2017年7月27日(木)〜7月31日(月) 


ウランウデの郊外 
ウランウデ市内とシベリア鉄道
シベリア鉄道とバイカル湖クルーズ
日本人墓地とイルクーツク市内


シベリアの旅 1
 

2017年7月27日(木

16時40分 成田集合  19時10分(成田発)→アンガラ航空で→ハバロフスクで給油→0時50分(ウランウデ着
時差が1時間あるので、所要時間は6時間40分

1ヶ月前のボルネオ旅行に続きわずか5日間の旅。実質は3日間。今年は所属している会の幹事をしているので、長い旅に行けないので仕方なくということだ。

高校生や大学生の頃、シベリア鉄道に憧れていた。その当時、ヨーロッパはあまりにも遠く費用もかかったが、シベリア鉄道なら時間はかかるけど安く行けると聞いたからだ。程なく海外旅行は庶民にも手が届くようになり、その話は忘れてしまった。

旅行会社のパンフレットに「バイカル湖とシベリア鉄道5日間」があった。シベリア鉄道に憧れていた頃は、バイカル湖にも憧れていた。

しかも普通なら北京で乗り継ぐところを、夏限定のチャーター便が飛んでいるので飛行時は途中の給油も含めもわずか6時間強。「行かずばなるまい」と思ってしまったのだ。でも、飛行距離が短く実質3日間にしては旅行代金が高い。「チャーター便はどうしても高くなる。シベリアのベストシーズンだし」と、添乗員のせりふが弁解がましくなるほどだ。

コースは左地図。旅行会社はK社。

ツアーの仲間は9名。「費用が高いから集まらないのね」と仲間と話していたが、私達が帰国した日に出発するツアーは60名参加で2班に分かれるほどの盛況だ。「ヨーロッパやイスラム圏はテロが危ない、長年憧れていたシベリアにこの際行ってみよう」というシニア層が多くいるのだろう。

チャーター便を飛ばすのは、アンガラ航空という聞いたこともない会社。2000年に設立されイルクーツク空港を拠点にしている。あとで分かったのだが、イルクーツク市内を流れているのがアンガラ川。川の名にちなんだ命名だ。

機種に興味がない私でも、その飛行機の形が珍しいのはすぐわかる。主翼が機体の上にあるので、窓から景色が見やすいという触れ込みだ。左写真はアンガラ航空のHPからの借用。なんせロシアでは空港を写していると睨まれることがある。

座席は73しかない。往復とも少しの空席があったから60名ぐらいしか乗らなかったのではないか。-52℃の外気温、高緯度での運航にも対応できるよう製造されているとか。小さい飛行機なので不安定ではないかと心配したが、乗り心地は良かった。機内食(左)もまあまあだったし、キャビンアテンダントも愛想がよかった。

不満と言えば、集合時間が出発の2時間半前。乗客が60名しかいないのだから、出発の1時間前でも間に合うはずだ。もうひとつの不満は、ハバロフスクで給油のために50分も機内待機したこと。途中で給油せねばならないほど、小さい飛行機ということだ。ハバロフスクは歌にもある極東の地。どうせなら、機内待機だけでなく市内観光をしたかった。

ウラン・ウデという空港に着いたのは午前2時頃。飛行時間は短いとはいえ、こんな真夜中の到着では身体がもたない。チャーター便とはいえ、もう少し早い時刻に成田を飛べないものかと思う。結局ベッドに入ったのは午前3時半頃になっていた。        <ウラン・ウデのサガーン・モリソン泊>

728日(金)-2日目

出発は9時。睡眠が4時間ほどしか取れないとんでもない旅程だ。

初耳のウラン・ウデ(上記の地図参照)は、ブリヤード共和国の首都。ブリヤード共和国はソ連崩壊後もいくつか残っている共和国のひとつで、シベリアの南にありモンゴルに近い。今日は一日かけて、郊外と市内をめぐることになっている。

ロシアは、ウラル山脈以西のヨーロッパシベリアと日本に近い極東に分かれる。シベリア鉄道の起点ウラジオストックはシベリアだと思っていたが、ナホトカ、ハバロフスクも厳密にはシベリアではない。今日からめぐる箇所がまさにシベリアだが、広大なシベリアのほんの一部を見るに過ぎない。

