スペインの旅3
22年前のアルハンブラ宮殿の見学は、いかにも急ぎ足で心残りだった。「スペインの光と影、滅びの美」という気障っぽい言葉がつい口を出てしまう。「いつか自由旅で来よう」とその時は思ったが、今回も情けないことにツアーである。
国民の大部分がカトリックを信じている国にそう遠くない過去にイスラム勢力がかくも力を持ち、ここグラナダが最後の抵抗の地だったことに感動する。そしてレコンキスタ(国土回復運動)の後にカトリック教徒の国なったにもかかわらず、イスラムの宮殿を残していることに感動する。グラナダだけでなく、かつてイスラムに支配されたコルドバ、セビーリャでのワクワク感をどうやって伝えることができるだろう。
アルハンブラ宮殿の予約は午後6時半だと告げられた。「こんなに遅い時間じゃ、暗くなってしまう」と気を揉んだが、実際には見学が終わる頃に太陽が沈んだ。南スペイン独特の強い日差しの中での見学にならなかったのは幸いだったかもしれない。スペインはイギリスより西に位置しているのに、ドイツなどほとんどのヨーロッパ国と同じ標準時を使っているので、こういう事が起こる。それを忘れていた私のミスだった。
見学前に1度ホテルに入ったときに、部屋からシェラネバダ山脈が見えた(左)。アメリカのネバダ州の名前はここから来ている。
訪れたのは本格的な旅行シーズンには早い3月だったが、非常に混んでいた。でも入場を制限しているので、押し合いへし合いということはない。「予約なしで個人で入場するのは至難の業」だと添乗員が言っていた。バルセロナのサグラダ・ファミリアと1,2を争う人気スポットだけのことはある。
下は、旅行会社からもらったアルハンブラ宮殿の地図。イスラム時代の建物だけが建っていると思いがちだが、いろいろな時代の建物や庭の複合体だ。建築様式も違う。それを知らないとこんがらかってしまう。
8世紀にムーア人(北西アフリカのイスラム教徒)が、グラナダの地に侵入してきた。地図で見るとアフリカ大陸と南スペインはとても近い事が分かる。ムーア人が海を渡るのはいとも簡単だったのだろう。グラナダ以外にコルドバ、セビーリャ、トレドなどを占領して、その後数年間でイベリア半島全体がイスラム圏に入った。
アルハンブラ宮殿の最古の建物はアルカサバ。ムーア人の軍事要塞だった。この建物からアルバイシンの街並みを眺めた。アルバイシンは11世紀の街。迷路のような魅力的な街だとガイドブックには書いてあるが、上から眺めただけで終わった。
最大の見どころは、ナスル王朝時代の王宮だ。ユースフ1世(1333〜54在位)とその子のムハンマド(1354〜91在位)が建てたライオン宮、コマ-レス宮、メスアール宮。
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アルカサバからアルバイシン地区の展望
この中を歩いてみたかった
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ナスル王朝時代の王宮の天井と壁 |
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パルタール庭園
糸杉が清々しい
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夏の別荘のヘネラリーフェ
どの部屋もアラベスク模様 |
グラナダはイザベラ女王とフェルナンド王の両カトリック王の力で、1492年に陥落した。1085年にはトレド、1236年にはコルドバ、1246年にはセビーリャが陥落しているのでイベリア半島に最後まで残っていたイスラム勢力はすべて一掃されたことになる。イザベラ女王の援助でコロンブスが新大陸を発見したのも1492年だ。
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カルロス宮殿内部
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カルロス宮殿の外壁
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グラナダが陥落してもイスラム宮殿を破壊する事はしなかったが、イザベル女王の孫であるカルロス5世が別荘として カルロス5世(カルロス1世)宮殿を作った。純イタリア様式の最高傑作だと言われている。ちなみに、カルロス5世は他のヨーロッパ諸国ではカルロス5世というが、スペインではカルロス1世。カルロス5世の子がフェリペ2世でスペインの黄金時代を迎える。
この宮殿見学のあと、近くにあるサクラモンテの丘の洞窟内で、ジプシーたちのフラメンコのショーを見た。「フラメンコは踊りだと思っている人が多いですが、踊りとギターと歌と手拍子の4つの要素があってのことです」の説明があった。同じ洞窟内にスペインのオバチャンたちの一団がいたが、彼女らは手拍子、足拍子で心底ショーを楽しんでいた。ノリが悪い私は、心からは楽しめない。
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洞窟内でのフラメンコ
近すぎて上手に撮れない
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団体で見学のスペインのオバチャン
底抜けに明るい
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(2017年4月16日 記)
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