2019年 11月19日(火)~22日(金)


福知山 
丹波篠山と生野銀山
朝の竹田城
竹田城と竹田
明石


福知山・竹田城・丹波・明石の旅1
 

2019年11月19日(火)

 新横浜(8時52分発 ひかり505号)→京都(11時11分着) 
 京都(11時25分発 きのさき5号)→福知山(12時40分着)

福知山は5年前に続き2度目の訪問である。「福知山に父の親戚がいる」の話は聞いたことがあるし、母がわが家に来た頃には年賀状などを交わしていた。でもどんな関係か分からなかったが、5年前に父のいとこであるY子さんから詳しく聞くことができた。Y子さんと父は20歳以上離れているが、いとこである。兄弟の多い一昔前は、さほど不思議な話でもない。

福知山にはもう一軒親戚がいる。父の叔母の嫁ぎ先が、長命寺という浄土真宗のお寺。父母は2回ほど両家を訪ねている。父の叔母の孫が私より1歳下の住職である。かすかな血縁にすぎないが、Y子さんも住職ご夫妻も実に感じが良い方で昔から付き合っている親戚のように歓待してくれた。その時の思いが忘れられなかったので、夫と2人で訪れることにした。

新幹線が通っていない山陰の地・福知山はとんでもなく遠い地と思っていたが、自宅を出て4時間半ほどで着く。駅にはH住職夫妻とY子さんが車で迎えに来てくれた。

昼食は兵庫県丹波市の蕎麦屋「そばんち」と、前から決めていた。福知山は行政上は京都府だが、兵庫県の丹波市と接している。もともと父方の出身地は丹波。福知山は丹波が文化圏・経済圏だったと思われる。

 
田園地帯にある蕎麦屋

 手打ち蕎麦
 
そば街道を作ったSさん

「そばんち」は、ミャンマー旅行で知り合ったYさんの甥Sさんが、定年後に始めた蕎麦屋だ。駅から20分ほど走り、丹波市の「そばんち」に着いた。Sさんは東北育ちだが、勤務先の関係で福知山に終の棲家を求め、町起こしのひとつとして、自分の蕎麦屋ばかりでなく7軒の蕎麦屋に働きかけて「そば街道」を作った。

今は「そばんち」は若い人に任せ、自転車のロードレースの主催者にもなっている。丹波の観光になくてはならない人のようだ。前もって約束はしていなかったが、自転車乗りから帰ってきたSさんと話すことができた。定年後の過ごし方の見本のような人だ。「そばんち」は田園地帯のど真ん中にあるが、平日にもかかわらず店は満員で、少し待たねばならないほど繁盛していた。

福知山市内に戻り、夫と私は福知山城見学。1986(昭和61)年に市民の要望で復元された城だが、復元であろうと「城の見える町」はいいものだなと思う。明智光秀が1579年頃に築城したことに始まる。建物は復元だが石垣と門の一部は残っている。石垣には墓石や灯篭などを使った転用石もところどころに使われている。

 
道路から見上げた城

 
城への坂道に大河ドラマの幟
 
福知山城
 
頂上から見た由良川

 
唯一当時の面影を残す銅門(あかがねもん)
 
墓石や灯篭なども使われている石垣。転用石という


おりしも来年の大河ドラマの主人公・明智光秀が脚光を浴びている。このチャンスに乗らない手はないとばかり、「大河ドラマ明智光秀」の幟端が何本も立っていた。

光秀は暴れ川の由良川と土師川の合流地点に竹藪を作り、流れを変えた。今も「明智藪」として残っている。地子銭の免除なども行ったので、今でも福知山の人には「善政をした武将」として人気がある。光秀を祀る御霊神社もあるし、彼を偲ぶ盆踊りも行われている。

明智滅亡後は城主が次々変わったが、江戸初期の1649年からは幕末まで朽木氏が13代に渡って治めた。朽木氏は土浦から入った。幕府の命令とはいえ、土浦から福知山への国替えは、戸惑ったにちがいない。

福知山城を後にして長命寺に向かった。長命寺は浄土真宗本願寺派の寺である。親鸞がはじめた浄土真宗は、他の仏教よりも戒律がゆるいらしい。住職夫妻も近寄りがたいことがないので、安心して勝手なことがしゃべれる。夕食をはさんで5人のおしゃべりは尽きることがない。どこかで血が繋がっているという安心感もある。夜更けまで長いことお邪魔してしまった。

今回の旅の目的のひとつは、新築の本堂を拝見することだった。4年前に本堂を建て直すと聞いていたので、父の代わりにお参りせねばならないような気がした。父が生きていたら、そうしたに違いないと思った。とはいえ、両親はまったく寺に縁がない生活をしていたので、実家には仏壇も菩提寺もなく2人とも公園墓地に眠っている。当然、私も寺や仏教には無縁の生活をしている。でもこの歳になると、それがいい事だとも思っていない。

     


長命寺の本堂新築のために4億円以上寄付をしてくれた檀家、毎月の掃除などで奉仕してくれる檀家、家でとれた野菜などを届けてくれる檀家、「おじいちゃん長くないのです。その節はよろしく」など前もって知らせてくる檀家。こんな話を聞いているうちに、菩提寺がある安らぎもいいものだなと心底思った。もっとも住職夫妻の人柄と土地柄によるのかもしれない。全国的には寺で葬式をしない人が増えているご時勢に、心温まる話を聞けてよかった。

住職は、関西でサラリーマンをしていたが、30歳を過ぎた頃に呼び戻されたという。奥さんのH子さんは、「住職の妻になるなんて・・」と戸惑ったが、今や檀家さんにも慕われているようだ。「サラリーマンだったらとっくに定年で、閑をもてあましていたかもしれませんね。皆さんから頼りにされて、住職になってよかったですね」と私が言ったら「そう思います」と住職もにこっと笑った。

  <福知山の駅から徒歩数分の「福知山アークホテル」泊>     (2020年12月16日 記)

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