モンゴルの旅4(最終回)
 

2016年7月6日(水)-5日目

今日はウギー湖のゲルまで行く。移動距離は割と少ないが、朝から雨模様。ワゴン車で移動中、またもやタイヤが砂に嵌ってしまった。ドライバーはまったく心配そうなそぶりを見せず、離れたところを走っているワゴン車に合図。双方の乗客が降りて見物している間に、ロープをつけて引っ張ったら難なく砂から抜け出せた。

助けてくれた車に乗っていたのはドイツ人のツアー。モンゴルだけを2週間かけて回っているそうだ。「私たちは1週間。中はわずか5日間」と言うのが恥ずかしかった。そういえば、ツエンケル温泉のゲルにはスイス人も泊まっていた。大自然と文化を併せ持つスイスに住んでいるのだから、モンゴルまで来なくていいのにと思うが「スイスは狭くてつまらない。モンゴルは雄大だ」と話していた。どの国の人も、ない物ねだりの気持ちを持っているのだなあ。

ツエツエルグという町で1台のバスに合流した。トイレ休憩のために2日前に見学したカラコルムに寄った。ツアーで来ている日本人にたくさん出会った。今年の夏はヨーロッパがテロで危ないと敬遠する人が多く、モンゴルツアーは盛況のようだ。

ここに民族衣装を来た女性がいた。高校を卒業後20年目つまり38歳の同窓会に、出身地の民族衣装を着て集まった(左)のだと話してくれた。 

この後、町の人や遊牧民が利用するザハに寄った。ザハはモンゴル語で市場を指す。

日用品、衣類、食べ物が山積みになっている。乾燥チーズや馬乳酒など独特のものもあれば、パンや袋菓子などどこにもありそうなものも売っている。肉屋は大きな塊が吊ってありワイルドだ。でも少し覗いたら「出ていけ」の仕草をされた。旅行者が買うはずがないからだが、モンゴル人は概して愛想はあまりよくない。アラブ人なら、冷やかしと分かっていても笑顔で迎えてくれる。

 
 
日用品が並べてある
 
動物専門の薬屋
モンゴルならではか


 
乾燥チーズ馬乳酒を売る店

ランチの後、ホショーツアイダム遺跡を見学した。1889年にロシア人が発見した突厥(とっけつ)時代の首都。2000年から2003年にトルコが中心になって発掘した。だから博物館にはトルコの国旗もはためいていた(左)。突厥は、6世紀から9世紀にかけて中央ユーラシアにあったトルコ系遊牧国家だからトルコが発掘してもなんら不思議はないのだが。

学芸員が石像や石棺や石碑を見ながら説明してくれた。突厥はでウイグル人に滅ぼされたのだが、突厥もウイグルも今のモンゴルとの関係が良く分からない。


早い時間にウギー湖畔モンゴルの旅1の地図参照)に到着。本来なら野鳥がいるらしいが、湖に着いた頃は激しい雨が降り、バードウオッチングどころか散策も出来やしない。雨が降っているのでゲルの中にいても薄寒い。早めにストーブを焚いてもらった。

そうこうしているうちに雨が止んだので、湖畔を散歩したが山羊の糞がころがっていて、ゆったりと散歩する気分にはなれない。ここのゲルでの夕食は美味しかった。マスターが湖で釣ったばかりの魚をフライにしたものだ。釣った魚の写真をスマホで見せてくれた。ここのゲルではスマホが使えるようだ。

 
寒いので昼間からストーブを炊いてもらった

 
ウギー湖畔 雨上がりの直後なので寂寥感がただよう

トイレに起きた時に上を見上げると星空だった。天気がよくないとボヤキながらも、星撮影目的で参加した人たちには満足だったのではないだろうか。

                                            <ウギー湖のゲル泊>

7月7日(木)-6日目

相変わらずスカッとした青空ではない。今日は事実上の最終日。ミニナーダム祭を見学後、ウランバートルに戻る。

モンゴル料理の昼食の後、広場で行われるミニナーダム祭を見学した。7月2日に出発するツアーを選んだのは、「ナーダム祭見学」とパンフレットに書いてあったからだ。ところが現地に着いてからガイドのアリさんが「ナーダム祭はアセムの会議があるので、ずれこんでいます。だからミニナーダムをご案内します」と、悪びれもなく言う。「ええ!事前に何も言ってくれなかったじゃない」と不愉快になったが、ここで喧嘩してもいいことないので我慢した。K社はたくさんのツアーを扱っているので、きめ細かさに欠けるが、選んだ私が悪いのだとあきらめる。

