上海と江南の旅2
 蘇州と上海

2009年12月13日(日)-3日目

蘇州の運河今日は蘇州市内を見て、上海に戻る。雨こそ降っていないがどんよりとした曇り空。こんなに天気に恵まれない旅も珍しい。

まず、留園に行った。蘇州には名園が多く、10ぐらいの庭が世界遺産に登録されている。その中でも留園は名園だという。長い回廊や花窓の透かし彫りがきれいだった。

 市内を歩いていると 運河と橋と古い家屋(左)の絵になる風景に出会える。運河めぐりは出来なかったが、これで良しとしよう。

次は禅宗の寒山寺へ。私が蘇州にあこがれたのは、東洋のベニスということもあるが、寒山拾得に興味があったからだ。国語の教科書に乞食みたいな2人の絵が載っていた。森鴎外の短編も読んだことがある。寒山寺の名は、唐の時代に寒山と拾得というふたりの僧が住むようになってからで、その前は妙利塔院の名前がついていた。

寒厳幽窟に住んでいたので寒山と呼ばれ、拾得は豊干に拾われたのでその名がついた。ふたりは寺に住み、食事係となって乞食のような生活をしていた。それでも仏教には深く通じていたようで、寒山は文殊菩薩、拾得は普賢菩薩の再来とも言われた。多くの画家や小説家が2人を題材にした理由が、分からなくもない。

でも、画家や作家が興味を示したような寒山拾得の正体は、境内を歩いただけではつかめなかった。堂の中に祀られた2人の金ぴか像を見ると、憧れていたことさえ、損をした気分になる。

寒山寺 寒山と拾得 寒山と拾得
寒山寺 寒山と拾得 これも寒山と拾得

次は、刺繍研究所見学とショッピング。単なるショッピングとしないで、見学と名前をつけるところが涙ぐましい。でも刺繍をしているところなど、なかなか目にすることは出来ないので、これはこれで目の保養になる。蘇州は特に両面刺繍が有名だ。表と裏が別々の模様になり、神業としか思えない。この両面刺繍も、わが家にすでにある。

朱家角 私のような旅行者ばかりなら、現地の旅行会社はあがったりだが、37人もいると、誰かは買い物をする。日本の旅行会社から安い値段で丸投げされる中国の旅行会社は、買い物やオプションから得られる利益がなければやっていけないのは想像できる。なにしろ、基本プランは飛行代・4泊のホテル代・11回の食事・観光付きで25,000円。

次は生糸工場とシルク製品のショッピング。繭から生糸ができる話は知っているが、実際には見たことがなかったので、小学校の工場見学みたいで面白かった。

昼食後、朱家角(左)に向かう。長江下流の水郷地帯に残る明や清時代の町並みは、新しい観光スポットにないっている。

 朱家角もそのひとつで、「正真正銘の明清時代の町」といううたい文句。町の運河には36もの古い橋がかかっている。その中でも明の時代1571年に造られた放生橋は、朱家角の中心地。

 この橋まで案内してきた帳さんは「ここからは自由時間にします。粽や豚の角煮を売っていますが、油っぽいのでお腹を壊すかもしれないから食べないように。真綿布団も売っているが、怪しい製品もあります」と注意をうながす。自分の国の店の悪口を言うガイドもつらいだろうが、日本人の信用を失う方がもっと困るからだろう。

約1時間走って上海に戻ってきた。ロビーに入っただけで良いホテルだとすぐわかった。いい匂いがして、クリスマスのイルミもあか抜けしている。かなりの人が黄浦江クルーズのオプショナルツアーに参加したが、みんなと同じ行動をとりたくない私たちは今日もパス。

 Kさんはホテルでゆっくり休んでいたが、Tさんと私たちは、近くにある「豫園の商店街」にくりだした。立派な構えの店は骨董品・真珠・化粧品・衣料品・食料品など多種にわたっていた。中国人や観光客で混んでいたが、8時には店が閉まるという。アジアの商店街は夜中まで賑わうイメージがあるが、中国がこんなに早く閉まるのかと意外な気がした。

 何も買わないと決めているが、一緒に行ったご夫婦が「前にここで買ったお菓子が美味しかった」というので、自宅用に買った。2〜3年前は、ちょっとした食料品をお土産に買っていたが、今は中国製品というだけで嫌がるご時世なので自宅用にしか買えない。    <上海の豫園万麗酒店(ルネサンスホテル)泊>

