出雲と松江の旅5
 

5月29日の続きを書いている。松江城ばかりでなく、城の周辺にある塩見縄手通りなどもガイドしてもらう約束になっている。これだけ案内してもらって1団体1500円。無料みたいなものだ。

塩見縄手通りまで行く裏手の道が素晴らしい。ほとんどの観光客は、こういう回り方をしないので、静かな散策ができた。仙台とて60万石の城下町だが、戦争で焼けたせいで、ほとんど面影が残っていない。石高は仙台藩の3分の1とはいえ、城下町の風情では断然松江の方が上だ。

裏手の道沿いに、松平直政が建立した城山稲荷神社があった。小泉八雲は、ここの狐に興味をもったようだ。令和になったばかりなので、お祝いの旗がひらひらしていた。

 
松江城の裏手にある城山稲荷神社
天皇即位のお祝いの旗

塩見縄手通りは由緒ある建物が続く

 

塩見縄手通りに出たとたん、急に観光客が多くなった。この通りの片側には小泉八雲記念館、小泉八雲旧居、武家屋敷、美術館、通りをはさんで城の堀にもなっている堀川と松の木。江戸時代を彷彿とさせる通りだ。

塩見縄手という変わった名前は、築城するときに内堀に並行する道路や武家屋敷を造成してできた城下町の通りが、縄のように一筋に延びていたから。塩見は武家屋敷に住んでいた塩見小兵衛が異例の出世をしたので、こう呼ぶようになった。1987年には「日本の道100選」に選ばれている。

まず小泉八雲記念館へ。ラフカディオ・ハーンはギリシャ人の母とアイルランド人の父のもとギリシャで生まれた。その後、アイルランドやアメリカにわたり、日本に来たのは、紀行作家と認められての取材のためだった。

文部省に松江の英語教師を紹介されて、松江に降り立ったのは1890(明治23)年8月。翌年の11月には、次の赴任地熊本に発っているから、松江にいたのは1年と3か月にすぎない。

熊本、神戸を経て、1896年に東京帝大、のちに早稲田大学でも教鞭をとっている。亡くなったのは1904年で、54歳の若さだった。松江藩士の娘小泉セツとの間に3男1女がいる。父親が亡くなった時はまだ幼かったと思うが、みんな立派に成人している。八雲の曾孫の小泉凡氏が記念館の館長だ。

 
小泉八雲記念館 となりに旧居がある
 
館内には家族写真もたくさん飾ってある


1年3か月しかいなかったとはいえ、松江藩士の娘である奥さんの苗字・小泉と出雲にある八雲山にちなんだ日本名からして、松江への愛着が深かったことがわかる。出雲大社、日御碕、伯耆、因幡など各地を旅行して、すぐれた紀行文を残している。

前に来た時に比べ、ビジュアル化され見やすくなった。直筆原稿や手紙のほか、子ども達の写真も飾ってあり温かい家庭を築いていたことが分かる。怪談も松江出身の佐野史郎さんの朗読で楽しめるようになっている。

次は武家屋敷へ。500から1000石程度の藩士が住んだ家で、塩見小兵衛も住んだと言われる。江戸時代に大火で焼け、今見る屋敷は2016年からの修理で最近完成したばかりだそうだ。この程度の屋敷はあちこちに残っているし、再建と聞くと急に価値が下がったような気分だ。

 
塩見小兵衛も住んだ武家屋敷

 
出雲名物の蕎麦 右下の薬味とツユをそれぞれにかけて食べる

ガイドのHさんのお勧めで塩見縄手通りにある「出雲そば」の昼食をとった。八雲庵といういかにもおいしそうな店名だし、松江に来たからには出雲そばを食べたかった。でもコシも香りもなく、あまりに不味いので夫にラインで三段重ねの蕎麦の写真を送った。

考えてみると、こんなにごった返している店で、手打ちそばが味わえるはずがないのだ。友達はみな「美味しい美味しい」と言ってたけど、お世辞だったのか本音だったのか分からない。私は「不味い」と口に出すわけにはいかず、はけ口として夫のラインに写真とその旨を送った。

昼食後は城の内堀をめぐる堀川遊覧船に乗った。少し高いが、一日中乗り放題だし、あちこちに乗り場があるのでとても便利。船頭さんの説明付きで、内堀を約50分かけて回る。午前中に回った松江城や塩見縄手通りやカラコロ広場などを船から眺めるのはまたいいものだ。一周しただけでなく数か所で降りたので、松江が自分のものになったよう
な気がした。

 
屋形船に乗って堀川めぐり
 
内堀からいろいろな建物が楽しめる


50数年前に松江を訪れたのは、茶人としても名を残した名君松平不昧公の街を見たかったからだ。その時は菅田庵という茶室も訪れたが、今回は修復中だった。でも松江に来たからには、抹茶を飲まないわけにはいかないので、感じのいい店で一服を楽しんだ。見物疲れを癒すにはいい時間だった。

今日の予定はこれで終わりではない。宍道湖の夕日を見るための絶好スポット・県立美術館に向かった。作品を見るのは有料だが、宍道湖畔に面している無料のスペースは大きなガラスになっていて、そこからも眺めることができる。もちろん湖畔に降りることもできる。真っ赤な夕日ではなかったが、今日一日の上天気を締めくくるのにふさわしいきれいな夕日だった。

 
県立美術館の内部から日没を待っている

 
美術館のガラスに映った影絵のような写真


夕食は、近所のコンビニで買ってきたものをロビーで食べた。男性がいたら、たとえお腹がいっぱいでもこうはいかないが、女性だけだと気が楽だ。                   <松江の東横イン泊>

2019年5月30日

仙台組は 8時45分松江駅発の空港バスに乗った。昼前には仙台には着いてしまう。

私は10時10分松江駅発空港バス。下関の友は息子が住む名古屋に向かうので時間の制約がない。ふたりでずっとしゃべっていた。

出雲(12時25分)→JAL280→羽田(13時45分)

出雲と松江だけで3泊4日にもなったのは、仙台と出雲間の便が限られていて、朝の1便しかないからだ。夕方の便があれば、1泊少なくてすむ。「3泊なんて長すぎる。これからは1泊にして」とご主人に言われた人もいたようだが、「ささやかな楽しみを奪わないで」と内心は思っているだろう。     (2020年12月2日 記)

 

感想などいただけると嬉しいです→
出雲と松江の旅1へ
ホームへ