福知山・竹田城・丹波・明石の旅5
 

2019年11月22日(金

兵庫県は北も南も海に面している珍しい県だ。姫路や神戸は観光地として有名だし、訪れたことがある。でも中間地点にある明石には降りたことがない。明石には1度行ってみたいと思っていた。子午線の通る町・明石として地理で習った。明石原人も歴史で習った。源氏物語にも明石の君が出てきた。祖父は小学校の先生だったのだが(のちに文部省勤務)最初の赴任地が明石だと、父の自分史に書いてあった。まったく縁がない地でもない。

まず駅から数分の地にある明石城に向かった。2代将軍徳川秀忠に命じられて、譜代大名の小笠原忠真実が初代城主になった。姫路城と共に西国の外様大名の見張りの目的だった。築城400年を迎えたばかり。

戦国時代が終わってからの築城なのでここにも天守閣は最初からなかったが、天守台跡や坤櫓や巽櫓は残っている。二つの櫓を結ぶ石垣が長くて印象的だ。櫓のある高台からは明石海峡と明石大橋が目の前に見えて絶景。

 
明石城跡入り口  

 
残っている櫓 石垣が見事

 
この櫓は史料館になっているが、開いていなかった
 
城址の公園から明石大橋が目の前に見える



明石城の概要がわからなかったので、帰ってから調べた。初代城主だった小笠原はすぐ改易され、松平、大久保、松平、本多とめまぐるしく変わり、越前の松平が来てからは10代続いた。外様大名は支配者の名前がすぐ分かるが、譜代の城の印象が薄いのは,、たびたび城主が変わるからだろう。

野球場や競技場などを備えた明石公園の隅っこに櫓と天守台があるという印象だ。でもなぜか、ここも名城100。

篠山城、竹田城、明石城とこの2日間で3つの100名城を見たことになる。兵庫県では他に赤穂城と姫路城が100名城。関西地方は歴史の中心だっただけに名城が多いのはうなづけるが、いちばん納得できないのは明石城だった。

私の住む神奈川県は、小田原城だけが名城100に入っている。出身地の宮城県は青葉城と多賀城の2つ。

公園の裏手の道を歩いて天文科学館へ向かう。途中に宮本武蔵が庭と作ったという本松寺や柿本神社(祭神が柿本人麿)に寄っているうちに、丸屋根が見えてきた。

 
柿本神社 祭神は人麿
 
科学館から見た柿本神社


明治21年に東経135度子午線上の時刻を日本全国で使うことに決めた。それまでは日本の各地でバラバラの時刻を使っていたのだろうか。

科学館はもちろん、135度の上に建っている。子午線をあらわすモニュメントがたくさんあり、そのうちの数箇所を写真に撮った。科学館に近い山陽電車の「人丸駅」のホームにも子午線が引いてあると教えてくれたので、電車に乗らざるを得なかった。電車と子午線の両方を撮るのは難しかったがなんとか1枚におさめた。

 
天文科学館

 
子午線の柱
   
 
科学館の屋上にも子午線の印

 
子午線を通る駅「人丸駅」



一駅で山陽明石駅に到着。次は最後の予定地・魚の棚(うおんたな)へ。駅をはさんで明石城と反対側にある商店街だ。築城と同時期に作られたので400年の歴史がある。築城の時に町割りを担当したのが宮本武蔵と言われる。播磨灘に面している明石港は、たくさんの漁船が集まっていたそうだ。

 
魚の棚では食べ歩きができる
 
 
タコの干物  関東ではあまり見かけない

今は魚以外に果物や野菜や肉を売る店もあり、どこにでもある市場とあまり変わらない。丸ごとのタコや、タコをするめのようにした干物などは珍しかった。私はタコを普段は食べないが、柔らかく煮たタコは美味しかった。昼は商店街で「明石焼き」などを食べた。

最後に寄った駅前の「パピオスあかし」6階からの市内の展望が素晴らしかった。朝訪れた明石城の石垣と櫓が目の前に現れたのでびっくり。

明石駅からJR神戸線で新幹線の西明石駅に行った。横浜駅と新横浜駅もかなり離れているが、明石の場合も離れている。こまごまとした地理は、現地に住んでいないと分かりにくいものだ。

西明石14時20分発→新横浜17時22分着

横浜に着いたら雨が激しく降っていた。思えば福地山と兵庫県の旅4日間、曇り空が多かったが雨に降られたことはなかった。思い描いていた目的をほぼ達成し、充実の4日間だった。何よりも福知山のY子さんとH夫妻との温かい交流が良かった。      (2021年2月16日 記)

 

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