現地ガイドはターニャさん。イルクーツクの大学を出たあとに上智大学で学んだ22歳の女の子。それにしては日本語がおぼつかないし、経験が少ないので質問する気も起きない。でも紙を見ながら一生懸命に説明してくれた。

「共和国の人口は98万人。34%がモンゴル系のブリヤード人です。ロシア人やウクライナ人も住んでいます。ブリヤード人は遊牧民族でした。ブリヤード人のほとんどは仏教を信じています」と読み上げた。去年の夏に行ったモンゴルに顔も雰囲気も似ているのは当たり前だった。 もっとも、ターニャさんはイルクーツク出身で、モンゴル顔ではない。

バスで1時間ほどのイヴォルギンスキー・ダツアンに向かった。イヴォルギンスキー・ダツアンはロシアにおけるチベット仏教の総本山。この辺りは長い事チベット仏教が信じられていたが、公式に宗教として認められたのは18世紀と遅い。認められたのが遅い割には、20世紀初めには30の僧院があり、1万人の僧侶がいたという。ソビエト時代は宗教が禁じられたが、ソ連崩壊後の1992年にはダライラマもここを訪れている。


イヴォルギンスキー・ダツアンの門
 

僧侶はモンゴル人や日本人とよく似ている
 
 
境内には放し飼いの牛がいた


境内のあちこちにあるマニ車 マニ車を一度回すとマントラ(真言)
を最初から最後まで唱えたと同じ効果があるとか 


ダツアンは、ブータンでもよく聞いたが、いくつかの寺という意味だ。その名の通り、広い境内にはたくさんの建物が点在していた。どの建物も重厚な感じはしないが、それぞれにご本尊があり、参拝者への要求だけは高い。写真禁止、男女とも帽子をとれ、左の入口から入って右から出ろ、本尊に背を向けないように後ずさりしろ。

参拝者にはこんなに要求しているのに、僧侶は、お経を読むかたわらにケータイを置いている。見学中に着信音が響いたが、彼はすぐ取ってなにやら話していた。撮影禁止なので残念ながらその写真はない。僧侶、牧師、神父といえば徳の塊・人格者・模範的人物と思いがちだが、例外がたくさんあることを、旅のたびに思わされる。

寺の観光で面白かったのは、境内に牛が放し飼いされていたこと、見かけた僧侶すべてが日本人やモンゴル人と同じ顔をしているのに話している言葉はロシア語だったこと。「ここはロシアなのだ」と改めて認識した。彼らもプーチンを支持しているのかなあ。モスクワとは別天地のような気がするが、どうなんだろう。

次に向かったのは、ウランウデから南に50qのタルバガタイ村。ロシア正教の主流派とは違う古い様式を守っているセメイスキエ(古儀式派)と呼ばれる人たちが住む村だ。こういう村がいくつかあるらしいが、そのひとつを訪問した。セメイスキエを守る人たちは世界各地にいるが、バイカル地方に住むセメイスキエは、18世紀後半にポーランドからシベリアに移住したことに始まる。2001年にはセメイスキエの文化が、無形文化遺産に指定されている。

 
カラフルな家が並ぶ村
 
出迎えてくれたおかみさん 右はガイドのターニャさん

 
セメイスキエの伝統的な食事
 
合唱と劇のパフォーマンス
左は花嫁にさせられた添乗員の駒井さん


塀や家が青や黄色やピンク色で塗られ花や虫が描かれたがある所で、バスが停まった。この家だけでもカラフル過ぎてぎょっとするのに、出迎えてくれたオバチャンの衣装もカラフル。そこで昼食。昼食のあとは3人の男性と1人の女性が合唱してくれた。腹の底から響くような歌声だったが、残念な事に馴染みのあるメロディではない。大好きなロシア民謡を聞きたかったが無理な話だ。なんせ彼らのご先祖は、ポーランドからの移住者。

 
ブリヤード博物館 古い家から集めた生活用品
 
セメイスキエ派の教会 おなじみの玉ねぎの屋根を持つが
教義は違うらしい


そばにあるブリヤード博物館に行った。博物館とはいえ学芸員がいるとは思えない。ブリヤード人の生活用品やシカの角などが雑多に展示してあった。

博物館の向かい側にあるセメイスキエ派の教会にも寄った。ロシアでよく見た玉ねぎのような屋根を持つ教会だ。イコンも飾られているし、私には正統のロシア正教との違いは分からなかった。ガイドもよく分かってないので、私たちに伝わらない。  (2018年1月16日 記)

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