2016年3月23日(水)〜4月1日 (金)


サグラダ・ファミリア
ローマ時代の水道橋 

アルハンブラ宮殿
セルバンテスとドン・キホーテ
ピカソのゲルニカ

スペインの旅1


スペインには22年前に友人と行った。6年前には夫と北スペインつまり巡礼の道をまわった。今回選んだツアーはK社。集客力が多いことで有名な旅行会社なので、参加者は37名。

訪問地は、バルセロナ→タラゴナ→バレンシア→グラナダ→ミハス→セビーリャ→コルドバ→ラ・マンチャ地方→トレド→セゴビア→マドリッドと有名観光地を網羅している。(左)

友人と参加した10日間のコースと今回のコースは70%ぐらいが重複しているが、夫が南の方を知らないと言う。では行ってみようか。

3回目となると少々新鮮味が薄い。いつものような日記風の記録を書く気が起きないので、印象に残った項目を少し詳しく書くことにした。とはいえ、スペインは他のヨーロッパ国と違い、イスラム文化の影響が色濃く残っている実にワクワクする国だ。ローマ帝国時代の名残もある。


スペインには世界遺産がたくさんある。風光明媚な地も多い。その中で一番人気があるのがサグラダ・ファミリアだという。あきらかに工事中と分かるクレーン車や足場が景観を邪魔しているにも関わらず、なぜ人気があるのだろうか。おまけに新しく建てられた部分はコンクリート製。以前のは砂岩で作られている。だから色といい質感といい、ちぐはぐな感じがして遠くから見ると優美とは言い難い。

現地ガイドに「なぜ同じ砂岩で作らないのですか」と聞いてみた。「砂岩はモンジュイックの丘から切り出したのですが、今は禁止されています。それに建築基準法では砂岩では難しいみたいですよ」の答えだった。


右の建物は砂岩、左はコンクリート
質感の違いが明らか 
 
ヨセフとマリアと生まれたばかりのイエス
つまり聖家族
 
大工仕事をしているイエス
大工をしているイエス像を初めて見た


しかし、遠目からのちぐはぐさを吹き飛ばしてしまうほど、細部の彫刻にはそれぞれ意味があり、聖書の世界に入りこんでいける。

サグラダ・ファミリアは日本語では聖家族。前に来たときも下調べをろくにしないので、サグラダをサラダと読み違えていた。サラダ家族なんて変なのと思ったが、恥ずかしいので黙っていた。サグラダが「聖」を意味するとは知らなかったのだ。聖家族は、イエスとその父ヨセフと母のマリアを指すのが常識らしい。

マリアを祀った教会はたくさんあるが、ヨセフを祀っている教会は珍しい。そいう目で外部の彫刻を見ると、大工だったヨセフや大工仕事を手伝っているイエスの像もある。そもそもサグラダ・ファミリアは、ヨセフ帰依者教会の本堂として着工された。今もそうなのかどうかは知らないが、着工当時はヨセフ中心の教会を作ろうとしていた。

サグラダ・ファミリアの工事は最初に訪れた22年に比べだいぶ進んだ。22年前の内部は、がらんどうで工事現場の足場のような板がおいてあった。中に入っても抜けるような青い空が見えた。「完成するまでにあと100年はかかる」と聞いていたにしては、思っていた以上に変化していた。

今回見た内部は一変していた。薄暗くもない。たくさんのステンドグラスを通して自然の光が入りこんでいる。本堂を支える柱は天井近くになると葉を広げ、まるで森の中にいるような楽しい気分になる。ケチのつけようがないほど美しい。カトリック教会にありがちな押し付けるような荘厳さがないことにホッとする。




この聖堂の工事が始まったのは1882年。よく知られているガウディではなく、ビリヤールという建築家が手掛けた。
1年半後にガウディが引き継いたが、1926年に電車に轢かれて亡くなった。ボロの衣服を着ていたので浮浪者と間違えられて、ほっておかれたという逸話がある。