ミニナーダム祭は、村祭りといった雰囲気だ。でもここで憧れていた馬頭琴の演奏も聴けた。馬頭琴の弦は馬の尻尾の毛を使っていて、弦の上には馬の頭の彫刻がついている。モンゴル相撲も真剣に応援した。 モンゴル相撲と日本の大相撲で大きく違うのは、土俵も制限時間もないことだ。土俵がないので、押し出し・送り出し・寄り切り・勇み足などの手はない。背中や腰など身体の一部が地面につかなければ勝負はつかない。豪快な力相撲。

帰国してから名古屋場所があった。アリさんは「名古屋場所では稀勢の里が白鵬に勝ってほしい。モンゴル人はあまり白鵬が好きではないんです。朝青龍は好かれています」と言った。モンゴル人はモンゴル人力士だけを応援するのかと思ったが、そうでもないようだ。結果的には白鵬がこけて、日馬富士との勝負になったが、またしても稀勢の里は準優勝に終わった。モンゴル人力士が強いのは、相撲が生活の一部になっているからだろう。日本人はとうてい敵わない。

   
 
馬頭琴は馬の頭の彫刻がついている

 
日本とはルールが違うモンゴル相撲
 

調教師
 
馬乗りのショー

 
子どもたちの競馬 
ゴール寸前で白い馬が抜いた

 
お父さんとお兄ちゃんのサポートで走り抜けた
4歳の女の子


競馬も面白かった。日本のようにぐるぐる回る競馬場はない。草原を28qも走りぬく。参加者全員がそろって出発地点まで移動する。ミニナーダムの場合は、28qよりずっと短い4qを走るに過ぎないが、それでも草原の向こうから駆けてくる馬が見えた時はドキドキした。ゴール寸前でかわした馬が1着。馭者は10歳ぐらいの男の子だった。この競馬に出られるのは4歳から12歳まで。微笑ましかったのは4歳の女の子。お父さんが一緒について走ったが、さほど遅れないでゴール。ビリは4歳の子のお兄さん。後を守っていたようだ。家族愛にウルッとくる。

ナーダム祭の3つの競技は競馬、相撲、弓矢と聞いているが、弓の競技は見物できなかった。ウランバートルに戻ってからの予定がいくつかある。心を残して、さよならをした。写真で見る正式なナーダム祭は、大規模で厳かな雰囲気。かなり遠くからしか見物できないが、ここでは息遣いまで聞こえるほどの近かさ。結果的には村祭りのようなナーダム祭の方が良かったのかもしれないが、やはりウランバートルのナーダム祭も見たかった。

ウランバートルに入った途端に渋滞。アリさんは民族舞踊が始まる時刻を気にしてイライラしているが、仕方ない。10分ほど遅れて入場できた。1時間にも満たない歌と演奏とアクロバット演技だったが、意外にも高度な催しだった。観光客が来ない冬の間は世界各地で演奏すると聞いたが、さもありなんのショーだった。

そのあとはセーターやスカーフなどのカシミヤ製品を売る店に寄った。今回のツアーには若い人もいたので、こういう買い物は嬉しいらしい。

現地通貨を使い切るために、デパートにも寄った。ほんのわずかしか残ってなかったが、ウオッカの小瓶とちょっとしたお菓子を買った。夕食はしゃぶしゃぶのような鍋物(左)。雰囲気も味も良かった。都会に戻ってきたのだなと感じる夕食だった。 
 <ウランバートルのフラワーホテル泊>
  (2017年7月16日 記)

7月8日(金)-7日目

ウランバートル(8時55分発)→モンゴル航空で成田(13時40分着)      予定通り4時間ちょっとで到着。


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