カンボジアの旅 7 (最終回)
 


2004年1月3日(土)-7日目

ホテルで豪華朝食後に、ソバトさんのガイドでプノンペン市内見学に出発。シェムリアップのロタ君は先祖が中国人だが、ソバトさんは純粋なカンボジア人。浅黒い肌を持つ精力的な感じのする人だ。小学生の子供が2人いる。

カンボジアのツアーの多くは、アンコール遺跡が中心である。首都に寄らない場合が多いが、やはり国の首都は見学したい。人口は約100万人。国全体では約1300万人だから1割弱が首都に集中している。

今のカンボジアは立憲君主制。50歳以上の人ならカンボジアの内戦はメディアを通して知っている。ベトナム戦争が終わる頃、1970年に勃発したカンボジアの内戦を経てフランスから独立し、1993年に立憲君主の国になった。
内戦前のプノンペンは、「東洋のパリ」「インドシナのオアシス」と呼ばれるほど町並みが美しかったと聞く。

王宮
今見る王宮は1919年、フランスの植民地時代にフランス人の建築家により造営。シアヌーク殿下の時代に繁栄したが、その後が悲惨。1975年にポルポト軍がプノンペンを占領し、全住民は農村へ。首都は荒廃した。活気を取り戻したのは最近のことだという。

王宮は敷地が広く観光客が少ないこともあって、のびのびできる。王には政治の実権はないが、お住まいは広い敷地のどこかにあるという説明だった。ブーゲンビリアなどおなじみの花はあちこち咲いている。シェムリアップ周辺の混雑とはかけ離れていた。

たくさんの建物の中でひときわ目立つのが「即位殿」。59bの高さの塔の頂上には白い顔の仏像がついている。唇が赤くて、顔が白く、なまめかしい仏像だ。

シルバーパゴダ
王宮の隣にある寺院。内部は撮影禁止。1650点もの宝物があるかららしい。ケースには精巧な細工をほどこしたものが展示されてあった。価値がわからないからあまり興味はないが、王政時代のカンボジアの繁栄は想像できる。シルバーパゴダ、つまり銀の寺のいわれは、床に銀タイルが5329枚も敷いてあるから。ここの本尊もエメラルド仏だ。

 
王宮
 
王宮

 
即位殿
 
即位殿の頂上にある仏さま

 
シルバーパゴダ
 
シルバーパゴダ


ツールスレン博物館
博物館の名があるが、ポルポト時代の刑務所だ。高校の校舎を利用した刑務所だったが、ポルポトの残虐行為を残すために博物館にした。二重の鉄条網がなければ、ごく普通の校舎だが、中に入ると、鉄のベッドに、拷問の道具が置いてある。展示場には、この刑務所で処刑された2万人のうちの一部の人の写真がある。アウシュビッツを思い出した。虐殺の様子を描いた絵もあったが、写真に撮るのははばかられた。

 
拷問の道具
 
ここで処刑された人の写真


ソバトさんは、12歳の時に弁護士だった父を教師だった母を殺されている。単に、インテリ階級ということかららしい。その時残された子供たち、つまり彼の兄弟はみな無事だという。これまでどんなにか苦労したことだろう。

4年前にJICAの奨学金で北九州で研修した。帰国後は日本語を使うチャンスがなかったので、忘れてしまったとか。JICAもなんとかしてやれないものか。彼は観光ガイドではなく、公務員だという。公務員の給料が安いので副業をしているが、プノンペンにはあまり日本人が来ないので、ガイドの仕事は多くないそうだ。

ところで、ポルポト時代の裁判は、まだ行われていない。うっかり裁判をすれば、また混乱が起きかねないそうだ。いちおう社会主義の立場なので、ベトナムとの関係が深いというが、政情は非常に不安定だと彼は語った。

国立博物館
カンボジア全土の青銅器や彫像が展示されてある。アンコール遺跡の物も、かなりこちらに運ばれている。博物館の外観も、素晴らしい。赤いクメール様式で統一され、暑さを考慮してか、窓など大きく開放されている。1920年にフランスによって建てられた。だから素敵なのだと納得してしまう。

ワット・プノン 
丘の寺の名のとおり、小高い丘の上に建つ。ペン夫人が、ここに1372年に寺を建てたことが起源だ。プノンペンの由来となった寺だ。豚の丸焼きを頭にのせて運んでいる人がいた。珍しいので皆がカメラを構えたら、立ち止まってくれた。お寺に供物として捧げるのかもしれない。

レストラン「THMOR DA」で昼食 春巻き、酢豚、えびの胡椒いため、鶏とカシューナッツ、魚の揚げ物、スープ

セントラルマーケット
ここのマーケットは、観光客相手というより生活している人のための市場だ。電化製品や宝石、時計などの山を見ると、彼らの生活が向上しているのがわかる。最後にまたも、スカーフを買ってしまった。

蚕のサナギ・コオロギ・地蜘蛛を売っていた。現地の人は大好きだそうだ。いくら私が好奇心が強くても、試す勇気はなかった。イナゴを食べたことがあるぐらいだから、コオロギはまだいいが、蜘蛛は気味悪い。目をつぶって食べれば美味しいのかもしれない。

 
蚕のサナギ
 
コオロギ
 
地蜘蛛


15時プノンペンの空港着
ガイドのソバトさんとお別れ。彼はポルポト時代も経験しているし、ものの見方が広い。彼の話をもう少し聞きたかったが、あまりにも短すぎる。上辺だけのプノンペンになってしまったが、見ただけでも良かった。


17時10分 プノンペン離陸(バンコクエアウェイズ)→18時 バンコク着
ホテルのレストランで夕食  タイすき
バンコクの夜を楽しみたかったが、玄関を出るやいなや、お兄ちゃんたちが、タクシーに乗らないかと寄ってくる。こわくて散歩もできなかった。
         <バンコクのツインタワーズホテル泊>

1月4日(日)-8日目

3時半 ホテル発  6時 バンコク発(NW28) →13時40分 成田着

2時半ころ起きねばならなかった。混み合っている時期でなければ、バンコクには泊まらずそのまま飛行機に乗り込み、機中泊で、朝成田到着というパターンになるのだろう。行きのバンコク1日も、帰りのバンコク1泊も、飛行機の都合による無駄な行程だが、申し込みが遅れたのにベストシーズンに行けただけでも、良かった。総体的には天気も上々、仲間も上々。良い旅だった。

     (2019年(16年遅れで) 6月2日 記)

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