12月14日(月)-4日目

上海ヒルズ 集合時間までの1時間を利用してホテルから豫園の商店街を抜けて、黄浦江の方まで歩いてみた。電波塔も上海ビルズも間近に見え、すぐたどり着けそうな気がしたが、工事中のビルに阻まれてしまった。タイムアウトで仕方なくホテルに戻った。

 観光バスで最初に向かったのは上海ヒルズ。日本の森ビルが出資しているので、六本木ヒルズみたいな呼び方をしているが、正式名称は、上海環球金融中心というビルである。

 厳しいボディチェックを経てやっと入場できた。なぜこんな大げさな身体検査をするのか分からない。100階、474bのビルだが、私たちは94階の423bの展望台に行く。

 黄浦江を中心に手前には、電波塔、シャングリラホテル、川の向こう岸にはイギリスの植民地時代を象徴する和平飯店などの洋風建築、泊まっているルネサンスホテルのビル群も見えた。展望台から撮った左写真は、上海ヒルズの特徴である栓抜きみたいな形の陰が映っている。

 今日はこの旅で初めての晴天。きのうまでのような曇天や雨天なら、この展望は臨めなかった。終わりよければすべてよしの上天気。このビル群だけを見ていたら、東京などより大都会である。

高層ビルとボロ家

 次はお茶の試飲とショッピング。かわいらしい女の子が、お茶を入れてくれた。お茶を飲んだあとはお定まりのショッピング。「台湾のお茶はおいしいけど、中国のは品質に安定性がないから、買わない方がいい」と聞いているので、ここでも何も買わない。それに、わが家にはなぜか中国茶がたくさんある。

 昼食後、豫園観光。ここは蘇州の留園を真似したものなので、世界遺産には指定されていない。37人の中の数人が、いっとき迷子になってしまった。なぜこんな寒いとき、しかも12月の半ばにこんなに混んでいるかわからないが、それだけ中国の人口も多く、日本でも私たちのようは暇人が多いのだろう。

 中国風庭園は、どうも好きになれない。25年前は5月に来た。緑も鮮やかで今回のように落葉した木ばかりではなかったのに、感激しなかった。私の感性にあわないのだろう。

 左は観光の合間に見た光景。新しい高層ビルの陰にはこうした家があり、昔の人民服のような紺色の服を着たオバアサンがゴミをあさっていた。これも中国である。

 つぎは上海博物館へ。新石器時代から現代までの物が10万点も所蔵している。1時間しかなかったが、1階から4階までの主な展示は見た。長きにわたって中国文明が高かったことは、一目瞭然だ。日本の文化も中国の影響を受けている物がほとんどだ。そのことだけは忘れないようにせねばと心に誓った。

 夕食に上海蟹を出す!が、ツアーのうたい文句になっていた。すべてコミコミで25000円。その値段で日本では高級料理の上海蟹が食べられるなんて、まか不思議。夫が1年前に仕事がらみで上海に寄ったときは、タグがついている蟹だったそうだ。でも今回のはそんな保証品ではなかった。貧弱。

 今日もオプショナルツアーがついている、上海雑伎つまりサーカス見学だ。前にも見ているし、日本の大衆ホテルでも見たことがある。KさんもTさんも前に見ているのでは、やはりパス。

ライトアップのテレビ塔 Kさんは昨夜同様ホテルで休んでいるというので、Tさんと私たちは、黄浦江に行って、夜のクルーズに乗ろうと考えた。タクシーで船着き場に行ってみたが、クルーズ船は出ていなかった。

 テレビ塔に昇ろうかと思ったが、やけに値段が高い。しばしぶらぶら歩いていると、ライトアップしたビルをめぐるバスツアーがあることがわかり、乗ってみた。途中から雨が降ってきて、簡単な幌しかついてないこともあり、少々濡れてしまったが、ライトアップビル(左はテレビ塔)めぐりが出来た。<上海のルネサンスホテル泊>

12月15日-5日目

来たときと同じ虹橋空港へ  上海発(9時40分)→羽田着(13時30分)(2011年7月2日 記)

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