志半ばで亡くなったとはいえ、ガウディが引き受けてからでも43年。こんなに年月が経っているのに内部まで手がつけられなかったことが、不思議でならない。なにはともあれ、ガウディが残した設計図に基づいて工事がまだ続いているというわけだ。完成予定は10年後の2026年。ガウディ没後100年の完成を目指している。ツアーの同行者で80歳ぐらいの男性が「僕は完成したら必ず来ますよ」と言っていた。カラ元気には聞こえないほど、矍鑠として博識の方だった。

サグラダ・ファミリアが正式な教会になったのは、建築が始まってから118年後の2010年11月7日。ローマ法王ベネディクト16世が献堂祭をしたことで正式にカトリック教会として認められた。私が2度目に訪れたのは2010年8月。この時ですら大聖堂ではなく、単なる観光施設だったことになる。

サグラダ・ファミリアを語るときに、日本人彫刻家の外尾悦郎さんを語らないわけにはいかない。1978年にバルセロナに渡り、サグラダ・ファミリアの彫刻に携わるようになった。

22年前に「外尾さんという日本人も地下で彫ってますよ」と聞いたが、仕事場まで足を運ぶ時間もなかったしその名前を留めるだけで終わった。その彼は今は彫刻部門の責任者だ。2012年には日本の内閣府から「世界で活躍し『日本』を発信する日本人」の1人に選ばれた。

1昨年のことになるが、区の公会堂で行われた外尾さんの講演を聞く機会があった。左は講演会のチラシに提供していただいた外尾さんの写真。

都筑区在住のヴァイオリニスト牧千恵子さんがバルセロナで知り合いだったという縁で、日本に一時帰国中の貴重な時間を割いてくださったのだ。ガウディの思いを引き継ぐために、彼の内面を知ることから始まり、渾身をこめて制作していることを話してくださった。ガウディが愛した草花や虫などを語る時の外尾さんは、ガウディが乗り移っているように思えた。

 
ファサードの受徳の門
ヨセフ(J)とマリア(M)のイニシャル

 ファサードの信仰の門
一面にバラ
 
ファサードの天使像のひとつ
絶賛された天使像


見学の入場口になっている東側の生誕のファサード(正面)は、地下礼拝堂に次いで初期の時代に建設され、ガウディが生きている間にほぼ完成していた。マリアの受胎告知、イエスの誕生、聖家族の幸せそうな彫刻が掘られている。

ガウディ生前にファサードは完成していたが、門扉が出来ていなかった。その門扉を完成させたのが外尾さん。「受徳の門」は緑色の蔦で覆われ、カブトムシやテント虫のつがいもいる。蔦という植物は自然界の中でもっとも愛を表現しているのだそうだ。ヨセフ(J)とマリア(M)のイニシャルが赤い蔦で表されている。

残念ながら、この門扉は入場するために空いているの全景が見えない。半開きの門をその気になって見なければならない。もうひとつの「信仰の門」にはバラが一面に描かれている。写真が撮れないので、上の2枚の写真はネットから借用した。

門扉以外に15体の天使像を彫ったのも外尾さん。これらの出来栄えについては、地元スペインからも絶賛の声があがっているそうだ。

西側には「受難の門」がある。最後の晩餐、ユダの接吻(左)、イエス磔刑の様子を削りっぱなしの直線的な彫刻で仕上げている。装飾がほとんどないだけに、哀しみが伝わってくる。カタルーニャ出身の彫刻家スビラックスが、ガウディ没後に仕上げた。

こんな風に、建設途上のサグラダファミリアは、作風の異なったいろいろな彫刻家・芸術家が手掛けている。それが違和感なく溶け込んいるところが、この教会の魅力なのかもしれない。ひとつひとつの彫刻をじっくり見ることをお奨めする。

南側の「栄光の門」は建築中。パンフレットによると聖家族教会の最重要部だとある。

エレベーターで上まで登るのも面白い。景観が素晴らしいというより、工事中の様子、果物のような装飾を同じ目線で見られるのが思わぬ収穫。


エレベーターで昇る途中の景観
 
 
エレベーターで昇る途中の景観


昼の部はこれで終わりだが、夕食後にライトアップされているサグラダ・ファミリアを見せてくれた。バスで簡単に連れて行ってくれるツアーのいいところだ。  (2017年3月16日 記)