2018年1月24日(水)〜2月1日(木) 


ネパールの地図とカトマンズのボダナート
カトマンズのダルバール広場 

エベレスト飛行
タルー族の村とチトワン国立公園
第2の都市ポカラ
ポカラのハイキング 再びカトマンズ

ネパールの旅1
 
   

ネパールは父母が45年前に行っているし、近所の武蔵工大(今は東京都市大)に留学していたネパール人を招待したこともある。いつかは行ってみたいと思っていたが、2008年に王制から共和制に変わったことで政治的ゴタゴタが続いていた。追い打ちをかけるように、2015年には大地震。死者が2600人にも及んだ。復旧を待っていたらこちらの体力がもたないので、H社のツアーに参加することにした。

左はネパールの国旗。世界で唯一の矩形でない国旗。ネパール王家と宰相家が使っていた2つの三角旗を組み合わせた。

1月24日(水)-1日目

集合は羽田22時20分  出発は翌日だから、「ネパール9日間」とうたってはいるが、実質は7日間。22日の大雪で23日の羽田行の高速バスは運行中止。地下鉄と私鉄を利用する方法も考えたが、幸いにも24日の午後からは通常通りになった。後で聞いたのだが、埼玉から羽田への高速は24日も不通。苦労したという。

通常通りになったとはいえ、大雪の後遺症が心配で、集合時刻の1時間半前に到着した。今回の旅では、これからも待ち時間が多く無為な時間を過ごしたことが少し悔しい。

1月25日(木)-2日目

羽田(0時20分発)→タイ航空でバンコクへ(5時25分着) バンコクと日本との時差は2時間なので、約7時間のフライト

真夜中に飛び立ち、簡単なサンドイッチの夜食と朝食が出た。夜食はパスしたが、おちおちと眠ってもいられない。
しかもバンコクでの待ち時間は5時間。幸い足を伸ばして横になる椅子を確保できたので、半分は読書、半分はうつらうつら。

バンコク(10時30分)→タイ航空でカトマンズへ(12時45分着) バンコクとカトマンズの時差は1時間15分なので、約3時間30分のフライト。

15分刻みの時差の国は他にもあるのだろうか。時計をバンコクにあわせたり、カトマンズにあわせたり、面倒くさいことこの上ない。日本とネパールの時差は3時間15分なので、羽田からカトマンズまでは待ち時間を含め15時間以上。やれやれ。

下はネットからの拝借したネパールの地図。私たちが訪れた地は、地図上にあるカトマンズ・パラトプル・チトワン国立公園・ポカラ・ナガルコット・パタンである。ネパールのごく一部を回ったことになる。ヒマラヤ山脈の有名な山が描かれているので分かりやすい。

 


カトマンズの空港には、ランさん(本名は呼びにくいから略してこう呼んでいた)が出迎えてくれた。最終日まで同行する。7日間も一緒だったので優秀なガイドなら、ネパールについて詳しくなったと思うが、残念ながら彼の説明には深みがないので、物足りなさが残った。

昼食は機内ですませたので、すぐに市内観光が始まった。バスに乗るや、ランさんがネパールの概略を話してくれた。「人口は2,649万人、面積は北海道の1.8倍です。インドアーリア系、モンゴロイド系、チベット系のほかに少数民族がいる多民族国家です。とはいえ皆ネパール人です。公用語もネパール語ですから」


ランさんの話を聞きながら、窓の外に目を向ける。埃っぽくて道がガタガタで、電線がむき出しで車とオートバイと歩行者が混在している。ランさんがマスクを配ってくれたほど埃っぽい。秩序などまったくない。私はこういう雑多な街並みが嫌いではないので「アジアに来たのだなあ」とワクワクしてくる。

最初の見物はボダナート。大型バスの駐車場が近くにないので10分ほど歩いた。ボダナートは、高さ36mのネパール最大のチベット仏教の仏塔。三重の基壇と直径27mのドームがあり、基壇にはブッダの知恵の目が描かれている。ガイドブックには、この特徴的な目の写真がよく載っているが、ブッダの目とは知らなかった。

 
高さ36mの仏塔 基壇には釈迦の知恵の目が描かれている
タルチョーという五色の旗がはためいている

 
バターランプの灯明をしている堂の前にいた
おばあさん 左は大きなマニ車

 
集まって五体投地のお祈りをしていた
 
日本人僧侶・河口慧海はチベット入国前に
ネパールに寄った


このボダナートで目にした五体投地のお祈り、タルチョーという五色の旗、マニ車は、ブータンやモンゴルやロシアのウランウデ(モンゴル系が多く住んでいる)でも見た。チベット仏教独特のものなのだろう。教義の違いは分からないが、表面的には日本の仏教とは違う。中国、朝鮮を経て伝わった日本の仏教より、インドから直接伝わったチベット仏教こそ、本来の仏教に近いとも言われる。

「日本人には必ず案内しています」と、ランさんは石の説明版を指さした。黄檗宗の僧侶・河口慧海(1866年〜1945年)の碑である。河口慧海は梵語の原典とチベット語訳を求めて、鎖国状態だったチベットに向かった。「ここに日本とネパールの友好が始まる」の文字が彫ってあるのは、チベット入国前に立ち寄ったからだ。著書に「チベット旅行記」がある。

チベットで生まれたチベット仏教は近隣の各地に広まっているが、ネパールの仏教徒は約10%と大勢力ではない。いちばん多いのは80%も占めるヒンズー教徒だが、なぜか今回の旅で多く訪れたのは、チベット系仏教の寺。チベット仏教寺院は誰でもウェルカムらしい。現地のヒンズー教徒もたくさんお詣りしていたから、宗教の違いを超えた親しみやすさがあるのかもしれない。   (2018年3月16日 記)

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