ネパールの旅7
 スワヤンブナートとシェルパの話

2018年1月30日(火)−7日目   

カトマンズで昼食後、スワヤンブナートへ向かった。カトマンズの中心部から少し離れた小高い丘の上にあるチベット仏教寺院。ネパール最古の仏教寺院である。初日に見物したボダナートと似ている、シャカの知恵の目が描かれた仏塔にタルチョーという五色の旗。モンキーテンプルという別名もあるほど猿が我が物顔だが、観光客も現地の人もたくさんいて賑わっていた。

 
釈迦の知恵の目が描かれた仏塔
タルチョー(五色の旗)もにぎやか

 
仏塔がたくさん建っている

それぞれ意味があるらしいが覚えていない
   
 
寺の境内には野良犬が多いが吼えたりしない
特に暑い日ではなかったが寝転がっている

 
境内にはみやげ物店が並んでいる

その後バスで1時間半のナガルコットへ。ナガルコットの丘は標高2100m。東にエベレスト、西にマナスルやアンナプルナが見えるという。日程表によれば、ここで夕日鑑賞だが、今日も山は見えない。山端に沈む太陽だけは見えた(左)。私が名前を知っているエベレスト、マナスル、アンナプルナを1ヶ所で見られる丘なのに、なんてついてないのだろう。

朝のフライトが大幅に遅れたので、ホテルに着いた時には暗くなっていた。でも到着を待っていてくれたシェルパがいた。彼との「シェルパを囲む会」はとてもいい時間だった。この旅でいちばん印象に残ったのは何?と聞かれたら、このひとときをあげるだろう。

「僕はエベレストの初登頂に成功したシェルパのテンジンの従兄弟です。20年前からシェルパの仕事をしています」という自己紹介で始まった。1953年の初登頂から65年も経っている。「テンジンの従兄弟だと年齢があわない」とランさんにつぶやいたら、「でも彼は従兄弟と言ってたよ」。

20年もシェルパの仕事をしているから当たり前かもしれないが、彼はエベレストに4回、他に8000m級のローツエなどいくつも登頂している。がっちりした体つき、堂々とした話しぶり、親しみやすい笑顔に全員が魅了され、囲む会が終わるのが残念だった。

シェルパは山案内人・荷物運びを指す言葉だと思っていたが、もともとはヒマラヤの麓に住む少数民族。最近はヒマラヤの現地人ガイドを表す言葉にもなっている。シェルパが民族の名称だったとは、ここに来るまで知らなかった。民族の人口はおよそ16万人。

研究者がシェルパと一般人の血液を調べ、シェルパ族は高山病になりにくい体質を持っている事が科学的に証明されたという。「僕たちは高山病になりません。でも登山技術などは年に2回はトレーニングしています。高い心肺機能を持っているだけでなく、腕力・脚力・忍耐力・持久力や山に関する豊富な知識も兼ね備えていなければなりません。いろいろな国の方を案内するので、英語力も必要です。最近はシェルパ族以外が案内することも多くなり問題になっています。もしみなさんが登るなら、シェルパ族に依頼してください」と宣伝も忘れない。ツアー参加者のほとんどが60代から70代なので、「もし登るなら」に大笑い。

 
右がシェルパ、左がガイドのランさん

 
道具の使い方の実演


エベレスト登頂に至るまでには、60日から65日かかる。カトマンズから45分の飛行で2800mのルクラ空港ネパールの旅1の地図参照)到着。1週間かけて5300mのベースキャンプに到着。トイレやキッチンを作ると同時に山の神に成功を祈る。ベースキャンプで、酸素ボンベや道具の使い方を練習したり、高度順応の訓練をする。

6100mに第1キャンプ、6400mに第2キャンプ、7500mに第3キャンプを作る。ここでシェルパが最後の登山者を決定。ベースキャンプの頃から、登山者の能力を見極めていくのだという。登りたいと言い張っても、シェルパの許しがなければ登れない。もちろんシェルパを依頼しない登山者もいるが、シェルパ同行の場合は、80%が成功するそうだ。これまでにエベレストでの死者は200人以上。ほとんどが単独行だという。いまだに150の遺体がそのままだ。

「頂上は風が強いし早く下山せねばならないので、15分から20分しかいられません。チベット、ネパール、インド、パキスタンの4ヶ国が見えて絶景です」と話してくれた。

囲む会の会場には、登山道具が展示してあった。ロープ、ヘルメット、アイスピック、耳を覆う帽子は必須。ズボンもグローブもダウンジャケットも−45度に耐えるものだという。私たちが着ているダウンとさほど厚さに違いはないようにみえるが、どんな仕組みがあるのだろう。

質問タイムももうけてくれた。私は「ヒラリーとテンジンが登った60数年前は、ダウンジャケットなどなかったのに、寒さ対策はどうしていたの」と聞いた。「たくさん着たんです。何枚も重ね着して」という答えだった。

私がたかだか2000m級の山を登っていた50年前に比べ、今はウェアや道具は、格段に進歩している。8000m級の山の場合はウェアと道具が成功の鍵にもなる。「道具類が今ほどよくない時代にヒラリーさんやテンジンさんは、すごかったなあ」「マナスル初登頂に成功した日本隊もすごかったなあ」とあらためて思う。
 <ナガルコット ミスティック・マウンテン泊)    (2018年6月16日 記)

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