後、敏感になっているのはわかるが、アメリカの大地には一歩も降りていない。しかも、成田→ロスとロス→サンパウロは同じ飛行機で座席も同じである。機内に閉じこめておくことだって可能だ。指紋を採取することが目的ではないかと、疑ってしまう。

ロサンゼルス発(14時30分出発の予定が、コンピュータの故障で17時30分発)→サンパウロ着(9時30分) これまた計算しにくいのだが、所要時間は12時間。

ロス出発前の機内で、「コンピュータが故障した」と恐ろしいアナウンスがあった。何時間も待たされたあげく、「修理できないのでコンピュータを交換する」という。交換は思ったより早かった。こんなことなら、最初から交換して欲しかった。

サンパウロ発(14時)→ブエノスアイレス着(9月3日16時30分) サンパウロ空港で待つこと4時間半で、アルゼンチン行きの飛行機に乗った。もう頭がもうろうとして、文句を言う元気もないし、文句を言ったからとて、ことが解決するわけでもない。所用時間は2時間30分。

 結局、成田からブエノスアイレスまで、待ち時間を含め、33時間30分かかった。横浜の自宅を出てから、40時間近くになる。日付はいつの間に変わっている。

9月3日(土)−2日目

17時30分にブエノスアイレスの空港をバスで出発。事前に知らされていた到着時刻は午前10時。6時間以上遅れたので、観光は半ばあきらめていたが、ホテルに向かう途中で数カ所下車した。現地ガイドは、日本人の中年女性・遠山さん。どうしてこの国にいるのか知りたかったが、こちらからは質問しづらい。遠山さんは、冬のコートを着ていた。想像していたよりずっと寒い。

バス内でアルゼンチンの概要を聞いた。日本の8倍の面積に3700万人が住んでいる。1536年に、スペイン人のペドロ・デ・メンドーサが小屋を作ったのに始まる。北米南米のどの国もこんなものだから驚くことはないが、まだ470年の歴史しかない。

 38%がイタリア系・29%がスペイン系という白人社会。ドイツ・アラブ・イギリス・ユダヤ人は300万人・韓国人4万人・日系人3万人。日系人は、花の栽培やクリーニング業などにたずさわっている。原住民がいないのは、虐殺されたのか、追い出されてしまったのか。

高速道路は、1978年のワールドカップの時にできた。朝の8時から9時半は大渋滞する。5月広場(1810年5月25日の5月独立革命にちなむ)で下車。肌寒い夕方にもかかわらず、たくさんの人がくつろいでいる。ことある毎に、人々が集まる広場だ。

5月広場に面して建つ大統領府では、ちょうど衛兵が国旗を降ろしているところだった。ピンク色の豪華な建物。もちろん今の大統領も執務している。1873年から94年の建築。

 地下鉄完成は1913年と古い。日本の銀座線はこれをモデルに作ったのに、今のブエノスアイレスB線には、丸の内線の古い電車が走っている。逆転現象がおもしろい。乗る時間がなかったのは残念。車窓から見たコロン劇場は、パリのオペラ座、ミラノのスカラ座とならび世界3大劇場と言われる。外観を車窓から眺めただけなので、3大と言われても感想すらないが、以前は繁栄していたアルゼンチンの象徴だろう。

 ホテルが面している7月9日大通り(1816年7月9日に正式に独立したことにちなむ)は、144bの幅がある。広い道路の中でひときわ目立つのが、市政400年に作られた高さ67bのオベリスク。エジプトから略奪した本物のオベリスクではなく、似せて作っている。歴史の浅い移民国家は、古いエジプトに憧れを持つらしい。

 
高さ67bのオベリスクのライトアップ タンゴの名手・カルロス・ガルメル像 「ラ・クンパルシータ」を踊る2人

ホテルへチェックイン後、「カルロス・ガルメル」という店で、8時半から10時半までアルゼンチンタンゴショーを見た。店の名は、タンゴ全盛時代に一世を風靡したカルロス・ガルメルの名をとっている。店の前に彼の銅像があった。タンゴの全盛は1920年から1950年で、過去のものになりつつある。アルゼンチンの現在の若者は、見向きもしないらしい。

 アルゼンチンタンゴは、私が若い頃は日本でも流行していた。長旅の疲れもなんのその、なつかしい曲と踊りにうっとりしてしまった。特に「ラ・クンパルシータ」には、みな拍手喝采。長い長い移動と少しの観光とタンゴショーが終わり、数日ぶりにベッドに横になった。
<ブエノスアイレス ホテルブリストル 泊>  (2006年6月16日 記)

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