シベリアの旅4 (最終回)
 日本人墓地とイルクーツク市内

2017年7月30日(日)−4日目

クルーズ後、ロシア科学アカデミー研究所が担っているバイカル湖博物館へ。カーチャさんは「バイカル湖が今の形になったのは80万年前。今も形成が続いている。336の川が湖に流れ込んでいるが、湖から流れ出ている川はアンガラ川だけです」と説明してくれた。湖から流れ出ている川がアンガラ川唯一とは、不思議でならない。

 
バイカル湖博物館の水槽

 
バイカルアザラシ 普通のアザラシより愛らしい

バイカル湖では見ることが出来なかったバイカルアザラシを博物館の水槽で見た。寒さに耐えるために肥っている。まん丸な感じで可愛らしい。

昼食は湖畔のレストランで。バイカル湖でしか捕れないオームリという魚づくし。オームリはサケ科だが、白身魚。サラダにも生のオームリ、スープにもオームリ、メインの魚料理もオームリ。ガイドブックを見ていた時はぜひとも食べたいと思ったが、特に美味しいとは思わなかった。

食事後はリフトに乗ってバイカル湖展望台へ。冬のスキー用のリフトを夏季は観光に使っている。バイカル湖を一望できるといううたい文句だが、バイカル湖のごくごく一部を見ただけだ。

 
スキー用のリフトで展望台へ ヤナギランが一面に咲いている

 
展望台からバイカル湖を展望


リフトを下りてから、リストビヤンカ日本人墓地に行った。小学校の同級生に、父親がシベリアに抑留されている子がいた。帰って来た話を聞かないからその地で亡くなったのかもしれない。54万6086人が抑留され、昭和52年までには帰国したが、帰国できず6万2068人がシベリアで亡くなった。日本が降伏後に捕虜としてとらえ、収容所に入れて労働させたソ連の行為は、許されるものではないだけに、遺族の無念さはいかばかりかと思う。


 リストビヤンカ日本人墓地

 
60名の墓標 カタカナで記してある

イルクーツク周辺だけでも10ヶ所以上の日本人墓地がある。ここのは1991年建立というから新しい。墓地を建てようにもソ連とは国交がない時期が長かっただけに、墓地を作ることも遺族がこの地を訪ねることもできなかったのだ。

カタカナの名前だけ彫ってある60名の墓標。出身地も享年もない。カーチャさんは、「遺族団が定期的に訪問する話は聞いたことがない」と言っていた。1991年建立は戦後46年も経っている。風化しても仕方ない。

オームリの干物や燻製を売っている市場(左)に寄った。オームリはわざわざ持ち帰るほど美味しいわけでもないので、残っているルーブルで、松の実や蜂蜜など日本で食べているものを買った。


その後1時間かけて、イルクーツク市内に戻った。シベリア3日目にして今日はくもり空で気温もいくぶん低い。市内散歩は楽だ。

スパスカヤ教会は18世紀建立のロシア正教の教会。帽子かスカーフを被らなければならないのは、正教会どこも同じだが、ミサに参加している女性に帽子姿はなくスカーフだけだった。ちょうど夕方のミサをしているところだった。讃美歌を合唱し祈る姿には、キリスト教徒でなくても荘厳さに感動する。「このミサは良かったなあ」と何度もつぶやく殿方がいた。

 
スバスカヤ教会 内部は撮影禁止だった

 
ズナメンスキー女子修道院



少し離れたズナメンスキー女子修道院に行った。その近くに、コルチャークの銅像があった。ロシア革命に反対しソビエト政府と対立し、いっときはシベリアに臨時政府を作った人物。ソ連崩壊後の2004年建立。ソ連は崩壊しても今のロシアは共産主義の国家である。反革命の代表的な人物の銅像といい、ウラン・ウデで見たニコライ2世の凱旋門といい、不思議な現象だ。

そんな例は他にもある。マルクス通りがアンガラ川に達したところにある公園の一画に、ロマノフ王朝時代の皇帝・アレキサンダー3世の像が聳えている。シベリア鉄道の功労者だが、革命の時には壊された。でも再建されている。ロシアの共産主義は、だいぶ後退しているのかもしれない。

 
ロマノフ朝時代のアレキサンダー3世像
 
左の像がある公園のすぐ前はアンガラ川



夕食はホテルで。他の旅行会社の日本人も泊まっているので、日本人だけ50人ぐらい一緒の食事。舞踊団が民族衣装で歌い踊り楽しませてくれた(左)。最後には10人以上の日本人が輪の中に入った。   
         <イルクーツクのイルクーツクホテル泊>


7月31日(月)−5日目

朝食もとらず6時前にホテル出発。

イルクーツク(8時10分発)→ハバロフスクで給油→成田(16時着)

チャーター便に乗っている人は、ほぼ5日前と同じ。ほとんどが旅行会社(クラブツーリズム・HIS・ワールド・NOE)のツアー客だ。回る所も同じ。費用は微妙に違うようだが、聞いてまわるわけにはいかない。

                               (2018年3月2日 記)
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